捨てられ王子は最果てで拾われる

真朱マロ

第1話 捨てられ王子は最果てで拾われる

 大国ハランヴァと最果てのマカン国の国境は、爽やかな風の吹く草原だった。

 広葉樹の連なる穏やかな森を抜けると、目の前に広がるのは緩衝地帯である穏やかな草原と、その先にそそり立つ険しい山岳地帯である。

 目に見えるのは武骨な岩肌が多く、上部ほど緑が少ない。

 山裾に広がる緑の森も、たった今抜けた森の穏やかな広葉樹とは葉の色が違い、暗緑色に塗り込められ、うっそりと茂り暗い色をしていた。

 

 待ち受けるタクラ山脈の険しさに目を見開いて、森を抜けた少年は思わず馬を止める。

 国境に関所は必要がないと言われる訳を、見ただけで納得してしまった。

 雄大と簡単に言い切れぬほど、過酷な土地に見えたのだ。


 口元を引き締めた少年に続くのは数名の護衛騎士と数名の官吏という貧相な一団ではあるが、少年はハランヴァの第一王子だった。

 

 先日までは正妃の生んだ第一王子のヒューバートで王太子であったが、後ろ盾の正妃と祖父が亡くなった。

 そこで台頭してきたのは、側妃だった現王妃と、王妃を輩出した侯爵家である。

 もとより力のある侯爵家が、王家の威光も得た事で、新当主となった叔父は早々に元側妃の生んだ第二王子についた。


 叔父に見捨てられ次期国王としての未来を失ったが、ヒューバートは非常に才に恵まれた少年だった。

 王太子となった第二王子は非常に凡庸なので、才知に富んだ第一王子は王太子の座を失っても厄介者となり果てた。

 厄介者を婚約者として放逐して「命を守るためだ」とうそぶくのも、良くある話だ。


 現在のヒューバートは14歳。

 王配として婚姻を結ぶには早いが、婚約者として他国へ婿入りすることが決まったのである。

 

 いくつかの国に王配の打診を出し、早々に了承したのがマカンだった。

 最果ての国という認識で、その実態は謎に包まれている。

 タクラ山脈に遮られた弱小国というイメージが定着したのは、彼らは諸外国との交流が薄いのだ。

 閉鎖的ではないが地理的な問題が大きいので、危険な要素を感じないので小国とされている。


 奥に控えた峰の険しさで草原の広さもかすみ、ヒューバートは文献で読み漁った知識の薄っぺらさを知った。

 これほどの地で暮らせる人々が、脆弱であるわけがないのだ。


 祖国からはゴミのように捨てられる不用品だが、生き抜くにはふさわしい地だ。

 マカンの姿をこの目に焼き付け、居場所を作り、いつかハランヴァの奴らを見返してやると心に決めた。


 ふと、気付く。

 草原の果て。山脈に続く濃い緑の山裾の手前に、異様な一団がいた。

 人数だけ見れば十名程度で、さほど多くない。

 しかし、彼らの傍で伏せている騎獣は、見慣れぬ生き物ばかりだった。

 見た目だけは狼や鷲や馬に似ていたが、そのサイズも人間を難なく三・四人は運べそうなほどの巨体で、それぞれに巨大な魔力も感じる。

 しばし戸惑ったものの、ヒューバートは怯える馬をなだめながら、一団に向かって馬を進めた。


 彼らの掲げた旗が、ハランヴァとマカンの紋をともに描き、歓迎の意を示していた。

 怯えるこちらの馬を気遣ったのか、マカンの使者の数名がこちらへと歩いてくる。

 あと数十メートルで、互いの距離がゼロとなる。

 祖国との縁が完全に切れる痛みに、唇をかみしめた。


 その時である。

 キラリ、とタクラ山脈の頂で、光がきらめいた。

 なんだ? と思う間もなく、光は放たれた矢のように天に駆け、クルリと空をまわるとヒューバートの前に舞い降りる。

 驚きすぎると馬も人も変わらず、ただあっけにとられて立ち尽くすことしかできない。


 竜だった。漆黒の鱗が陽光を反射している。

 豊かなたてがみは黒々として豊かで、青い瞳は宝石のようだ。

 天翔ける翼と勇猛なその姿は、空の王者にふさわしい一頭の竜だった。

 その背から降りたのは、騎乗の衣装が良く似合う髪の長い少女だった。


「私の名はイリス・アルティメット・ディ・マカン。マカンの第一王女である。我が夫を迎えに来た。」


 スッと右手を出され、ヒューバートは正気に戻った。

 素早く馬から降り、イリスと握手を交わす。

 戸惑いがちに手を添えたら痛いぐらい力を籠められ、驚きに目を合わせるとイリスはニヤッと笑った。


「しょせん、同い年だ。薄幸の美少年という触れ込みだったが、いい目をしている。末永く縁あることを願い、貴殿を心から歓迎する」


 サバサバした物言いに、これではどちらが王子かわからないと思いながら、同じように握手する右手に力を込めた。


「私の名はヒューバート・ランカスト・ディ・ハランヴァ。ハランヴァの第一王子だ。貴女を末永く、支え、尽くし、王配として力を尽くすことを誓う。貴女がたの歓迎を、心から嬉しく思っている」

「互いに名が長いな。私はイリスだ。我が夫のことは、ヒューと呼ぶが良いか?」


 この瞬間からヒューバートは、ヒューとなった。

 同意を込めてうなずくと、楽しそうにイリスは笑った。

 そして竜が登場してから、立ちすくむハランヴァの一行に目をやった。

 

「ヒューの他にマカンで暮らす猛者はいるのか?」

 いいえ、と歯切れの悪い言葉で一行が頭を下げるので、イリスは侮蔑の目を向けた。

 そしてヒューの荷物がトランクふたつと身に着けた旅装だけと知って、快活に笑い出す。


「ハランヴァは心根まで貧しいな。そちらの都合はどうでもいいが、約定は忘れるなと王に伝えよ」


 言葉の棘に憤怒の表情を護衛たちは見せたが、イリスの横からヒョイと竜が顔を出すと、それだけで青くなった。

 ブルブルと震えだした連中を無視して、マカンの一団はそれぞれの騎獣の背に乗る。

 ヒューは当たり前のように竜の背に引き上げられた。


 別れの言葉もなく、細い腰に手を回すと竜は天高く羽ばたいた。

 あっという間に辿り着いた空はどこまでも青く、翼の下には雄大な山脈が広がっていた。

 広く感じた草原も、手のひらほどに狭い。

 それでも、そそり立つ山岳はどこまでも巨大だった。


 竜の飛行速度は風のようで、山岳を越えると冷たい空気が頬を打つ。

 下に広がる大地は、幾重にも姿を変える。


 切り立った崖の下に広がる深淵を見た。

 天蓋に輝く太陽が頂点に近づき、差し込む陽の光に、崖下にも色が生まれていく。

 靄が崖下からの風に乗って渦となり、ゴツゴツした岩肌にぶつかりながら細く別れて竜のようにうねる。


 乾いた荒野もあった。

 わずかな雑木と転がる岩とうろつく獣。

 水地の側に群れる生の息吹。


 荒地の先で、頬を打つ砂漠の風は乾いていた。

 空の上でも昼の余韻で焼けるような熱を帯び、叩きつける強さでうなりをあげる。

 細かな砂が巻き上がり波紋を無数に描き、つい先ほどまで見えていた岩を飲み込んでいく様子がはるか下に見えた。


 とうとう、青く輝く海にたどり着く。

 どこまでも青く澄んで、はるか遠くにある水平線が輝いていた。


「ここがマカンの果てだ。いずれすべてを見せるが、樹海も草原も耕地もある。翼人も獣人も人魚もいる。我らは人族の代表。異種族との共存は手ごわいぞ」


 人間同士でチマチマと争っていた自国との違いに、ヒューはクラクラする。

 見ているものも、考える先も、思い描く国の在り方まで、いままでと違いすぎた。

 貧しい、と遠慮なくイリスが言い放った理由が、この広大な国土を見ただけで身に染みる。


「広いな」

「ああ」

「そして、異種族との共存は重い」

「当然だ。そのための我らだ」


 期待している、と微笑まれ、ヒューはうなずいた。

 きっかけはどうあれ、イリスの王配はやりがいに満ちている。

 目の前に広がるのは、雄大な国土と心躍る未来だった。

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