魔女の手料理

かなぶん

魔女の手料理

「んにゃ? 迷い人かにゃ?」

 黒に塗りつぶされた世界で、やけにくっきりと見える少女がこちらを見て言った。

 年の頃は10歳くらいか。

 オレンジに白が入り交じった奇抜な髪色に、金の瞳。

 それともこれは、黒ばかりの中で直前に見つけた猫の色彩の名残か。

 そう思って少女を見れば、髪型の飛び跳ね具合が猫の耳のようにも見えるし、僅かに上がる口の両端も、そこから覗く八重歯も猫のようだ。

 背中からひょろりと覗く尻尾も――

(……尻尾?)

 ぎょっとして目を瞬かせる。

 だが、どうやら見間違いではないようだ。

 確かに少女には尻尾があり、しかも猫のそれのようにゆるりと動いている。

「はは……」

 力ない笑いが漏れた。

 こんな訳の分からない場所で、配色はさておき、ようやく会えた人間と思っていたのに、すんなり人で終わってはくれないか。

「んん? にゃにか面白いことでもあったかにゃ? それは良かった」

 にゃはにゃは笑う少女は、伸びを一つ。

「さて、と。そろそろ行こうかにゃ。あんまり遅くにゃると、暫定ご主人と魔女様に怒られちゃうし」

 誰に向けてでもなくそう言うと、背中を向けた少女が歩き出す。

 これにより、はっきりと腰の下から生える尻尾を目撃するが、今はもう、気にしている状況ではない。

 黒一色のこんな場所でようやく見つけた色なのだ。置いて行かれては困る。

 しかもこんな少女を一人で行かせるなんて……。

「あの! その、一緒に行っていいかな? 迷ってしまって……そ、それに、最近はこの辺も物騒だからさ。君ぐらいの子を狙うヤツもいるらしいし……」

 思わず声をかけたが、言えば言うほど情けない気持ちになってくる。自分の半分も生きているか分からない子どもを、頼りにしなければならないなど。

 だが、場所が場所だ。

 こんなところでプライドを持ち出す方がどうかしている、と自分に言い聞かせる。

 それに、少女へ向けて言ったことも嘘ではない。

 最近この辺りでは変質者が出ると言われていた。

 傷害とまではいかないものの、幼い子どもが一人でいると、急に近づいてきたり、逃げると追いかけてきたりすると。

 一応、警察が巡回に来ているとも聞くが、変質者はまだ捕まっていないらしい。

 ――少なくとも、自分は知らない。

 どうだろうか、と伺うように見れば、立ち止まった少女がくるりと振り返り、唇に指を一本押し当てる。

「んーと? つまりお兄さん、迷子かにゃ?」

「っぐ……」

 できれば変質者の方を拾って欲しかった。

 一度は捨てたプライドだが、改めて少女の口から言われると惜しくなる。

 それでもなんとか拾わないように努め、こくりと頷けば、少女のオレンジの眉がぐぐっと寄った。何かを考える素振りに、駄目なのかと思っていれば、

「よし、分かった! アタシに任せて! でもって、暫定ご主人と魔女様に会ったら、ミミに助けて貰ったって言ってにぇ!」

「うっ……」

 その上この場にいない誰かに、助けられたことを言えと言うのか。

 辛い。辛いが……致し方ない。

「わ、分かった。言うよ。助けて貰ったって……」

「やった! 約束だよ! じゃあ、こっち!」

「ま、待ってくれ!」

 こちらの悲哀など欠片も気づかない少女は、喜びにぴょんぴょん跳ね、その勢いで移動し始める。すぐに黒い景色へ消えていこうとする姿に、慌ててその後を追った。


 しばらく歩みを進める中で、沈黙も苦しいと話しかければ帰ってくる答え。

 少女は名を「ミミ」というそうだ。

 猫っぽい見た目通りの名前だなと呟いたなら、その通り、自分は猫だと言う。

 ……子どもの間で、そういうごっこ遊びが流行っているのだろうか?

 そう思って、ミミが言っていた「暫定ご主人と魔女様」について尋ねたなら、「暫定ご主人」は今世話になっているところの主だから「暫定ご主人」で、「魔女様」はすごいから「魔女様」なのだと返ってきた。

 全く要領を得ない。

 説明になっていない説明に、何とも言えない気持ちになっていれば、更に何とも言えない気持ちになることをミミは続けて言う。

 自分の将来の夢は、ヒモなのだと。

 ヒモ……

 そう言われるモノを一瞬想像したが、いやいや、こんな少女が言うモノではないし、そもそもアレは女ではなく男を指した言葉のはず。そう思って「ど、どんな紐になりたいんだい?」と、それはそれで質問として正しいのか悩む問いかけをしたなら、にぱっと輝く笑顔で彼女は言った。

 アタシが何もしにゃくても、楽して豪遊できる素敵にゃ職業だよ――と。

 極めつけに、だからご主人を探しているにょ!、とまで言われた日には……。

 言葉数も少なくなり、次第にミミの後に続くだけになっていれば、立ち止まった彼女が顔を横に捻る。

 それは、話している最中にも何度か目にした光景であり、話が尽きた今、見過ごせない事実に行き当たった。

「ミミ……もしかして……」

 迷ってる?

 そんなまさか、プライドを捨ててここまで従ったのにそんな。

 嘘だろ、という気持ちでいたなら、にゃはっと笑った少女が振り返り、困り眉で言った。

「ごめんにゃさい、迷ったかも」

「!」

 途端、頭に血が上った。

 ここまで捨ててきたモノ、秘めてきたモノが溢れる感覚に、ポケットに突っ込んだままの右手をぐっと握りしめる。

 不穏な気配を察してか、ミミが「あ、あっちだったかもぉ?」と言いながらこちらに背を向けたなら――


「危ない!」


 少年とも少女ともつかない声の主がミミと男の間に現れ、鈍い音と共に倒れた。

「にゃっ!? にゃにゃ、暫定ご主人!? にゃにが――」

「チッ、なんだこのガキ。いきなり邪魔しやがって」

 倒れ伏す長い髪の少年と、金槌を手にした男を交互に見たミミは、状況が飲み込めずに金の瞳を揺らす。

 これへ再度舌打ちした男は、先ほどまでの雰囲気とは打って変わり、金槌を振り上げてはミミへ言う。

「ここを抜け出せたら、見逃してやってもいいと思ったんだけどなあ? 散々人をコケにしといて、迷っただ? ふざけんなよ、このクソガキ!」

「にゃっ!?」

 言葉尻を待たずに落とされる金槌。

 惑うミミにできたことは、頭を守るように細い腕を掲げることだけ。

 その強打により倒れた少年のように、ミミもまた打たれる――直前。

「見つけた」

 凛と響いた声に男がビクッと震えた。

 続き、勢いよく振り返っては空を見て、じりっと後ずさる。

「な、なんだ……お前……」

 それは、空にぽっかり浮かぶ白い月の中、椅子へ腰かけるように箒の柄に腰かけ飛ぶ、不可思議な少女を前にした驚きというよりも、もっと本質的な恐怖。

 死が、そこにあるような。

「何なんだよ、お前は――ぐっ!?」

 これ以上コケにされてたまるか。

 そう言わんばかりに、宙に浮く少女へ吠えた男だが、次の瞬間、自分の周りにあった空気が後方、ミミの方へ下がって行くのを感じたなら釣られるように振り返る。

「!!?」

 そこで男が目にしたのは、醜怪な化け物。

 今までこの場にいなかったはずのソレは、男の身体から糸を引くように飛び出しており、倒れる少年とミミを喰らおうとしていた。

 だが――

「にゃっ!」

 その前に金の瞳を光らせたミミが細い片腕を振るったなら、化け物の身体が指の数だけ割れ、粘性のある塊が四方に飛び散る。

「は……」

 自分よりも凶悪であろうはずの化け物を、いともたやすく切り裂いたミミの姿に尻餅をついた。

 と同時に、男は気づく。

 先ほどまであったはずの強烈な怒りも、衝動も、自分から消え失せていたことに。

「そ、そうか……今までのは全部、あの化け物が俺に取り憑いていたから……」

 言葉にしてみれば陳腐なモノだが、男は理解し、納得し、飲み込み、

「違う」

 凛とした声に飲み下すことを阻まれる。

 箒から降りた少女が、今まで以上に大きく震える男の傍らに立った。

「大丈夫? 御影みかげちゃん」

 男へ断じたのと同じ声とは思えない、見た目そのままの声で呼んだのは、倒れた少年。少女の声にピクッと動いた御影は、頭をさすりさすり上体を起こした。

「大丈夫だよ、こずえさん。それで、その人が?」

「ええ。御影ちゃんの依頼者が言っていたヤツ――でもって」

 梢が手のひらを掲げれば、その上に淡い桃色の魔方陣が現れ、それと同時にミミの一撃に動かなくなった化け物の身体が、煙のように集まる。

「コレが私の探していた”ヤツ”。まさかこんな風に隠れているなんてね。道理で見つからない訳だわ。……まあ、お陰で”いい処理方法”も思いついたけど」

「……まさか?」

「うえ……」

 ヒクリと引きつる御影と青ざめるミミを余所に、梢は無遠慮に男の顎を掬い上げると、男の目が自分から手に移動したのを見てクスリと笑む。

 彼女が持っているのは、今なお化け物の残骸を拾い集めながら、スープ状の液体の嵩を増していく一皿。

「勘違いしているようだから、教えてあげる。貴方が取り憑かれていた訳じゃないの。貴方の行いは、誰のせいでもない、貴方の選択。コイツはただ、貴方の心に惹かれて、一時そこに逃げ込んだだけ。飛び出した時に感じた思いも、コイツにとって居心地の良いモノがついてきただけで、元々コレには貴方の悪意も含まれている……だから」

 男の頬に細い指が食い込み、唇が「ウ」の状態を強要される。

 脂汗が滲む様子から、梢がこれから行うことを察してはいるようだが、男に抵抗する術はない。

 月の陰りの中で、にやっと魔女が笑う。

「美味しく召し上がれ? 大丈夫よ、たぶん。食べ終わった貴方はもう二度と」

 ――何も望まなくなるわ。

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