Chocolate Cat Chance & Kiss

人生

 猫の手も借りたいが、その肉球で何が出来るというのか?




 バレンタイン前日――


「うまく出来ない美味しくない! 眠い疲れた時間がない! それに出来ても渡せる自信がない! ……はあ、あぁもう諦めて寝ちゃおうかなぁ……」


 一人の悩める少女がいた。彼女の名前は招城まねき寧々子ねねこ。道路に野晒しにされていた猫の死骸を埋葬した血塗れのその手でチョコ作りに取り掛かった、ごく普通の女の子である(もちろん手は洗っている)。


 そんな彼女は幼馴染みの男の子に渡すチョコをつくろうとしていたのだが、もう投げ出してふて寝してしまおうかと悩んでいるところだった。


 そもそもが思い付きだった。これまで儀礼的に渡すことはあってもこうして一から手作りしようなんて考えたこともなかった。しかしここ最近ヤツがなんだかモテている。危機感を覚えた寧々子はちょうどバレンタイン近いしチョコを作ろうかなーと数日前からぼんやり考えていて、前日になった今日になって午後のニュース番組のバレンタイン特集を見てついに一念発起。近所のスーパーに駆け込むも、前日ともなればチョコはもちろんその材料もほとんどない。いわゆるSDGsというやつである。恵方巻よろしく食品ロスを防ぐためにそもそもの入荷数を抑えているらしかった。それでもなんとかチョコ風味を構成できるであろうCCCチョコチップクッキーなどを揃えてさあ帰ろうとスーパーを出たところ、黒猫の亡骸を見つけてしまったのである。哀れに思い近場の林に埋葬したのだが、それでだいぶ精神力を消耗したのも原因かもしれない。そもそもが思い付きということもあって、諦めるのも早かった寧々子である。


 どうせ渡せるかも怪しいし――渡すっていうことはつまり、その先も考えないといけない訳で――いろいろ言い訳していた寧々子の脳裏に、


『人間よ、力が欲しいか?』


 突如、声が響いたのが既に零時を回ってバレンタイン当日のこと。


「だ、誰!?」


 家族はとっくに眠りについた。早く寝なさいよとリビングの照明を落とし、今やこの家で明かりが灯っているのはこのキッチンのみ。ここは田舎で外は静かだが、今の声は屋外からのものではない――


『吾輩は猫である。品種はスペースC――空を見上げ大宇宙を感じていたところ、やってきた車に気付かずあえなくひき殺された――お前が埋葬した、あの黒猫である』


 頭の中の声は語る。力が欲しいか。力を貸してやろう。埋葬してくれた礼に、吾輩の手を貸してやろう、と。


「で、でも……チョコなんて作れるの? 人間の私が作れないのに!?」


『任せなさい。どんなオス一殺いちころにするチョコを作ってあげよう』


「て、手を借りたら……後で高額請求とかされない!?」


『貸しを作ったのは吾輩である。安心するがよい、これで貸し借りゼロだ。味見は出来ないが、それ以外なら吾輩にはにゃんでも出来る――』


「なぜなら、吾輩はスペースCなのだから……!」




                   ■




 バレンタイン当日――


めぐる、あんた宛てに怪しい小包が届いてたわよ。また何を注文したの」


「はあ? そんな覚えないけど――」


 朝、犬養いぬかい家の食卓に奇妙な小包が置かれた。まったく覚えのないそれを、犬養廻少年は両親、姉の見守る前で恐る恐る開封する。


「……これは……チョコ、か?」


「チョコねぇ」


「チョコだなぁ」


「そっか、今日バレンタインじゃん。良かったねー、生まれて初めてもらったんじゃない? 手作りチョコ」


「はあ? 俺だって手作りの一つや二つ――というか、手作りなん? そんなもんが家の郵便受けに、朝から? ……いつから? ヤバくない?」


「ヤバいわねぇ」


「ヤバそうだなぁ――というか父は思ったのだが、なぜ手作りだと分かった?」


「え」


 突然の父の追及に固まる姉。まさか、と巡とは母は姉・じゅんの顔を注視する。


「まさか、作ったことがあるのか? 相手は誰だ、父さんは聞いてな、」


「まさかこれ、姉ちゃんが?」


「そういえば真っ先にバレンタインって言い出したのもあんたよねぇ」


「は、はあ!? なんで弟に手作りチョコとか! ラッピングとかされてるから手作りだって思っただけじゃん!」


 ――とまあ、朝からわんわんうるさい犬養家の面々であるが、姉のチョコ密造疑惑はさておき、朝食もまだなのに出自不明のチョコを食べる胆力はない巡である。ブツは冷蔵庫の奥に仕舞っておき、とにもかくにも登校の支度を整える。


 本日は平日、いざ学校へ――とりあえず「チョコ一個」という保険は得られたので、お菓子持ち込み禁止の学校で行われるチョコの闇取引をいちいち気にする必要もない。男としての沽券は保たれた。今日は平日、平和に過ごせることだろう――犬養巡のそんな楽観は、いつも登校中に一緒になる幼馴染みの豹変を前に打ち砕かれた。


「おはようにゃー!」


「!?」


 奇妙な語尾と共に現れた招城寧々子はその頭にネコミミとお尻にしっぽを生やしていて、周囲の目を憚ることなくすり寄ってきたうえにごろごろとノドを鳴らしながら腕を絡めてきたのである。


「な、何ごと……!?」


 幼馴染みの痴態に周囲はドン引き――というか、見て見ぬふりをしながら通り過ぎていく。恥ずかしいったらない。


「変なものでも食ったのか……?」


 どうかしてしまった幼馴染みにまとわりつかれながら、人目を気にしつつ登校すると、


「寧々子、おはよー」


「おはよー」


「!?」


 語尾にゃんが消えていた。ここまでの道中ずっと引きはがそうとしていたのが功を奏したのか腕を絡ませてくることもない。平静だ。いつもの幼馴染みに戻って――ピンと立ったネコミミだとかくねくね動くしっぽだとかの異変はそのままだが、ともあれ――周囲はその変化を気にしていない。表面上は、いつも通りだ。


(なんだったんだ……?)


 猫……。そう聞いて、巡には一つ、思い当たることがあった。


(昨日、おつかいを頼まれてスーパーに行った時――黒猫がひき逃げにあうのを目撃したんだ。俺はその亡骸を見て見ぬふりをした……。まさか、あの猫の霊が寧々子にとり憑いて? でもどうして俺じゃなくあいつを祟るんだ……)


 霊といえば、この学校には「霊が視える」と噂されている先輩がいる。本人が吹聴しているのではなく、周りからそう囁かれているのだ。物は試しだ、昼休みに話を聞きにいこう――


 そして昼休みになると、寧々子は再び巡に絡みついてきた。語尾にゃんも、人目が少なくなると戻ってきた。やはりこれは本人の意志なのか? いいや――それはとっても恥ずかしすぎる。共感性羞恥に襲われる。これはやっぱり霊障だ。祟りに違いない。そう思い、巡は寧々子を引き連れ、件の先輩に会いに行った。


「……はあ? ひき逃げにあった猫の幽霊が取り憑いてるかもしれない? 何言ってんの馬鹿馬鹿しい。幽霊とか本気で信じてるの? 仮にいたとしても、なんで犯人でもないあなたの、しかもその幼馴染みに取り憑くわけ? それに、猫が一日の大半を寝ているのは別の場所に存在するもう一匹の自分と意識を共有しているという説があるから、片方が死んだからって霊になるとは限らないのよ。でもそんなに気になるならお寺とか神社に行ってみたらいいんじゃないの」


「お祓いとか……」


「視えるからって祓えるってどういう理屈よ。成仏させたいならマタタビとかなんか猫の好きそうなものあげるとか、逆に嫌いなものをあげて追い払ったらいいんじゃないの」


「どうも、ありがとうございました……」


 マタタビか――そんなものどこに売っているのだろう。それより、猫の嫌いなものを渡す方が早いかもしれない。


(キャットアンドチョコレート……)


 本日はバレンタイン。チョコならいくらでも裏で取引されているし、義理チョコなら靴箱にも入っていた。これを食べさせれば解決すると思っていたのだが、


「しゃー!」


「く、さすがに直には無理か――」


「君、それはチョコだね!? 没収します!」


 突如現れた風紀委員に違法チョコを全て没収されてしまう。こうなったら現状、打つ手はない。放課後、近所に神社を訪ねつつ、スーパーやコンビニを巡ったり――例の猫の亡骸を埋めてあげようと巡は考えた。


 そして放課後、


「えすでぃじーず!!」


 バレンタイン当日の午後ということもあって、近場のお店にチョコは一つもなかった。その上、黒猫の死骸も既に片付けられていた。とりあえず現場で手を合わせてみたり、神社にも行ってみたのだが、幼馴染みに変化はない。むしろひと気のないところに行くほど発情期みたいにすり寄ってくる――


(……そうだ! 確か家に、謎のチョコが……あれを食べさせるのには多少の不安も残るが――というかどうやって食べさせる――)


 誰もいない実家に帰宅する。父は仕事、母は習い事、姉は大学かバイトだろう――


「にゃぁーお」


 これが本当の猫なで声というやつか、いよいよ発情期めいてきた。きっと子孫を残せずに死んだ猫の無念なのだろう――いつにも増して、というか、他人を見てこんなにどきどきさせられるなんて生まれて初めての経験で、


(ごくり)


 誰もいない家、二人きり――相手は超その気――これは人生に一度あるかどうかという大チャンスなのでは? ――と、思春期真っ盛りの少年の中で悪魔が囁く。


『少年よ、欲望に身を任せるのもけっこうですが、』


「あ、頭の中で声が……!?』


『吾輩は天使――呪いをかけられたお姫様を救う方法、そんなこと、猫でも分かりますよ。さぁ、どうせその気なら、やっておしまい』


「や、やれって――まさか! でも、確かにそれならチョコを食べさせられる――いやでもしかし、こいつ正気じゃないのにそんなこと――ええい、なるようになれ!」


 少年は謎のチョコを口に含んだ。



 ――それをどうしたのかは、猫でも分かりますね。



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