真夜中Glow

いいの すけこ

ヒーローはオールグリーンにあらず

 ビルの谷間にも、霧は入り込んでくる。

 じきにもっと濃くなって、街中に霧がさまようだろう。

 午前零時。古いビルに挟まれた路地は暗く、見上げても月はない。ただ、夜空は街中の賑やかな明かりに照らされているから、いつだってうすぼんやりと白かった。霧とは違う白さだけれど、こういう空は気持ちが悪いなと俺は思ってしまう。

 暗がりの中には、小さな赤い光と、緑の光が浮かんでいた。頭の高さのところで、小さな光が鮮やかに光る。人差し指の先ほどの大きさの光だけど、はっきりと発光して闇夜に複数浮かんでいた。

 光が点滅する。

『全員、集合しているか?』

 聞こえた声に、俺は反射的に耳元へ手を添えた。

 光の発生元は、インカムマイクのイヤホン。カナル型のイヤホンに埋め込まれたLEDランプは、通信状態にある間はずっと点灯している仕様だった。

 この小さなランプが、濃い霧の中では『そこに仲間がいる』と視認するために役に立つのだ。

「あ、堂島どうじまさん。お疲れさんです」

 インカムから聞こえた男の声に応答する。答えにはなっていなかったが。

 浮かぶランプの数は八個――俺も含めて四人分。

『予兆通り、“さまよう霧”の出現が観測された。場所はY市N区、ポイントK地点。“さまよう霧”は同時に二体出現した。現場にはチームレッドが向かってくれ」

 俺の耳元で、赤いランプが点滅する。

『ヤチル、梓馬あずま、頼んだぞ』


「梓馬くん、いませーん」

 傍らで、わざわざ挙手をして伊織いおりが言った。彼女はチームグリーンだ。

『は?』

「だから、梓馬は来てないってば」

 ヤチはいるけど、と俺の方を見ながら伊織は付け足した。

『何故だ』

「ご両親に、家を出るところを見つかってしまったみたいです」

 伊織の隣で、芹菜せりなが答える。ランプの色は緑。

「こんな時間ですから、こっそり家を抜け出そうとしたらしいんですけど。玄関の鍵を開ける音を、飼い犬のムームちゃんに気付かれちゃったみたいで。ムームちゃんがめちゃくちゃ吠えて、ご両親が起きてきて、こんな時間にどこへ行くつもりだ、と……」

 インカムの向こうで、大きなため息が聞こえる。マイクを通して息を吐くのはやめてほしい。

『なんだそれは。“さまよう霧”討伐は、大事な任務だぞ! それを両親に阻まれたからと言って……』


「いやだって俺ら、未成年なんスけど」

 英介えいすけが、不服そうに口を挟んだ。耳元に光るのは緑色。厚い胸の前で腕を組むとずいぶんと威圧的に見えるけど、彼も含めてここにいる全員がまだ十代の少年少女だった。

「なんで未成年なんかを、バケモン? 退治に駆り出すんスか。深夜の“さまよう霧”との戦闘、結構ハードなんスけど」

 真夜中の町に現れるという、“さまよう霧”。

 名前の通り霧となって街中に沸き上がり、時には怪物のような姿を形作って人々に襲い掛かった。実体化すると物理攻撃だって仕掛けてくるし、激しい戦闘になる。

 “さまよう霧”に立ち向かうべく作られたのが、俺たちも構成員を務める“アンチフォグ”という討伐組織であった。

 その構成員の内、実際に戦闘に駆り出されるチームは十代の若者で組織されている。

『それは“さまよう霧”に立ち向かう特殊能力は、十代後半か、せいぜい二十代前半の若者にしか開花しないからだ』

「なにその無茶苦茶な話!」

 伊織が大声を上げる。マイクを通して声を張り上げるな。

「どういうことなのよ、それ!」

『私だって、詳しくは知らん! 仕方ないだろう、“さまよう霧”については、わかっていないことの方が多いんだから』

 “さまよう霧”は形のない悪意のようなものとされているが、実態はわからないことだらけだ。

「漫画とかアニメだったら、設定考えるのを放棄したと言われても仕方ない雑っぷりスね……」

『英介。世の中はわからないことの方が、圧倒的に多いものだよ』

「というか、実体のわからないものに立ち向かうために、私たちが謎能力を開花させられたってことが、怖いんですけど……」

 芹菜の言い分はもっともだ。

 まあ、ここにいる三人の隠された能力を見抜いてスカウトしたの、一足先に“アンチフォグ”メンバーだった俺なんだけど。


「しかも周りには秘密にしろ、だなんてさあ。真夜中に家抜け出てくるの、大変なんだよ? 私なんて、ベッドの中にクッションとかぬいぐるみ詰めて、必死で偽装して出てくるんだから」

「私は初回と今回は、伊織ちゃんのうちに泊まりに行くってごまかしたけど……。正直、三回目は両親に嘘つく自信、ないです」

「俺なんて、家を空けてる間に部屋に入られないように、自室に鍵つけたんだけどさ。したら親に、めっちゃくちゃ怒られて。鍵は速攻で外されたし、何ならドアごと撤去するぞって脅されたね。今日はなんとかこっそり出た来たけど、多分、親の監視の目は強まってる」

 伊織と芹菜、英介の三人はそろって息をついた。

「そりゃ、親に見つかったら梓馬も出て来られないだろうな」

 俺は完全同意をする。梓馬の両親は至極真っ当だ。

「それこそ漫画とかだとさ。親が放任主義だったり、事情があって親と離れて一人暮らししてるからとか、一度寝たら朝まで絶対に起きてこないからとか、都合のいい設定ばっかりなんだけどなあ」

 英介はよく、“アンチフォグ”の活動を漫画に例える。確かにフィクションみたいなことが起こるけれど、それほど自分たちに都合よく、事は展開しない。

「それな。あとは家出少女とか不良少年キャラとか、夜に出歩いてるのが当たり前とか」

 そこまで言って、伊織は一瞬言葉を止めた。


「ってかさ。そういう、夜中でも遊び歩いて帰らなかったり、家に居場所がない子っての? そういう事情の子からスカウトして来ればいいじゃん」

 軽い調子で、伊織は提案した。

「そういう子って、結構いるでしょ? 片っ端から当たれば、適性のある人はそれなりにいると思うんだけど」

「なるほど。夜中に家を抜け出てきやすそうだし、普段から夜中に歩き回ってるなら親バレしにくそうだな」

「“アンチフォグ”の活動って、社会貢献してますしね。そういう子達に手伝ってもらうのは、いいことなのかも」

 俺は黙って、三人の盛り上がりを聞いている。

 伊織たちの考えは、確かに悪くない。

『駄目だ』

 低く、堂島さんが言った。

 冷静だけど、強い言葉だった。

「なんでよ。そういう子なら、色々と都合がいいじゃない」


『行き場所がなくてさまよっているような子を、都合が良さそうだからって連れてきて利用するような真似、できるか』

 闇の濃い路地裏――正確には、イヤホンを差し込んだ耳の中――に、堂島さんの主張が響く。

『そんなのは居場所や助けを餌にちらつかせて、危険な仕事を手伝わせるみたいだろうが』

「……その危険な仕事をさせるために、私たちも勧誘したんじゃないですか」

 私たちも未成年だと言ったでしょう、と芹菜はため息をつく。

『それは……それはほら、君たちにはちゃんと意思確認したし、みんな冷静に考えられる子達だし』

 芹菜の鋭いツッコミに、堂島さんは取り繕うように答えた。

『私が言いたいのは、追い詰められてるような子じゃ、“アンチフォグ”に加わるかどうかを、冷静に判断できないんじゃないかなってことで』

「うちらだって『街に危機が迫っている』なんて言われちゃ、選択の余地なんてなかったと思うけど?」

 伊織の追撃に、イヤホンの向こうは、完全に沈黙した。

 堂島さん、なんだかんだ誠実な人だから。痛いところを突かれて、開き直れるような人じゃないんだよなあ、なんて思う。


「……変な大人に騙されたり、非道ひどい人間の魔の手に落ちるくらいなら。“アンチフォグ”にスカウトされた方が、よっぽどましだと思うけど」

 濃くなりつつある“さまよう霧”に、もうそろそろ討伐にかからないとヤバいな、と頭の片隅で思いながら、俺は言った。

「ま、堂島さんのその真っ当な考え方は、良いと思いますよ」

 ぽんぽん、ぽん、と。俺はなだめる様に三人の肩を叩く。

「……N区の、ポイントK地点だっけか?」

 英介が、専用端末に送られてきたマップを確認する。ぼんやり白い灯りが、俺たちの顔を照らした。

「今日はグリーンとレッドのペアで行きますかね。ヤチ、よろしく頼むわ」

「まあ、お話し合いは討伐が終わってからにしましょうか。チームグリーン、伊織と芹菜、N区全域に警戒入りまーす」

「現状より、討伐オペレーション開始します。……私も家族に心配はかけたくありませんので、親バレしたらフォローしてくださいね、堂島さん」

 早足で路地を抜けていく伊織を、芹菜が追いかけた。英介が大股でそのあとに続いて、俺は最後尾からついて行く。

『任務の成功と、無事を祈る。……“さまよう霧”はあらゆる人間の心の隙間に入り込んで、正気を失わせる怪物だ。被害者は老若男女も、どんな立場かも問わないが、暗い夜の中を、独りさまよっているような子どもが狙われやすい傾向だ。……見過ごせない、頼む』

 専用端末には、梓馬からデータが送られてきていた。家から出ることはできないけれど、“アンチフォグ”の一員として今夜も討伐に参加してくれるようだ。

 俺は唇に触れるくらいにマイクを近づけて、一瞬だけ、通話相手を一人に限定した。

「ねえ堂島さん。俺はさ、あなたに餌で吊られたつもりも、都合よく利用されてるつもりもないよ」

 イヤホンは沈黙。先を行く英介から通信が入って、俺はそっちの会話に集中した。

 真夜中の街を駆けていく。霞み始めた夜の闇の中に、俺たちを繋ぐ小さな光が瞬いていた。

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