斑―まだら―

いすみ 静江

マギはキカ工業地帯で暮らす

 公害も甚だしい、キカ工業地帯を抱えるパライスナ国の夜明け。

 うさぎのマギ・エメノが、工業専門学校へオートバイクで通っていた。

 彼は、水色のバンダナを首に巻いているのが特徴的で、全身は、灰色の耳がピンと立っている幼顔だ。


「卵焼きもタコさん型パンも上手くできた。イチョウは星型に切って飾ったし、今日の星空弁当もばっちりだね」


 マギには父親のトキも母親のシエもいるが、お弁当まで手が回らない。

 トキは早朝から仕事を貰いにキカ工業人材派遣センターへ行くので一杯一杯だし、シエは病床に臥せっていて、多くを望めなかった。


「二人共、がんばってくれている。僕には勿体ないな」


 マギは、半刻も走ると、学校に到着した。


「おはよう! 二年電気コースの皆!」

「おはよう、マギ」

「はよ! シニルくん」


 シニルくんは、幼稚園からの親友だ。

 茶のコートを羽織った、白地に茶の斑があり、流し目にどすい声が上がる程、男子の間で評判がいい。

 僕の黒歴史を色々と把握しているので、困ったものだ。


「シニルくん、レポートが週一で出されるのはキツイよね?」

「俺と一緒に、電気コースの下見に来たときから、聞いていたろう? 課題だけは提出しなさいって。絶対にレポートで単位を落とすなよ」


 僕は、先日のラジオを作ったものが、表紙しか書けていない。

 心の中では、危険だと思っているが、どこから手を付けたらいいのか分からない。


「お、おう。がんばっぺ」

「それでさ、マギ。昨日の国語で、猫の手も借りたいと言うのがあったろう? 俺は正にその心境だよ」


 僕もそうなるのだろうかと考えながら、四時限が過ぎ、昼休みのベルが鳴った。

 自分で星空弁当を作っておきながら、蓋を開けるのも忘れている。


「ええ――。何から書くんだ?」


 鉛筆をうさぎハンズでシャシャッと削る。

 そこまではいい。

 全く思い付かない。


「シニルくん、明日の登校時に提出だったっけ」

「いつも通りだよ。金曜日の朝になるね」


 マギは、課題を抱えて、オートバイクで帰途に着いた。

 近代のうさぎは、小屋を三階建てにして、部屋が三つある。

 皆の部屋にマギが入ると、誰もいなかった。

 父トキは、帰りが遅い。

 母シエは、奥の部屋で臥せったままだろう。

 下手したら飲み物も口にしないのではないかと、あたたかいニンジン茶を持って行く。


「ごほっ。ごほごほ……」


 僕と同じ、灰色の背中が丸まっていた。


「お母さん、咳はいつもよりはまあまあかな?」

「た……。痰が出るので、辛いわ。マギは、お勉強がんばって、いい就職をするのよ」


 僕が工業の専門学校に進学したのは、父よりも稼ぐようになって、母に公害病のいい薬を買って上げたいからだ。

 僕が三つのときに、ここへ越して、母だけがなった恐ろしい病、キカ炭疽たんそ病――。

 パジャマを脱ぐと、灰色の毛に黒い毛が混じって斑になっている。


「必ず、この病を治そう。僕が働いて助けられるのなら、如何なる努力もするよ」

「マギ……」


 母は、左の瞳も斑に襲われながら、潤ませていた。


「ごめんね。さあ、家のことよりも勉強をがんばりなさい」

「分かった。用があったら呼んで。直ぐに来るから」


 手前の部屋をマギの自室として、与えて貰っていた。

 父が入学祝いに日曜大工をしてくれた机もある。

 まずは形からと、姿勢よく座ってみた。


「困ったな。レポートが進まないんだよな」


 眠気も襲って来る。


「大体、書けるものなら、締め切りギリギリにならないよ」


 母の咳き込みが激しくなった。

 お世話をしたり、様子を見に行ったりした。

 そして、レポートはろくに進まない。

 せめて、習った所位は埋めようかと、ぽつりぽつりとメモ程度に記す。


「お母さん、しっかりして」


 バタバタと駆ける。


「ああ、レポートを書かないと。立派に就職できない」


 お母さんを幸せにするには、お世話と勉学の両方をなし得なくてはならない。


「こんなときは、猫の手でもいいから、借りたい!」


 灰色うさぎの叫びは、三階の窓から虚空に響いた。

 朝になると、紙が散らばっている。

 番号順に並べると、表紙の他に、目的、理論、実験方法、実験結果、考察などにきっちり纏められていた。


「僕って天才かも知れない」


 このときは、まだ分かっていなかった。

 さて、いつもの朝は、ご飯を作りながらお弁当も詰めてしまう。


「お弁当がないと、購買で間に合わないんだよ」

「おはよう……。偶には、お母さんが作るわ」

「いいから、寝ててよ。もう」


 お母さんのご飯は、消化のいいニンジン粥にしてある。

 今朝は、元気なようだから、特売で買ったトウモロコシも付けよう。

 茹でて、種の部分だけを取ってお皿に盛った。


「どうしたものか、今日の料理は、勝手が悪いな」

「マギ……。昨日は勉強のし過ぎかしら? 手袋なんてして、どうしたの?」


 猫の手を借りた結果、うさぎの手だけが、猫になってしまった。


 キカ工業地帯の中で暮らすと、奇病があると言う。


「にゃにゃーおん?」


【了】

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