探偵の相棒
サトウ・レン
探偵の相棒
怒髪天を衝くとは、まさにこんな感情のことを言うのだろう。それぐらいオレは怒っている。もしかしたら、ここ百年ほどで、一番かもしれない。
「いやぁ、たったひとりの探偵事務所としては、いつも猫の手も借りたい状態ですよ。誰か無給で働いてくれる相棒いないかなぁ、なんてよく考えています」
と笑った時のあいつの顔、いま思い出しても腹が立つ。あの顔、引っ掻いてくりゃ、良かったかな。興味本位に訪ねてきた雑誌記者の取材に乗せられて、ちょっと気の大きいことを言ってるだけなんてのは分かってはいるが、今回は我慢の限界だ。
オレは怒りに任せて、家を飛び出した。
家、というのは、
あいつは気付いてもいないだろうが、オレは結構長生きだ。こういうオレみたいな存在を、人間の社会では、妖怪だなんだ、と言うらしいが、そんなの勘付いているやつさえいないだろう。
むかしは有名な小説家に飼われていたこともある。
「とかくに人の世は住みにくい」なんて、オレを抱きながら、そんなことぼやいていた、っけ。あの頃はまだ能力もたいしたことなかったが、長い年月、人間社会にとけ込んできた結果か、オレはひとと話すことはできないが、人間の言葉を解することは問題ない。人間社会のことも、それなりに詳しい。だからその言葉の意味も分かるし、かつてのあのひとが、オレをモデルにして、小説を書いたことだって知っている。
あの小説のように、名前はまだない、とでも言いたいところだが、大体人間社会と交われば、なんらかの名前は付けられる。ついさっきまで相棒だった葛原からも、オレはひどくセンスのない名前を付けられていた。オレは人間のことをよく知っている猫だから、それが人間たちにとっても、ダサい名前だ、と知っている。すくなくともペットに付ける名前ではない。はじめて会った時から、その名前で、馴れ馴れしく呼びかけてきたのだ。むかし会ったことのある猫に、オレがそっくりらしい。
長話になっちまったが、とりあえずそんなこんなで、オレは家出中だ。
そして久し振りに一匹で遠出すると、道に迷ってしまった。いま住んでいる町からは、もう離れてしまった気もする。
ここ、どこだ……。
小川に、灰色のくすんだ色をした橋が架かっている。別になんてことのない普通の橋だ。だが、ここは危険かもしれない、とオレの直感が告げていた。やっぱり帰ろうかな、とも思ったが、あのへらへらと笑うあいつの顔を思い出すと、また腹が立ってきて、オレはその橋を、駆けるように、通り過ぎる。
その先には、公園がある。
一度も見たことのない公園だ。自分の住んでいる付近の公園や空き地のことなら、ほぼすべて知っているが、隣町以上離れると、もう何も分からない。ただ、いままでいた場所よりも、ずっと田舎町なのかもしれない。どこか懐かしい感じがする。
「ちゃんと来いよ!」
オレが辺りを見回していると、怒鳴り声が聞こえた。声のほうを見ると、四人のくらいのランドセルを担いだ少年たちが、ひとりの少年を取り囲んでいる。中心にいる少年は気弱そうで、いまにも泣きそうだ。大丈夫かな、あれ。
「う、うん」
「大丈夫。そのくらい、みんなやってるから」
「最初は、俺も怖かったけど、一回すれば、たいしたことないさ」
何のことか、までは分からなかったが、四人の少年が、ひとりの少年に何かをさせようとしているのは分かった。そして話が終わったのか、少年たちが散り散りになっていく。なんかちょっとやばそうな雰囲気だな。でもまぁいいや、オレには関係のない話だ。
……と思っていたのだが、結局オレは、その気弱な少年の背を追っていた。
とぼとぼと歩くそいつの背を見ると、オレはどうしてもオレの相棒のことを思い出してしまう。雰囲気がちょっと似てるのだ。まぁあっちはオレのことを相棒なんて思っていないみたいだがな。
「おおー、お前は俺の最高の相棒だ。俺の、三毛猫ホームズだよ」
出会って間もない頃、オレ達はある殺人事件に関わったことがある。葛原は確かに探偵を名乗っているが、さっきも言ったように、本質はただの便利屋だ。殺人事件に関わることなんて、まず、ない。後にも先にも、それ一回だけだ。ただあの一回のみ、葛原は本当の名探偵になったことがある。遺産相続をめぐって愛憎渦巻くお屋敷に、オレ達は招かれたことがあるのだ。オレ達、というか、実際に招かれたのは、葛原だけ、だが。
別にあいつが論理的に謎を解いて、事件を解決したわけじゃない。推理小説が好きなくせに、あいつの論理的な思考力は皆無だ。
たまたまオレが殺人の瞬間に居合わせただけだ。その時に犯人の足を引っ掻いて、それを葛原にそれとなく指し示した。オレはあまりひとの死に興味がない、と思っていた。それは人間の中に、猫の死に興味がない者がいるのと同じように。だけどいつの間にか、何百年も人間と関わるうちに、その感覚が変わってきたのかもしれない。オレは、事件の真相を必死に伝えようとしていた。
そしてオレのメッセージに気付いたあいつが、
事件を解決し、オレのことを最高の相棒、と言った。
それなのに……、
むかしのことだから、忘れちまったのかな。オレもおとなげないとは思うが、やっぱり悔しかったんだ。というか、気付いてないんだろうが、ペット探しとかも、ほとんどオレの力で見つけてんだからな。
少年を追い掛けると、そこには一軒家がある。豪邸、とまでは言わないが、結構な大きさだ。あの貧乏探偵事務所とは大違いだ。葛原は残念ながら殺人事件を解決しても、有名になったりはしなかった。あの町で、名探偵を必要とするほどの事件は、そんなに起こらない。それよりも、浮気調査をしてくれるひとのほうが、ずっと求められている。有名になるためには、そっちに精を出すべきなのだ。
「でも、あの瞬間、俺、さ。はじめて〈本物〉になれた気がしたんだ」
と、あいつは言っていたが……。
あぁまたあいつのこと、考えている。くそっ。いまはそんなことより、あの少年のことだ。十歳くらいだろうか。窓から、リビングの様子が見える。キャビネットの引き出しがあり、少年がそこから財布を取り出した。それを見て、気付いてしまった。オレはどうしようか迷った。はっきり言えば、見逃したところで、オレは誰からも咎められることはない。猫だから、だ。で、やっぱりむかしなら、こういうのを見ても、オレは無視していたはずなのだ。
でも、オレは窓に向かって、タックルしていた。
少年が、止めて欲しそうな表情を浮かべていたからだ。
がん、がん、と大きな音が鳴った。
「いきなり、びっくりしたよ」
オレはいま、少年の部屋にいる。結局、彼が財布からお金を盗ることはなかった。意識がオレに向いたことによって、覚悟の感情が逸れたのかもしれない。窓を開けた少年は、ありがとう、と言った。何のことか分からないだろうけど、と続けて。オレが分かっているとも知らずに、彼がオレの頭を撫でた。
少年の部屋をぐるりと見回すと、たくさんの本がある。見知ったタイトルが多い。葛原と同じで、少年も推理小説が好きなのだろう。オレが興味を持った、と思ったのか、彼がほほ笑んだ。
そして話をはじめた。
「ゲーセンに行こう、って言われてね。子ども達だけで行くのは禁止だし、あんまり行きたくなかったんだけど、断って、無視されちゃったら嫌だな、って思って。でも自由なお金もすくないし、それで、さ」彼自身は独り言のようなつもりで話しているのだろうが、ちゃんと伝わっている。「あいつら、僕に自分たちのぶんも払わせたくて、誘ったんだと思うし、だから、ちょっとお母さんの財布に、ってね。たぶんお前がいなかったら、盗ってた。ゲーセンは、ちゃんと断るよ。僕は小説、それもミステリが好きなんだ。無理に誰かと一緒にいるより、ひとりで静かに本を読んでるほうが好きだ。嫌いなことより、好きなことをしたい」
言葉を返すことが、オレにはできない。でも一方的にしゃべって、満足したようだ。
「そう言えば、名前は……? って、答えてくれるわけないか。うーん、なんて、呼ぼう。あっ、そうだ。ポンズにしよう。お前の名前は、ポンズだ」
オレを帰そうと抱きかかえてリビングまで来たところで、彼が言った。
あぁ、そういうことか……、全部分かってしまった。
テーブルには、ポン酢がある。そこから命名したのだろう。でも重要なのは、そこじゃない。
別れ際、
「明日も、また来てくれるよな?」
と少年が言った。
悪い。無理なんだ。だってオレには帰るべき、いまがあるのだから。とはいえ、それを伝えるすべがオレにはない。もしかしたら彼は、次の日も、その次の日も、待っていたのかもしれない。
だとしたら、だいぶ待たせたわけだ。
オレは辿ってきた道を戻りはじめ、そしてあの小川に架かる橋を目指した。あそこは、オレ達の未来へ、と続いているのだから。
結局オレはどのくらい、あっちの世界にいたのだろう。
葛原探偵事務所に入ると、うちのたったひとりの探偵が、酒に溺れていた。おいおい、泣くなよ、と思いながらも、ちょっと嬉しかった。
「ポンズ、ポンズー、どこ行ったんだよ。俺達、相棒だろ。勝手にいなくなるなよー」
まったく、世話の焼ける。
ちょっとむかしに、な。なぁ相棒、お前がむかし会った、っていう猫、どうやらオレだったみたいだわ。
探偵の相棒 サトウ・レン @ryose
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