私のヒーローになってください

横山記央(きおう)

私のヒーローになってください

「私のヒーローになって下さい」


「断る」


「クライス先輩、お願いします」


 クライスの右手を、シンシアが両手で優しく包み込んだ。


「君のヒーローには、ならない」


「……どうしても、ですか?」


 シンシアがさらに一歩近づいた。緩くウェーブのかかった金髪の下からのぞく青い瞳が、クライスを見上げてくる。その瞳は、儚げに揺れていた。

 その瞳に、吸い込まれそうな引力を感じ、クライスは顔を背けた。


「先輩」


 シンシアが体を寄せると、クライスの右腕が、ふよんふよんとした、二つの柔らかくあたたかいものに挟みこまれた。シンシアの体から立ち上る甘い香りに包まれると、脳みそがとろけそうな気がした。


「……だが、断る!」


「そんな、ひどい」


 クライスが重ねて否定すると、シンシアがそっと体を離した。同時に、右腕が感じていた至福の感触がするっと消えた。

 思わず顔を戻すと、うつむいたシンシアの肩が小刻みに震えていた。

 次の瞬間、シンシアが天を仰いで叫んだ。


「チクショー! これでもダメか!」


 その叫びを聞いて、食堂で二人を囲む生徒たちから、どっと笑いが巻き起こった。


「シンシアちゃん、今日もダメだったねー」


「あのシンシアが色仕掛けとは、なかなか役者だよね」


「うーん、でもかなり良いところまで追い込んでいたと思うけど」


「確かに、確かに。クライスさんあの胸の感触に、かなり気持ちが揺れていた気がするね」


「オレなら、あんな美人に頼まれたら、すぐオッケーしちゃうけどね」


 クライスとシンシアが毎朝繰り広げるやりとりは、全寮制のダンジョン探索者要請学校の生徒たちにとって、一種の娯楽になっていた。

 新学期が始まって二ヶ月。シンシアは毎朝、クライスに自分のヒーローになってもらうため、あの手この手で、迫っていた。しかし、一度も成功していなかった。


「もう、先輩。どうして私のヒーローになってくれないんですか。先輩ってこういうの好きそうな気がしたから、今日はかなり自信があったのに」


「うん、今日のはヤバかった。あれを二人きりのときにやられたら、頷いていたかもしれないよ」


「ええー、それじゃさっそく二人きりになりましょう。もう一度やり直します」


「いやいや、やり直しなんてしないよ。それに、芝居だって分かってるから、通用しないよ」


「クライス先輩、今日で二ヶ月ですよ。毎日毎日、どうしたら先輩を落とせるか、考え続けるこっちの身にもなって下さい。可愛い後輩を困らせるのは、良くないと思うんです。いい加減、私のヒーローになった方がいいと思いませんか?」


「いいや、思わないね。オレは絶対君のヒーローにはならない」


「どうしてですか。彼女もいないじゃないですか。そろそろ理由を教えてくれてもいいと思いますけど」


 シンシアが憮然とした態度で腕組みをする。


「オレにヒーローになれってのは、君のスキルのためだろう」


「そうですよ。スキル『私だけのヒーロー』で強化できれば、ダンジョン探索だって、はかどるじゃないですか。それに制限だって少ないですし、先輩にデメリットはないと思ってます。正直なところ、ここまで嫌がられるとは思っていませんでした」


 シンシアが力なく言葉を吐く。


「理由を教えて下さい。そうしたら……諦めます。明日からは、つきまといません。他の人に、ヒーローになってもらいます」


 唇をかみしめるシンシアの瞳の端に、涙が浮かんでいた。

 その様子に、はやし立てていた周囲の生徒が、一気に静まりかえる。

 クライスは口を開きかけたが、唾を飲み込んだ。

 シンシアはじっとクライスを見つめ続けている。


「分かった」


 クライスは意を決した。


「君のスキルが問題なんだ」


「『私だけのヒーロー』のどこがですか? 私のヒーローになれば、スキル発動中は、身体能力が格段に上昇するし、各種耐性だってアップします。体力回復速度も、魔力回復速度も格段に上がりますし、先輩のスキルだって、いつもより強力になるんですよ。そりゃ、パーティーメンバーに私がいないと、ダンジョンに入ることもできなくなるってのは、確かにデメリットだと思いますけど、私だって、先輩の足手まといにならないように、レベルアップ頑張ってます」


「君が努力しているのは、知っている。オレがそのスキルで気に入らないのは、君がピンチのとき、スキルの力で強制的に助けに入ることなんだ」


「私を助けるのが、そんなに嫌なんですか」


「違う!」


 突然のクライスの大声に、シンシアも、見守る生徒たちも驚いた。


「大声を出して、すまない。君を助けるのは、嫌なことじゃない」


「それなら、私と一緒にパーティーを組みたくないってことなんですね」


「そうじゃない。君を助けるのを、スキルに強制されるってことが嫌なんだ。君を助けるときは、オレが自分の意思で、自分の力で、助けたいんだ」


「それって……」


 クライスはシンシアを見つめた。


「オレはシンシアのことが好きだ。君の、シンシアの本当のヒーローになりたい。だから、スキルのヒーローにはなりたくない」


「先輩」


 シンシアはうつむくと、倒れ込むように、クライスの胸に顔を寄せた。


「シンシア、二ヶ月もの間、苦しい思いをさせて申し訳なかった」


 クライスがその肩をそっと抱くと、小さく震えているのが分かった。


「イェー! ついにクライスに言わせたね!」


 二人を囲む生徒の一人がそう言うと、次々に声が上がった。


「ほらな、クライスは一目惚れだって言っただろう。本人はあれで、バレてないと思っているんだから、あきれるよな」


「はぁ、毎朝の楽しみもこれで終わりか」


「いやいや、明日からは、シンシアちゃんの尻に敷かれるクライスの姿で、また楽しめるはずだ」


「おう、それがあったか」


 周囲の声に、クライスは魂の抜けた表情になった。


「へっへっへー、先輩。やっと言ってくれましたね。二ヶ月もかかったから、私、自分に自信なくしそうだったんですよ。この顔も体も、かなりのものだって思っていたんですから。でもそのお陰で、先輩の好みのタイプはバッチリ把握できましたから、楽しみにしていて下さい」


 満面の笑みを浮かべたシンシアが、上目遣いで見上げてきた。


「これからよろしくお願いしますね。私のヒーローさん」 

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