きっと夜のせい KAC202210【真夜中】

霧野

夜桜とスキップ


>24時間後に死んじゃうとしたら、どう過ごしたい?


 そんな定番すぎる質問が飛び出したのは、もうじき0時という時間帯。たわいも無いやり取りを20分ほども続けた頃だった。



≫なにその質問


 僕は笑顔の絵文字をくっつけて、そう短く返した。


>ぜーんぜん眠くならないからさ。しょーもない話、したいのよ。むしろしょーもない話しかしたくない

 で、もしある日死神が現れて、「あなたは、24時間後に死にます」って言われたら、何をする?



 眠れないのは僕も同様。よろしい、もうちょっと付き合いましょう。


 ベッドから滑り落ちて床にあぐらをかき、少し考える。カーテンの隙間から街灯の光がわずかに漏れて、安物のローテーブルの端を切り取るみたいに照らしていた。



≫どっかの学校のプールに忍び込んで泳ぐ

>なにそれw


 脊髄反射みたいな速度で返信がきた。相変わらず入力が早い。


>ジムのプールとかなら夜中でもやってるんじゃない? あ、ナイトプールって一時期流行ったけど、まだあるのかな


 うん、あったね。でも、そうじゃないんだよな。


≫ただ泳ぎたいんじゃなくって、屋外のプールで泳ぎたい。疲れたらプカプカ浮いて、空眺めてさ。そのまま死ぬんだ


 今夜は月が綺麗だから、と打ちかけて止めた。胸がチクッと痛む。有名な夏目漱石のアレを思い出したからだ。彼女ももちろん知っているだろう。なんたって僕らは、近所の図書館で何度も顔を合わせるうちに仲良くなったのだから。



>夜空を眺めながらのプールかぁ。いいね。わたし泳げないけど


≫泳げないんかーい


 フフッと笑みが溢れる。意外だな。海のそばで育ったって言ってたのに。



>海でなら泳げるんだけどね


 まるで僕の思いが通じたみたいな返信だ。


≫海の方が大変そうじゃない? 波とかさ


 僕は海の無い地域で育ったから、海水浴なんて子供の頃に数えるほどしか経験がない。その時だって、浅瀬でパチャパチャしてただけだった。



>海水だから? 体が浮きやすいんじゃないかな

≫まじか。そんなことってある?

>あるでしょ。わたしプールだと沈むもん


 嘘だぁ。絶対話盛ってるだろ。思わず笑っちゃたじゃん。きっと彼女も笑ってる。



≫じゃあ、ビート板の使用を許可します

>浮き輪は?

≫浮き輪も可

>あ、でも。学校のプールってこの時期だと水入ってないんじゃない?


 盲点だった。


≫たしかに

>きみは莫迦だな

≫じゃあ美咲さんは? 何したいの?


 今度は少し間があった。



>焼き肉とお寿司とケーキとアイス食べる。いっぱい食べる

≫出た。食いしん坊

>だって死んじゃうんだから、ダイエットしなくていいじゃん。ステーキととんかつも食べる。あとケンタも


 夜中だからか、字面だけで胸焼けがしてくる。


≫マカロンは?

>おー、忘れてた。マカロンも! ル ビエのやつね!

≫食べてばっかだw

>うん。あ、でも、最後の最後は好きな人とロマンチックに過ごしたいかな


 ズキン。

 胸が痛んだ。さっきよりも、強く。



≫旦那さん?

>まさか


 また即座に返ってきた。


 でも……それじゃあ、誰と?



 少しだけ震える指で入力する。返ってくるのが僕の望む答えじゃないのはわかってる。けど……



≫例えば、誰? 俳優とか、アイドルとか?


>さあ、どうだろうねえ


 素気ない答え。まぁ、わかってたけどね。別に期待してたわけじゃないし。



>でも、楽しい人がいいな。人生の最期は思いっきり笑いたい。お腹抱えて涙出るくらい笑いたい


≫いいね


 そう返すのが精一杯だった。彼女の最期に一緒にいられるのは、僕じゃない。面白いことなんか言えないもん。たかが読書仲間の僕なんて、こうやって暇潰しの相手をするぐらいが関の山なのだ。


 また、胸に痛みが走る。どこか甘くて切ない痛み。


 痛みに味なんてあるわけないのに、なんで甘いと感じるんだろう。わかんないけど、でもやっぱり甘くって、ちょっとギュッてなるんだ……



 夜だから。そうだ、夜だからだよ。真夜中のテンション、ってやつ。



>ねえ、わかった


 ドキッとした。ものすごくドキッとした。また思いが通じたのか?


>さっきからなんかモヤモヤしてたんだ。わたし今、スキップしたい



 ……はい?




>何かしたいことがあるような気がしてたの。今わかった。スキップだ!


≫スキップって、あのスキップ?


 こんなアホみたいな返信しかできない。でもしょうがないよ、だって彼女が言ってること自体が変なんだもん。


>そう。スキップ、最近した?


 いや、してないよ。普通しないだろ、いい大人が。



 でも。


 そうだ。彼女はそういう人だ。たまに子供みたいに突拍子もないことを言い出すんだ。


 だから僕は即答する。

 彼女が借りた本が重すぎた時、一度だけマンションの前まで運んであげたことがあるから、場所はわかる。



≫スキップ、いいね。今からマンションの前まで迎えにいくよ


>やったぁ。ありがとう。一人じゃさすがに怖いからね。いろんな意味で


 思わず吹き出した。

 たしかに怖いな。こんな真夜中に女性一人で出歩くのは怖いだろうというのはもちろん、真夜中に一人でスキップしている女性をうっかり目撃してしまう人だって怖いだろう。都市伝説になってもおかしくない。





 15分後、僕たちは川縁をスキップしていた。二人並んで、月明かりに照らされながら。

 星たちが瞬いて僕らを見守ってくれている。川の緩やかなせせらぎは、深夜の奇行に優しく寄り添ってくれているみたいだ。



「なんか楽しくない?」

「……楽しい。意味わかんないけど、めっちゃ楽しい」


 スキップ、スキップ。


 胸が異様に高鳴っていた。だって、図書館の外で会うのはこれが初めて。それもこんな夜更けに。

 しかも風呂上がりのドすっぴんにテキトーなポニーテール、ジャージ姿がこんなに可愛いなんて、聞いてないよ。

 普段はヒールのせいで同じくらいの目線な彼女、スニーカー履きだと5センチくらい背が低い。スキップするたびに僕の視界の端っこで洗いたてのポニテがぴょんぴょん揺れる。普段の香水とはまた違う、いい匂いがするし。反則だろコレ、どうすりゃいいんだよ。



「スキップって、問答無用で気分上がるね♪」

「そうだね」

「スキップは正義!」


 また吹き出してしまう。けど……僕も。


「スキップは、正義!」

「スキップは、正義♪」


 二人してゲラゲラ笑いながら、ひと気の絶えた川縁をスキップでぐんぐん突き進む。側から見たら、さぞかしおかしな二人だろう。でも、構わない。隣で彼女が笑っている。真夜中に、この世界で僕と彼女の二人だけが、心底楽しく笑っているんだ。


「もうすぐ桜並木だよ。咲いてるかなぁ」

「ここからじゃまだ見えないね」




 桜は5分咲きといったところ。日曜の深夜だからか人もおらず、夜桜を独り占めだった。100mほども奥へと桜の木が整列している様は壮観だ。近くの木を仰いで見れば、蕾もかなり膨らんでいて、夜目にもうっすらピンクに色づいているのがわかる。


「満開にはまだ遠いけど、やっぱ桜はいいねえ。蕾も可愛い」


 スマホを掲げて写真を撮りながら、美咲さんがため息をついた。

 僕は少し離れて、その様子を眺める。あまり近寄ってはいけない。手を伸ばして触れたくなってしまうから。


「えっ?」

 スマホをジャージのポッケにしまいながら、彼女が何か呟いたのが聞こえた。


「ん?」

 あどけない表情で彼女が振り向く。


「今、何か言わなかった?」

「何も言ってないよ」


 あはは、と彼女は屈託なく笑う。


「桜の精の声でも聞こえた? 男の人の方がロマンチックだって、よく言うもんね」


 ……そうかもしれない。じゃなきゃ、僕の聞き違いだ。



『今なら死ぬのも悪くないかな』


 そんなこと、彼女が言うわけない。

 桜の精の独り言か、僕の願望が聞かせた囁きだ。


 24時間後に死ぬとしたら、その直前にしたいこと。

 月夜の桜見物。月明かりに枝の影。白く浮かび上がる桜の花に、色づいて膨らんだ蕾の風情。柔らかな草の匂い。流れる水の音。

 二人してゲラゲラ笑った後に、ロマンチックな光景───



 ふと、死を近くに感じる。僕は深紫の夜に幻惑されている。

 夜桜は人を狂わせるって、いろんな小説で読んだ。きっと僕も、夜桜の魔法にかかったんだ。


 彼女へと手を伸ばす代わりに、僕はポケットに手を忍ばせた。鍵につけたキーホルダーを探る。偶然見つけて密かに彼女とお揃いにした、マカロンのミニチュアキーホルダー。


 何度も自分に言い聞かせる。僕は、彼女の、読書仲間。ただの、ご近所さん。




「そろそろ帰ろっか」


 くるりと振り向いて、彼女は微笑んだ。


「うちの夫、私が起こすまでは死んだように眠る人なんだけどね。一応置き手紙はしてきたの。『眠れそうにないので、ちょっと走ってきます』って」

「……スキップだけどね」

「ふふ。そうそう」


 来た道を、今度はゆっくり歩いて帰る。言葉少なに、束の間の月光浴を惜しみながら。



「……なんか、色々嫌になっちゃってさ」

「うん」

「でも、おかげで元気出た」

「よかった。スキップ、僕も楽しかった」


 何があったのかは聞かない。話したければ、話す。それが僕らの暗黙のルールだ。




「付き合ってくれて、ありがとう」


 マンションの前で、彼女は両手を前に揃えてきちんと頭を下げた。時々突拍子もないことを言うけど、こういうところは律儀なのだ。



「ねえ、美咲さん。死んだり、しないよね?」


 急に不安になって莫迦なことを尋ねると、彼女は小さく笑った。真夜中だから、声をひそめて。


「そんな予定は無いよ」


 だよね。死神なんて言うからさ、ちょっと心配しちゃった。


「おやすみなさい」

「うん。おやすみ」



 エントランスに消えていく彼女を見送って、僕は歩き出した。月に照らされた自分の、影を見つめながら。


 今夜の僕は、まるで小説の主人公みたいじゃないか。「書く」人って、今の僕のこの気持ちを、痛みを、文章にして昇華したりするのかな。少し羨ましい。

 小説なんて書かない僕は、ただ唇を噛み締めて歩く。夜桜の魔法はまだ解けない。



 こんなに切なくて胸が苦しいのは、きっと夜のせい。

 涙が溢れて止まらないのは、真夜中だからだ。




 終

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