喉仏、取れる

甘木 銭

喉仏取れる

 深夜、夜食を取り、食後の一服をしていた時。

 それはいきなり俺の顔の下から現れた。


 親指の第一関節までくらいの大きさの、金ぴかの仏像みたいなヤツ。

 そいつは、視界の下から現れて、机の上でもぞもぞと動いていた。


「なんだ、お前!?」

 思わず漏れた俺の声はいやに高く、女のようだった。


「あれ!? え!?」

「戸惑っているようだな」

 困惑する俺の耳に、ずっしりとした低音が届く。


 それは、こちらを向いた机の上の仏像だった。


「わしはのど如来。お前ののどぼとけだ」

 そう言ってそいつは、金の体からわずかに光を放ちながらふんぞり返った。


「のどぼとけ?」

「さよう」

 慌てて喉をさする。


 ない。

 本来喉にあるはずのふくらみが、そこにない。


 まさか、のどぼとけが無くなったから、声変わりする前のように高い声になってしまったと?

 まさかそんな、馬鹿らしい。


「まあ大体お前の考えている通りだ」

「俺が何考えてるか分かるのかよ」

「仏だからな」

 釈然としないが、どうやらそうらしい。


「まあいいや。こんな声じゃ困るんだよ。早く戻ってくれないと」

「配信が出来なくなるからな」

 そう言いながら、仏はどこからか取り出した小さな湯飲みで、茶をすすり出した。


 俺はネット上でそこそこ有名な配信者として活動している。

 今日も夜から配信を予定しているので、仏の言う通り、いつもの声が出せなければ困るのだ。


「しかしこちらからも言わせてもらうがな。酒にタバコに、しかも夜更かしして長々喋り続けるだろう。のどぼとけも家出したくなるくらいしんどいのだ」

 仏は仏らしからぬ調子でグチグチとそんなことを言った。


 確かにそれらにはいずれも覚えがある。

 しかし、いきなり出てきたのどぼとけなんかにとやかく言われる筋合いは無い。


「禁酒、禁煙。それから健康的な生活だ。それが出来ん限り戻らん」

 のどぼとけはそう言い張った。


 今日はもう配信の予告を出しているのに、これはまずい。


 仏はもうそれ以上俺の説得に耳を貸さなかったので、間もなく始まる配信をどうにかしなければならない。

 仕方が無いので、いつも通りの時間に話し始めた。


 別人のような声での配信に、コメント欄は大荒れだった。

 結局次回の予告も出せず、無期限での休みを余儀なくされた。


 俺のように頻繁に配信をすることでファンをつなぎとめている者にとって、この空白期間はダメージが大きい。

 一日ごとに、リスナーが離れて行ってしまうのだ。


「仏よー、なー。戻ってくれよー」

「わしの要求を聞き入れんなら、こっちも聞く耳は持たん」

 どうやら、言うことを聞くしかなさそうだった。


 それからは、毎晩の酒も食後の一服も無く、夜は十時までに寝る味気の無い生活が始まった。


 しかし、早く寝ようとしても酒も入れずにすぐ寝られるものではない。

 寝つきは最悪だ。

 日中はイライラモヤモヤとして、仕事に身が入らなかった。


 その間も仏はずっと机の上にいて、そんな俺のことをただ眺めていた。


仕事から帰る度、寝床に入る度に、もういいのではないかと思った。

仕事中、昼飯を買いに行ったコンビニで、何度もタバコを買いそうになった。


しかし、どこにいても仏に見られているような悪寒を覚えて、一歩直前で踏みとどまった。


 死んだ目で重っ苦しい心を抱える生活が十日ほど続いた。

 そして、そのころから布団に入るとすんなり眠れるようになった。


 酒もタバコもないが、頭がクリアーになる。

 コップに注いだ水道水を飲み干すと、仏が立ち上がった。


「そろそろいいか」

「へ?」

「戻ってやろ」

 それはあまりにも唐突だった。


「は!?」

「そろそろ毒が抜けただろ」

 そう言って仏は僕を呼び寄せ、それからなぜかパソコンを立ち上げさせた。


「これ見ろ」

 それは、俺の最後の配信のコメント欄だった。


 別人のような高い声で行い、大荒れしたコメント欄だ。


「見たくねえよ」

「いいから。これ」

 そう言って、仏は一つのコメントを指した。


『いつもの声が好きなのに』


「お前の声を好きだと言ってくれる奴がいるんだ、大切にしろよ」

 俺は、そのコメントをただジッと眺めていた。


「それじゃ戻るが。お前がのどを大切にしないならいつでも家出するからな」

 それだけ言い残すと、仏は俺の喉に戻って行った。


 出る時も戻る時も、するんといつの間にか移動している感じだ。


 喉を撫でる。

 出っ張っている。


「あ、あー……」

 ここ数日の子どものような声ではない。

 いつもの声だ。


「はは、戻った……」

 安心して、思わず笑ってしまう。


 とりあえず何か食おうと、棚をあさる。

 その奥には、目につくと吸ってしまうからとしまっていた、タバコの箱があった。


「……もういいか」

 俺はそれを、ゴミ箱に突っ込んだ。

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