どれがほんと ⏲

上月くるを

どれがほんと ⏲




 桜の名所は、日本列島の各地にゴマンとあるだろう。🌸🌸🌸🌸🍃

 だが、「花の雲」という季語がこれほど当てはまる場所はないだろう。


 ソラフミはそう思いながら神田川沿いの桜並木をゆっくり歩いて行く。

 むかしから集団行動が苦手だったが、今日のような句会は別格だった。


 知的刺激に満ちた仲間といると自ずから気分が昂揚するが、こうして解放されるとそれはそれで得がたい安寧であり、やはり自分は独りが性に合っているのだと思う。


 「花筏」「花屑」と季語に言う花びらをのせた神田川は、ただ無心に流れてゆく。 

 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず……凡庸な言辞、いまは恥じるまい。



       ****



 おや? ソラフミはジーンズの足を止めた。👟

 こんなところに、こんな店、あつたつけ? 🏚️


 ビルとビルの間のほの暗い一画に、ふしぎなほどレトロな感じの時計店があつた。

 いままで何度も通つたのにだうして気づかなかつたのか……分からない、がある。


 ふつと視線を誘はれて……あれつと思つた。🐧

 壁掛け時計の時刻が、みんなちがつてゐる。🕰️


 よく見ると、いまどき稀少なアナログばかりで、かつて、田舎の祖父の家にあつたゼンマイ式柱時計、鳩が飛び出す仕掛け時計、ヨーロッパ風のオルゴール時計……。


 その古色蒼然とした店に、これまた化石のやうに干からびた感じの老店主がゐて、牛乳瓶の底みたいに分厚いメガネをかけて背を丸め、手もとの作業に集中してゐる。


 

 ――時計屋の時計 春の夜 どれがほんと    万太郎    



 人口に膾炙かいしゃされた久保田万太郎の句が、胃からせり上がるやうにして出て来た。

 昭和13年、戯曲家・小説家として活躍中の万太郎48歳のころと記憶してゐる。


 その前年、日中戦争を始めた日本は、全国民を戦争に巻きこむ国家総動員法を成立させ、国策としての満洲移民送出を開始し、代用品、木炭自動車の時代に突入した。


 本業に於いても私生活面でも面倒な煩瑣を抱へてゐた当時の万太郎は、一見お遊びめいた口語口調の俳句を詠むことで、危ふいメンタルを保つてゐたのかも知れない。



       *



 神田川周辺を散策する中年男を脳裡で追ふ。🎩

 と……哀調を帯びたギターが聴こえて来た。🎻



 ――泣くな 妹よ 妹よ 泣くな 

   泣けば おさなひ 二人して 

   故郷を すてた かひがない



 田舎の祖父が好きだつたディックミネの『人生の並木道』。

 たしか、作詞は佐藤惣之助、作曲は古賀政男だつたはずだ。



      *



 あのころの人たちは、みんな苦労をしたんだよなあ……。

 湿った感懐に駆られるのは、いまが幸せだからではない。


 いわゆる就職氷河期だったので、大学院まで進んだのにいまなお正社員になれず、よせばいいのに文学も諦めきれず、小説やら俳句やら未練がましく引きずっている。


 学生時代に結婚した妻の稼ぎと、ごくたまに入る紙誌の稿料で暮らしてはいるが、ならば不幸なのかと問えばそうとも言いきれない……それがソラフミの甘さだった。 



      ****



 視界が急に明るくなったような気がして正面の高層ビルに目を移せば、壁いっぱいの大画面を、侵攻して来たロシア軍に追われるウクライナの人たちが占拠していた。


 やはり負けて終わった太平洋戦争を直前にする万太郎の時代と、核の脅威に怯える第三次世界大戦への危惧を抱えた現代が時空を超えて交錯し、激しくスパークする。



 とはいえど、思い詰めても仕方ない……。🐈‍⬛

 ソラフミは久保田万太郎風に思うことにする。



 いままでも折り合いを見つけて来た……。🐕

 ならば、これからも、なんとかやってゆくさ。



 そこまで考えて視線をもどすと、いつの間にかレトロな時計店はかき消えていた。

 あとには駐車場にもならないような小さな更地が、高層ビルの谷間にぽつん……。

 

 


 


 

 


 


 

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