王子様(仮)は猫が良かった

佐古間

王子様(仮)は猫が良かった

 時計の針が零時を回って四月一日になると、王国中が淡い桃色の光に包まれて、春の妖精が悪戯の魔法をかける。

 王国内で最も有名な絵本に書かれたおとぎ話は、この「春の妖精の悪戯」をもとにしている。痩せた黒猫が、妖精の魔法で一日だけ人間の姿になって、食べたかったもの・やりたかったこと・行きたかった場所を巡ったあと、猫に戻ってしまうストーリーだ。

「ペペは“黒猫と春の妖精”とは真逆だよねぇ」

 目の前の現実から逃避するように、のんびりとした口調で問いかければ、私の膝上に乗った黒猫は「なぁう」と不満そうな声を上げた。黒猫の名前はペペ――ではなく、ペルペチオ・クラック子爵という。毛艶がよく、黄金色のくっきりとした瞳を持った、短毛の猫だ。

 といっても、本当に猫なわけではない。ペルペチオ――ペペはこの国の宰相補佐を務めており、クラック侯爵の嫡男であり、後継者であり――私の側近の一人だった。



 「春の妖精の悪戯」は、この国ではそう悪いものではない。

 風物詩のような扱いで、ひっそりと楽しみにしている人も多い。どうあってもこの日は正常に生活できないので、四月一日は王国全体の「休息日」だ。

 本来なら「春まつり」でも開いて祭事にしてしまうのが良いのだろうが、生憎と祭事を恙なく運営できる保証もないので、この日ばかりは王宮内も「休息日」で静まり返るのである。

 どんな悪戯なのかと言えば、「黒猫と春の妖精」の絵本と殆ど同じだ。“自分”とは別の何かに作り替えられてしまう。ただし、効力があるのは四月一日の一日だけ。

 “何”になるのかは決まっておらず、その年その年で違う。大人が子供になることもあれば、人間が動物になることもある。唯一、魔法がかかるのは人間だけなので、絵本のように動物が人間になったりしないのが救いだった。



 そういうわけで、ペペは今年黒猫になっていた。

 何故この黒猫がペペだとわかったのかと言えば、これ見よがしに宰相補佐のブローチをくわえて、私の執務室前に居座っていたからである。私が執務室にやってきたとき、ペペは「さっさと入れろ」と言わんばかりに髭をひくひくさせていた。

「良いよなぁ、ペペは……私も人間じゃない何かになりたかった……」

 今日は「休息日」で、基本的にあらゆることがストップしてしまうので――動ける人、つまり、人間的知能と理性を有したままだった人、が最低限仕事を回すことになっている。

 あらゆることについて、四月一日を考慮したスケジュールで動いてはいるものの、イレギュラーはいつだって発生するし、この日が国の弱点になってはいけない。ある程度は止めずに仕事を回し続ける必要があった。

 ペペをゆっくり撫でると、膝の上のペペは少し眠そうに身じろぎをした。私も過去、動物になった経験があるのでわかるが、動物になっても変わったのは“体”だけなので、精神も知能も元のままなのだ。ただし、“体”の影響で眠くなりやすかったり、怒りっぽくなったりする。ペペも同じ状態で、しっかりと自我はあるが、“猫”に引きずられて眠くなっているのだろう。

 私は机の上の書類を睨みつけながら、はあ、と深いため息を吐いた。今日は使用人たちも最低限で回しているので、王族と言えど自分で茶を入れねばならない。まあ、茶くらい普段から自分で入れているのだけど。

(なんだって、女性はこんなに窮屈なんだ)

 ペペがいるので――不用意な発言は元に戻った時に揶揄われるので――心中だけで不満を漏らす。

 私の本来の性別は男性で、この国の第一王子で、来年立太子予定の次期国王、である。

 本来なら威厳があるはずの立場なのだが、それも今日は意味がない。

 朝、目覚めたら私の体は可憐な女性の姿になっていて、クローゼットの中の服が着用できなくなっていた。今着ているのは姉のドレスだ。その姉は豊かな肉体を逞しい男体に変えていて、私の服と取り換えっこをした次第である。現国王たる父は十歳ばかりの子供に、王妃たる母は大型犬に変わっていたので、今は二人仲良く中庭で遊びまわっていると聞いた。頭が痛い。

 王族で二人も動ける状態だったのを幸いとみるべきか、不幸とみるべきか。結局一日限りなので、楽しむしかないのだが。



「えーと、南部の不作による支援金の予算案……」

 膝の上のペペを放っておいて、書類に向き直る。今のところは落ち着いて仕事ができていた。通常の業務は、の話だ。

(ただ、そろそろ始まる頃か……)

 ちらり、と時計を見る。もう昼になろうかという時間。

 通常業務は普段から調整しているので、それほど大したことではない。むしろ普段よりも少ないくらいだ。問題なのはこれからだった。

 とんとん、と執務室の扉が叩かれる。返事をすると入ってきたのは見慣れぬ青年。どこか見覚えのある面差しで、首を捻った。

「失礼します、殿下。倅がお世話になっております」

 恭しく礼をした青年は、倅、と言いながら私の膝の辺りに視線を向けた。丁度机で隠れているが、そこにはペペが乗っている。

 となれば、この青年はクラック侯爵である。ペペの父親である侯爵は、私の父と幼馴染で、幼い頃から父の補佐をしてきた人物だ。現在は宰相職を務め、国政の中枢にいる。

 侯爵は本来、顔に深みが出はじめて、髪も白く染まり始めるような年齢だったが、今は私より少し年上くらいの青年の姿だ。ただ、単なる若返りとも思えない。顔立ちはクラック侯爵に似ている気がするが、後ろでまとめた長髪はやや癖毛で、侯爵のまっすぐな髪とは異なるし、つり目のはずの瞳も今は優し気なたれ目である。

 疑問のまま、まじまじと侯爵を見つめていると、侯爵はからりと笑って「驚かれたでしょう、今年は入れ替わりだったんです」と両手を広げて見せた。

「入れ替わりですか?」

「甥の体と入れ替わりましてね。今朝早くに甥が慌ててやってきたのですが、現れたのが自分の体だったので驚きました。鏡を見れば私は甥の姿じゃないですか。せっかくなのでこの姿を満喫しています」

 やはり若いとはいいですねぇ、と侯爵はにんまり笑う。

「殿下はまた可愛らしいお姿ですね。そのドレスは王女殿下の?」

「はい。殿下は男性の姿になっておられましたので、互いに互いの服を貸し合えました」

 侯爵は納得したように「よくお似合いですよ」と言った。確かに女性の姿の今の私は可憐だが、素直に嬉しいとも思えない。

 一瞬むっとしたのが分かったのだろう、侯爵は肩を竦めて話を切ると、「急な案件です」と真面目な表情に戻った。急な案件、だが、妖精の悪戯の話ができるくらいには急ぎではない案件。

「“悪戯”に便乗した市民が、中央広場の妖精像三体を倒しました。これによって噴水の一部が破損、広場が水浸しになっております」

「……水流は止めたんですよね?」

「現在は。ですが管理局への連絡がスムーズにいかず、一度水の威力を強めてしまったため、広場周辺の一部店舗に浸水被害が出ています」

 はあ、と、深いため息を吐いた。声に反応したように、ペペがぱちりと目を開ける。

「それと、例年通りですが今年も鳥の被害が出ています。確認する限りで三件、鳥の群れに襲われたという報告が」

「被害規模は?」

「例年通り、そこまで大きくありません。頭をつっつかれた通行人が五名。店舗屋根への糞被害が一か所。ああ、例年にないのがありましたね、買ったパンを持ち去られたのが一件」

 沈黙を返事とした。つかつかとこちらに寄ってきた侯爵は、「それから、」となおも話を続ける。私は耐え切れなくなってペペの背中を何度も撫でた。そうしないと、叫びながら逃げ出していただろう。

 どうも、「悪戯」で体が変わると、気が大きくなる人が多いらしい。毎年くだらない悪戯から大規模な迷惑行為まで、多種多様な被害が報告されてくる。当然、取り締まり、管理する部門も通常の機能を保てていないので、無法地帯のようなものなのだ。

 王宮内で今日、動ける、ということは、この無尽蔵に湧いてくるトラブルを、片端から片付けなくてはならない、ということ。

「……猫の手も借りたい……」

 一通り報告を終えた侯爵は、「それでは、私は噴水の方へ向かいますので」と爽やかな笑みと共に退室していった。彼は仕事中毒の気があるので、若い体で動き回れるのが楽しいのだろう。私にその感覚は分からない。

 急に増えた書類の束を――まあ、既に書類化されている時点で侯爵の有能さがわかるのだが――睨みつけながら、浅く椅子に腰かける。膝から腹近くに移動していたペペは、ひょい、と私の体を踏みつけ机に乗ると、「にゃ!」と元気な声を上げた。

「え? なに?」

「にゃ、なーぁう、にゃあ!」

 何かを言いたいらしい。ぺしぺし、と書類の束を叩くので、一番上の書類をペペの前に置いてやった。鳥害報告書である。人的被害は医療費の保険適用とするが、物的被害の補填をどのくらい出すのかが問題だった。明日以降、被害範囲も調べねばならない。

「にゃう、うー!」

 ひくひくと髭をひくつかせながら書類を眺めていたペペは、唸るような声を上げると、ペン――は持てないので、インク壺に爪の先っちょを突っ込んだ。そのまま書類に押し付ける。

「お、おお!?」

 本当に手伝ってくれるのか――!? と、私は期待の眼差しを書類に向けた。正確にはペペの爪に。

 よく尖った爪でペペが文字を書くように細かく前足を動かしていく。普段と同じ速度で動く前足に期待値はどんどんと上昇した。まさか、本当に? 猫でも仕事ができるなど、やっぱりペペは私の側近なだけある――

「まあ、だよね」

 出来上がった書類は、爪でひっかかれて無残な姿になっていた。とてもではないがこの書類は使えない。作成からやり直しである。

「なあぅ……」

 ペペが物悲し気な声で鳴いた。泣きたいのは私の方だが、くるりとこちらを向いたペペの姿はやはり大変愛らしかったので、とてもではないが私には叱ることなどできなかった。

 せめて膝の上で癒してくれ。頼む。

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