悍ましき黒と私のヒーロー

モノクロウサギ

第1話 悍ましき黒と小さなヒーロー

 人生の中で、今日ほど絶望した日はないかもしれない。

 私はアパートで一人暮らしをしている。後はペットの猫が一匹。

 幸せ、と言い切るほどではないけれど、まあまあな暮らしだった。

 適当に働いて、休日はのんびり過ごす。それができる環境だった。

 でも人生は予測がつかない。無難な日々が、突如として崩れ去ることがある。

 それを今、私はありありと理解していた。


「……いや……」


 ──ソイツは部屋の入口からこちらを見ていた。

 気付いたのは偶然。いつものように仕事から帰宅し、お酒を片手にテレビを眺めていたら、背後で妙な気配を感じたからだ。

 咄嗟に振り向いた。だが背後にはペットの三毛猫だけで、すぐに気のせいだと考え直した。


「……ヒッ…………!」


 でも違った。テレビに視線を戻そうとした時、視界の端にソイツが写った。

 ──黒い。ただひたすらに黒い。

 最初に抱いたのはそんな感想。そして次の瞬間には、途轍もない恐怖と悍ましさが脳内を支配した。


「……こな、い……で……!」


 恐怖によって声が掠れる。身体に奔る怖気のせいで手足が固まる。

 だがそんな私を嘲笑うかのように、黒いソイツは私のもとににじり寄ってきた。

 逃げたい。でも逃げれない。身体が動かないだけじゃない。部屋の唯一の出口がある方向は、黒い身体で塞がれている。

 死ぬ気で通り抜けろ? そんなのできる訳がない! 近づくだけで意識がもってかれる! 私を地獄に引き摺り込む! その確信が私にはある!!

 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい! 逃げたい!


「……たす、けて……!!」


 誰か、誰か! 私を助けて!! 私を目の前のアイツから解放して!!


『──』


 それでもソイツはやってくる。人間には理解しがたい挙動で、あまりにも不気味な挙動で私の方に近づいてくる。


「……ぁ…………」


 気付けばソイツはすぐ近くに。目の前にいた。

 もう駄目だ。おしまいだ。恐怖で意識が遠のいていく。このまま私は──


「シャァァァッ!!」


 その瞬間、勇ましい鳴き声が部屋に響いた。

 ペットの三毛猫が、私の可愛い可愛いミケが、私の前に割って入ったのだ。


「……み、け……?」


 呆然とする私を他所に、ミケは黒いソイツに飛び掛り、噛み付き。


「ニャァ!!」


 ──気付けばソイツは消えていた。


「助けて……くれたの……?」

「ニャン?」


 私の疑問にシンクロするように、ミケが首を傾げた。

 ミケは猫だ。お猫様だ。だからこそ、自分の行為をなんとも思っていないのだろう。

 私がどれだけ恐怖していたのかなんて分かるまい。助けたつもりなど皆無のはずだ。

 だがそれでも、ミケは私を救ってくれた。その事実は変わらない。


「……ありがとう、ミケ! ……ありがとう……!!」

「ニャァン!?」


 ギュッと抱き締めた。大切な家族を。この小さな私だけのヒーローを。


「怖かったよぉぉ!! ゴキブリ怖かったよぉぉ!!」

「シャァァッ!!」


──なお、私がミケの口からはみ出るGの脚に気付いて絶叫を上げるのは、この数秒後のことである。

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悍ましき黒と私のヒーロー モノクロウサギ @monokurousasan

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