マイヒーロー!

藤光

マイヒーロー


 ――わたしだけのヒーローをつくって欲しいんだけど。


 わたしがそう訴えると、雪彦おじさんは、


「ヒーローだって? やめろやめろ、そんなの。じゃない」


一刀両断に切り捨てられた。可愛い姪っ子の頼みをすげなく断りやがって。


「ろくでもなくないよ」


 わたしはおじさんに向かって敢然と反論した。わたしだけのヒーローはとても大事だ。『おまえだけだよ』なんて言っておきながら、狛犬ったらわたしに内緒で奈々子と映画を観に行ってたっていうじゃない。ちょっとカッコいいからって――女とみたら手当たり次第ってヤツはこりごりなのだ。どうせなら、わたしだけを見てくれる男子がいい。


「なんの話だい。コマイヌって神社の置物?」

「同級生の男子だよ。狛犬大樹こまいぬひろき、サッカー部なの」


 ああ――っていう顔をして、雪彦おじさんうなずいた。納得してもらえたか。


怜悧れいりはまだ中一だろ。最近の子はませてるんだなあ」


 いや、そっちかよ。ませてるなんて、いつまでわたしのこと子ども扱いだっての。わたしも中学一年生だ、彼氏のひとりやふたり……って心積りだけはある。


「雪彦おじさん。そんなことはいいからどうにかなんないの? わたしだけのヒーロー」

「どうにかならなくもないけど……」

「っていうことは、どうにかなるんだ。マジで!?」


 おじさんは、しまったなぁ口が滑っちゃったという顔をしている。お母さんいわく「あの子雪彦って、ものすごく変わってるから」って人らしいけど、意外に分かりやすい。たしかに自称発明家なんていう仕事はとても変わってるとは思うけど、こういうときには役に立つかもしれないじゃない?


「まだ試作段階なんだけど」


 いったん研究室に消えたおじさんが、再び現れたとき手に持っていたのは、赤色と青色それぞれの錠剤タブレットが入ったビンだった。栄養補助食品だろうか。それにしては原色がきつく、毒々しいけれど。


「『マイ・ヒーロー』という薬だ。青い錠剤を飲んだ被験者は、対になる赤い錠剤を飲んだ被験者だけのヒーローになる」


 おじさんがビンから取り出してみせた赤と青の錠剤には、それぞれ「8」の数字が記されている。


「なになに、惚れ薬ってわけ?」

「ちょっと違うけど、ま、そんなところかな。いまならタブレット端末で薬の効果をシミュレーションすることができる。どうだ、怜悧がじっさいに飲む前にシミュレーションしていくかい?」

「シミュレーションなんて、まどろっこいな。いきなり本番でいいよ」

「怜悧って……男前だね」


 虎穴に入らずんば虎児を得ず。わたしだけのヒーローを捕まえるためには、多少のリスクは覚悟の上よ。わたしは「8」と記された赤い錠剤をのみ込んだ。


「あとは明日、青い錠剤を怜悧が『わたしのヒーローになってほしい』と思う人に飲ませればいい」

「了解」



 あっという間に翌日。放課後の学校でわたしは悩んでいた。手の中には、昨日、おじさんからもらった「8」と記された青い錠剤がある。これを飲ませれば、その彼ないし彼女がわたしだけのヒーローになる――と思えば、だれに飲ませようか悩まない方がおかしい。秀才の各務かがみがいいか、野球部の大谷がいいか。変化球としてクラス一美少女、美樹もいいか……いや、百合展開は妄想が過ぎるのでやめよう。


 やっぱり、狛犬かな……。浮気疑惑があるとはいえ、一応わたしの彼氏という位置づけなんだし。なんだかんだいったところでカッコいい。奈々子にだけは取られたくない!


「狛犬!」

「なに」


 サッカー部の部活に出ようとする狛犬を呼び止めて、すぐに飲んでみてくれといって青い錠剤を渡す。


「なんだこれ?」

「サッカーが上手くなる薬」

「これ以上上手くなる必要ねーよ」


 どうだか。でも、憎まれ口をきいても素直なところが狛犬のいいところだ。わたしの渡した錠剤をなんのためらいもなく飲み込んだ。


 ――どうだ?


 効果はてきめんだった。ユニホームの入ったバッグを放り出して狛犬は言ったのだ。


「今日は部活やめる。怜悧が帰るなら家まで送っていく」


 姫を守る騎士ナイトのような狛犬の発言に、放課後の教室がちょっとどよめいた。ええっ、こんなに効く? でも、正直いってうれしい。口をあんぐりと開けた奈々子が、教室から出てゆくわたしたちを見送る様子も痛快だ。


 それからは狛犬はなかなかのヒーローぶりを発揮してくれた。わたしたちのことをやっかんでいじわるを言ってくる女子を「近づくんじゃねえよ、ブス」と撃退し、成績が下がり気味のわたしに勉強しないとこの先大変だぞと言ってくる教師を職員室に追い返し、満員電車のなかでは、ちょっと丈の短いわたしのスカートにいやらしい視線を送ってきた中年親父を痴漢として駅員に突き出した。ちょっとやり過ぎのような気もしたけれど、狛犬のわたしに対する誠意はとても伝わってくる。うん、おおむね希望どおりといっていいんじゃないだろうか。


 油断があったというか、ぼうっとしていたのだろうと思う。狛犬とふたりおしゃべりをしながら駅を出て、大通りの横断歩道を渡ろうとしたときだった。


「伶俐! 危ない!」


 赤信号を無視して、一台のトラックが交差点に侵入してきていた。まったく気づかなかったわたしは、横断歩道を渡りかけていた。ぐっと腕をとった狛犬が、くるりとわたしと体勢を入れ替える、トラックの前に飛び出した。


 狛犬がトラックに撥ねられちゃう――と思ったつぎの瞬間。ドンッと弾き飛ばされたのは、狛犬ではなくてトラックの方だった。


「ええっ!」


 狛犬が弾き飛ばしたトラックは、対向車線まで飛んでいって停車中の車の列に飛び込んで止まった。えっ、えっ、えっ〜!? 狛犬は平気な顔をして横断歩道の真ん中に突っ立っている。


「大丈夫か、伶俐」


 大丈夫じゃないでしょ。いったいなんなのアンタ狛犬。超人? いや、そんなことより、弾き飛ばされたのトラックの運転手さんは無事なんだろうか。信号待ちのクルマも何台が巻き込まれてしまったみたいだけど――。わたしは混乱していた。


「アンタ、なんてことするのよ!」

「なんだとはなんだ、おまえのこと助けてやったんだぞ!」


 そりゃそうだけど……。

 ボンッと爆発音がして、トラックに火柱が上がった。漏れたガソリンに引火したんだ。

 これはやりすぎだよ。


 もちろん、駅前の大通りは騒然となった。あっという間にスマホを構えた野次馬が交差点に溢れ、制服の警察官が駆けてきた。


「きみたち、何をしたんだ!」


 えっ、えっ……なにも……してなくはないけれど、本当のことを言って信じてもらえるかどうか。


「話は本署で聞かせてもらう。来なさい!」


 ふたりの警察官が、両側からわたしを挟み込むようにして交差点から連れ出そうとした。どうしてわたしがこんな目に、家へ帰りたいだけだったんだよ! そのとき――


「伶俐をはなせ!」


 まさか!

 狛犬がわたしと警察官の間に飛び込んできたかと思うと、ひとりを殴り倒し、もうひとりを遠くへ放り投げてしまった。


「なにをする!」

「公務執行妨害だ」


 事故の通報で次々に集まってくるパトカーと警察官に取り囲まれた狛犬は、わたしを背中に庇いながら暴れ回った。襲い掛かる警察官を殴りつけ、蹴飛ばし、投げ飛ばし、噛み付いてさながら狂犬のよう。どんどん制服の警察官が倒れてゆく。


「このバケモノが!」


 たまらず警察官の一人が拳銃を抜き、狛犬めがけて発砲した。「あっ」弾丸は血煙をあげて狛犬の胸に命中した――はずだったのに。狛犬は平気な顔でその場に立っていた。不死身……。それどころか、逆に、


「危ないだろ! 伶俐に当たりでもしたらどうするんだ!!」


 警察官の拳銃奪うと――パンッ。

 血を流して倒れた警察官は動かなくなった。なんてことを……最悪だ。それだけでは終わらなかった。


「道を開けろ! 伶俐は家へ帰りたがっているんだ」


 ぐるりとわたしたちを取り囲んでいるパトカーや野次馬の群れに銃口を向けると、パンッ、パンッ、パンッ――発砲しはじめた。悪夢だ。


「さっ、邪魔者はいなくなった。帰ろうか、伶俐」


 取り囲んでいた警察官と人の群れは、建物の陰に隠れてしまって、交差点にはだれもいなくなった。交差点には、狛犬に拳銃で撃たれた人が点点と倒れている。黒煙を上げて燃える自動車の列と相まって、さながら地獄絵図のようだ。


「なに言ってんの……アンタおかしいよ。何にもしてない人に酷いことして……」

「伶俐を守るためだ、仕方がない」

「だからってこんなのおかしいよ。わたしは行かない。行くんなら狛犬ひとりで行きなよ」

「なにいってんだ、おれはおまえのために――」

「いやだ、頼んでない」

「おまえだけの――」

「そんなのいらないんだってば!」


 怖い怖い、おかしい。ぜったいにおかしい間違っている。一刻も早く、わたしはこの場から逃げ出したかった。


「……うそだ。おまえはうそをついている」

「は?」

「こんなに伶俐のためにしているのに喜ばないなんて……おまえは伶俐じゃないな。伶俐を隠しているんだろう。ほんとうの伶俐を返せ!」


 真っ青な顔をした狛犬が、わたしの首に手をかけた。まさか――


「伶俐……助けだしてやるからな」


 首に回された十本の指に力が込められ――わたしは意識を失っていった。わたし伶俐も殺される……。






 目を覚ますとおじさんの研究室のベッドに寝かされていた。燃え上がる自動車も、血を流す警察官も、おっかない狛犬もいなかった。どういうこと?


「どうだった。念のためにシミュレーションしてもらったんだけど」


 呑気そうな顔をした雪彦おじさんがわたしの顔をのぞき込む。なんだ。いったいなんだ。


「伶俐が飲んだ赤い錠剤、ホンモノじゃなくてシミュレーション用のダミーだったんだよ。雰囲気あっただろ。それでどう、体験してみた結果は。赤い錠剤マイヒーロー飲んでみるかい?」


 もちろん――


「いらない」


 もう十分。わたしだけのヒーローなんて、こりごりだよ。


(了)

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マイヒーロー! 藤光 @gigan_280614

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