生前整理はアンドロイドとともに

羽間慧

金森さんの手を借りた結果

 秋が深まる。まだ先だと思っていた正月が近付いていく。

 あたしは机の引き出しを開けた。


「良信くんにあげる二万円、ポチ袋に包んでおかないとね。あっという間に大晦日になってしまうよ」

『照子様、いくらなんでも気が早いのでは』


 あたしの手を金森さんが握った。

 執事のように世話を焼く彼は、夫でもヘルパーでもない。孫の良信くんが送ってくれた、米寿のお祝いだ。介護アンドロイドにしては欠陥品と感じてしまう部分もあるものの、二階に収納したものを取ってきてもらえるのは重宝する。


「何を心配することがあるんだい。大掃除を少しずつ始めていったら、お年玉の用意なんて忘却の彼方さ。できることから済ませていかないとね」

『そのお年玉の件でお話が』

「あぁ、そうか。二万円じゃ少なかったね。あと三枚入れてやらないと」

『照子様、良信様の年齢をお忘れですか?』

「今年で三十歳だったような」


 金森さんは額に手を置いた。


『働いている大人に五万円も渡すおつもりとは。年金暮らしの祖母の暮らしを圧迫させてまで、金をせびる孫はいませんよ。照子様ご自身のためにお金を使われる方が、良信様も喜ばれることでしょう』


 そう言えば、近年は申し訳なさそうに受け取っていた気がする。あれは、祖母の優しさを断れない罪悪感の顔だったのかしら。


「良信くんは、そこまで気にかけていたのかい」


 あたしの目頭は熱くなった。

 ありがたいねぇ。こんなに愛されるばあちゃんで。


 金森さんは神妙な表情になった。


『心配にもなります。賞味期限切れの納豆を懲りもせず量産する、おっちょこちょいババアですから』


 また金森さんは懲りもせず悪口を言っているよ。怒った拍子に、あたしの血管が切れたらどうするつもりだい。

 あたしは溜息をつく。


「悪気があって腐らしている訳じゃないんだよ。見える位置に置いていても忘れるの」


 あたしの言い分に、金森さんは目を伏せた。


『一ヶ月前の牛乳を開けたときは、地獄絵図でございました。あまりの惨状に、しばらく食欲を失いましたね』

「あら。金森さんが捨ててくれたんだね。それはすまないことをした」


 牛乳の定期購入、そろそろ止めた方がいいかねぇ。一週間に三本ペースは飲みきれなくなってきた。

 牛乳屋さんの名刺を探していると、とある疑問が湧き上がった。


「あんた、そもそも食事できないじゃないか。アンドロイドなんだし」

『おや。認知症は相変わらず進行していますが、少しは脳が活発になっているようですね。安心いたしました。昼食に赤飯を炊きましょう』


 嫌味ったらしく拍手しないでおくれ。


「牛乳屋さんの名刺を探したいから、金森さんはゴミ袋を持ってきてくれないか。ついでに生前整理も進めておかないとね。片付けは苦手だけど、家族に迷惑はかけられないもの」

『通帳、健康保険証、年金手帳、土地の権利書ぐらいは分かりやすい場所に収納しなくてはいけませんよね。汚部屋のままでは、ご遺族が足を踏み入れたがらないでしょうし』

「まだあたしは生きとるよ!」


 死人扱いするんじゃない! あんたには手伝わせないからね!


 紙の山を掻き分けながら、あたしはそう誓った。

 でも、硬い決心が揺らぐには、五分も経たなかった。


 良信くんから電話で「昼に顔を見に行く」と連絡が入ったのだ。金森さんの上手くやっているか、確認したいらしい。


 部屋はぐちゃぐちゃ。目的の名刺はおろか、整理すらできていない。あと二時間で片付けが完了できそうもなかった。

 あたしは部屋の隅を見つめた。金森さんはへそを曲げて、体育座りをしていた。


「金森さん、さっきは言いすぎたよ。猫の手も借りたいぐらい忙しくなったから、どうか手伝ってくれないかね」

『……先程は一般論を申し上げたのです。それをプリプリと激怒されて。機械にも心はあるのですよ。ずーん。いじいじ』


 あたしは忍び笑いを漏らす。

 金森さんには悪いが、少々しおらしい方が可愛げがある。でも、言葉には出さなかった。

 

「あんたが頼りなんよ。片付けを手伝ってくれないかしら」


 あたしの指示に、金森さんの目が輝いた。


『わたくしに任せにゃさいモードに切り替えます!』


 ポメラニアンモードと言い、変な機能を搭載したアンドロイドだね。設計者の頭脳を疑うよ。


 ネーミングに呆れていたけれど、機能性は申し分なかった。

 普段使うもの、あまり使わないもの、存在を覚えていなかったもの。あたしの反応を見ながら、金森さんはゴミ袋に捨てていく。


『照子様、レシートと期限切れの保証書は処分しますよ。事業をされている訳ではありませんし、家計簿もつけておられませんよね?』

「待って。レシートは残しておきたいの。良信くんに買ってあげた思い出が詰まっているから」

『第三者が見たら目障りなゴミですよ。妖怪ゴミ溜めババアと呼ばれてもいいのなら、ゴミとともに余生を過ごされてはいかがでしょう』


 全部捨ててやるわ。捨てればいいんでしょ!

 あたしはレシートの束を投げ捨てる。ホテルで貰った櫛もシャワーキャップとも別れを告げた。


「貰いもののハンカチもたくさんあるわね。どれも新品みたいに綺麗だわ。バザーに出せばよかったわねぇ」

『臙脂、黄、青緑。目が痛くなるトリコロールですね。アップリケのキリンは、下痢で痩せ細ったのでしょうか。不味そうな草むらですし、おいたわしや。こちらは随分と派手な雑巾でございますね。……えっ。まさかハンドタオル?』

「町内会のビンゴ大会でもらったんだよ!」


 あんた、ちょいちょい失礼だね! 未練なんて吹っ飛んだよ。


 作業は捗るけど、苛立ちも溜まってきた気がする。


「良信くんが来たら、あんたを持ち帰ってもらうからね!」


 あたしは、ふんっと鼻を鳴らした。




「おばあちゃんの部屋、めちゃくちゃ綺麗じゃん。金森さんがやったの?」

『 いいえ。わたくしは助言を申し上げただけでございます。照子様が率先して整理されておりました』


 良信くんに褒められると嬉しいねぇ。物で溢れていた部屋もスッキリしたし、探していた名刺も見つかったもの。


「おばあちゃんが金森さんと上手くやっていけるか不安だったんだ。商品レビューは星五か一に分かれていたし、勝気なおばあちゃんと相性がどうだろうって。でも、生き生きとした顔で安心した」


 うっ。そんな満面の笑みを見せないでおくれよ。もう少し金森さんと暮らしてもいいかなって、思ってしまうじゃないか。


『照子様が心身ともに健康で過ごすことができるよう、サポートして参ります。良信様、わたくしをご購入くださり、ありがとうございました』


 購入者には毒舌を発揮しないんだね。あたしだけの特権だと思うと、ちょっぴり嬉しくなっちゃうな。


『これからも、ゴミ屋敷化と詐欺被害を食い止めますね。遺品整理の負担も減らしてみせましょう』

「いい雰囲気だったのに、また嫌味を言いおって!」


 あたしは金森さんの腕を掴む。

 良信くんは目を細めると、ふわりと微笑んだ。


「金森さんに心を掃除してもらったみたいだね。照子ばあちゃん」


 そうかしら。思い当たることは一つもないんだけど。


 金森さんを引き取ってもらうのは、待ってあげようかしら。むずがゆい気持ちの原因が分かるまで。

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