旅立ちの朝、MMのために

真野てん

第1話

 その伝説の車は、とある小さな町の自動車整備工場へ運び込まれた。

 真夜中。

 まるで闇に紛れるようにして――。


「親方……こいつぁ……」


 閑散とした深夜の街並みに、ポツンと一軒。

 半分だけ降ろされたシャッターから、工場の明かりが漏れている。まぶしい水銀灯ランプの光は、雑草の生え掛けたアスファルトにふたりの人物の影を落とす。


 ひとりは若造だった。

 チャラチャラとした見た目ではあるが、こんな深夜にも関わらず、緊急の呼び出しに応じるくらいには、この仕事にはやりがいを感じている模様。

 ダボっとしたツナギを身にまとい、伝説の車をまえにして感動のあまり震えている。


 そしていまひとりは頭に白いものが混じり始めた角刈りの男。

 厚手のオーバーオールに軍手という硬派ないで立ちだ。

 ガソリンなどの揮発性有機溶剤によってよく焼けた肌が、工場内の照明を反射して黒光りしている。親方と呼ばれたその男は腕を組んだまま、若造の問いにニヤリと笑みを浮かべた。


「おおよ。俺もこの業界長ぇが、実物を見るのは初めてだ。普段ならこんな深夜に持ち込まれても、うっちゃっとくんだが――こいつとなりゃあ話は別だ。腕が鳴るぜ……」


「ほ、ほんとに実在したんですね、親方……この……マジックミラー号」


 説明しよう。

 マジックミラー号とは、三菱ふそう・キャンターをベースとしたキャンピングカーを、さらに住居スペースの壁面をマジックミラーに換装するなどしてを撮影するためカスタムメイドされた特殊車両である。


 いまその雄々しい姿は、町工場のピット内にて鎮座し、再び戦いに出るときを待っているかのようだった。

 折り畳まれたサイドのハッチ扉はまるで、鶴翼の美しさだ。

 むき出しとなったマジックミラーは、太陽光の下でこそ隠蔽効果を発揮するが、人工的な照明のまえではあえなく光を透過してしまう。


 秘部は隠されてこそ華。

 しかしいまはその全貌を、ふたりの整備士のまえへと晒している。

 空色を背景として、真っ白い雲をいくつも浮かべた壁紙に、同色の淡いブルーのカーテン。

 床には、けっして高級とは言い難い、灰色のカーペットが敷き詰めてある。よく見れば部分的にガビガビになっており、ちぢれた毛が何本も絡んでいたことだろう。


「わああ! で見たまんまだっ!」


 若造が拳を握りしめて叫んでいる。

 逆立った髪が後ろ向きに被った作業用帽子キャップを突き破らんばかりである。


「ついさっきまで渋谷でナンパものの新作撮ってたらしいぞ」


「マジっすか! やべぇっすよ、親方、俺、興奮しちまう!」


「おいおい、ジャッキアップするのは車だけにしてくれ」


 あはははは。

 最低の会話でふたりはひとしきり盛り上がると、いよいよ作業を開始する。

 トラックがベースであるマジックミラー号は、シート下にエンジンがあるため、キャビンを持ち上げる必要がある。キャビンとは車両頭部(前部)にある、運転席を含んだスペース全部のことだ。ロックを外し、左前輪のうえあたりにあるフックを掴んで持ち上げてやると、きぃぃっという音と共に前方へと倒れていく。

 すると巨大なディーゼルエンジンがむき出しとなり、整備性が向上するのだ。


「でも、親方。なんでウチに回ってきたんすか?」


 オイルパンのドレンプラグを外すため、エンジン下へと潜り込んでいた若造が問う。

 一方、親方はその様子をエンジンのうえから眺めるようにして答えた。


「よそにゃ断られたんだとよ。まあ、こんな時間だ。いつもなら俺も断ってた」


「じゃあなんで」


「明日ちょっと遠出とおでするんだと。仕事が仕事だ、どっかでトラブっても、後ろ指さされんのは、出てる嬢ちゃんたちさ。だから絶対に間違いがないように、万全の状態で走らせてやりてぇってよ。そんなこと言われたら、断れっか?」


「親方……おとこっすね」


「おおよ」


 深夜、男たちの整備をする音は工場から止むことはなかった。

 明日の誰かを輝かせるために、真夜中の仕事はまだまだ続いてゆく――。




「……親方、まだとか観てるんすね」


企画単体ものキカタン上等だ、バカヤロウ」

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