え? これはなんだ……!?
初見では、非常に困惑しました。しかし、それこそ作者様の狙いなのかもしれません。本作は今では失われてしまった、幼き日々の感性を再現する試みです。
本作を読んで、やはり幼い頃には独特な感性を持っていたのだとほろ苦さを感じると共に、それが既に失われてしまっていることに対する喪失感を覚えました。口に出して読み、ひとつの響にしたことが余計にそうさせたのかもしれません。
幼き日の思い出など、再現しようと思っても容易にできるものではありません。文字情報のみで再構成をしようとするのなら尚更でしょう。しかし、作者様の試みはまさにそうしたことであり、感服いたしました。
目の前に広がるは、幼き日の世界……
「……つまるところ、そのほうの旅とは、まさに思い出のなかの旅なのだ!」
――イタロ・カルヴィーノ(米川良夫訳)『見えない都市』
最初に頭に浮かんだのは、夏休みの宿題を代行するプロでした。
幼い様子ながらも、シーンは洗練として意識の流れも少なかったためです。
その印象が崩れたのは、読み進めていく内に現れた語り手の情緒でした。幼少期特有の脱抑制された好奇心は物語の推進力になると同時に、その人の内面を強く描き出します。
読者は時に我が身を振り返りながら、あるいは推し量りながら、語られる人を読むことになりますが、その過程で物語を覆う文体への違和感は薄れていきます。
そして作者の思い出であることを再認するに至り、文体への目は完成します。私自身覚えのある経験も多く、読み終えた後も余韻がしばらく残る読書体験となりました。