[1-7]俺でよければ力になるぞ
三年ほどたった今でも、ノクトと初めて出会った時のことは覚えてる。
海向こうの大陸にあるイージス帝国。その貧民街で、ノクトはかつての僕たち兄弟と同じように、ゴミのように捨てられた。
髪は色あせていた上に傷んでいて、痩せた身体は力なく泥の上に投げ出されていた。
ノクトは指先ひとつ動かせないくらいにひどく衰弱していたのに、周りのやつらは吸血鬼だからって敵視して、大勢で彼を取り囲んだ。たぶん、僕が助けなかったら殺されていただろう。
吸血鬼の
カミルが城仕えの者たちに怖がられているのも、
僕はノクトを助けた。吸血鬼の
考えなしもいいところだ。実際、僕は自分のねぐらに連れ帰ってから頭を抱える羽目になったわけだし。
けど、結果的にはノクトを助けてよかったと思ってる。
色々な人に手助けをしてもらって、三年経った今。こうしてノクトの元気な姿をみられるのは、あの時、僕が行動したからだ。
「なるほどな。大体の事情はわかった。俺は政務の経験がある。王子だった時に父の補佐をしていたからな」
「まじかよ!」
僕とヴェルがひろげた紙を拾い、目を通したあと、ノクトはそう言って口もとを緩めた。
予想通りだ。まさしくノクトは僕とヴェルにとっての救世主だった!
とはいえ、仕事をすることに加え、その仕事内容を一から教えてもらう必要がある。ノクトにはかなりの負担をかけてしまう。
急務だということを考えても時間をかけてはいられない。けど、やっぱり僕は、自分の手で政務ができるようになりたかった。
「良かったら、僕とヴェルに仕事を教えて欲しいんだけど……」
僕の申し出をノクトは断らない。確信はあった。
期待通り、ノクトは快諾してくれた。ひとつ返事で頷いてくれたんだ。
「もちろん。国の仕事に携わるのはノアの夢だったもんな。俺でよければ力になるぞ」
「ありがとう。恩に着るよ」
「大げさだな。このくらい、ノアが俺にしてくれたことに比べれば全然大したことはない。お前は命の恩人なのだから」
苦笑しながらノクトは口もとを緩めた。
涼やかなアイスブルーの瞳が、わずかにやわらかくなった気がした。
「そういえば、ノクトはノアが家出中に拾ったんだったっけ」
紙の束をグループごとに仕分けしながら、ヴェルは突然そう切り出し始めた。さっきノクトが「恩人」って口にしたからなのかもしれない。
「もう過ぎたことなんだから、家出のことは掘り返さないでくれるかな」
「でも事実だろ。俺たちには黙って出て行った恨みはまだ忘れてないからな。しかも俺が追いかけられねえように、わざわざ別大陸の遠い国にまで出奔しやがって」
「あー、もうっ、うるっさいなー! あの時はちゃんと謝っただろ!」
三年前に家出をした時、僕はヴェルをノーザン王城に置いてまま出ていった。
面倒見がいいヴェルは妹や弟たちを放って追いかけてくるはずがない。
そう信じていたから——、と口に出してしまえば聞こえはいいけど、足止めするために妹たちを利用したのだ。
だって、あのヴェルだよ?
僕より背が高くて身体能力に優れている上に、百発百中の鋭い勘を持っているあのヴェルに追いかけてこられて、捕まらないわけがないじゃないか。
まあ、結局はヴェルが場所を割り出して、ヴェルから居場所を聞きつけたゼレスに捕まったんだけどさ。
くそ。危険な国、しかも海向こうの大陸にまで絶対追いかけてこれないと思ったのに。
僕の思惑にはめられたからなのか、ヴェルはいまだに家出の件については文句を言ってくる。いや、言葉のとおり恨んでいるのかもしれない。
「まあ、そのくらいにしてあげてくれ、ヴェル。あの時、ノアが帝国のスラムにいなければ俺は助からなかったのかもしれない。自力では身動きが取れなかったからな」
苦笑しながらノクトは弟をなだめてくれた。
友人であり、今では僕の近衛騎士でもあるノクトはいつだって僕の味方だ。三年経った今でもノクトのことは家族同然、いや、それ以上に大切な存在になりつつある。
「そういえば、吸血鬼に変えられたばかりだと最低二年は寝たきりになるんだっけ」
「ああ、そうだ。俺は祖国が帝国に征服された折に囚われ、捕虜になり、吸血鬼の
色の薄いアイスブルーの瞳が微笑みかけてくる。
ノクトの瞳はきれいだ。まるで湖のように穏やかで透き通っていて、いつも穏やかで。けれど、僕はそんな彼の壮絶な過去を知っている。
ほんの少し例外はあるけれど、吸血鬼の
ノクトの場合、少し違う。吸血鬼に変えられたのは最近のことだし、彼は喰われる前のことだって覚えている。過去のこと——祖国と両親を失ったこと——も、喰われた時のこともすべて
国を奪われ、家族を奪われ、いのちさえも奪われた。そんな理不尽な目に遭って、心の傷がたった三年で癒えるわけがない。
なのに、ノクトはいつも穏やかに笑って、泣き言ひとつ言わないのだ。
だから僕もいつも通りノクトに笑いかけるようにしている。笑ってそばにいることが、今僕がノクトにしてあげられることだと思うから。
「さて、書類の仕分けは終わったな」
「とりあえず言われた通りにしたけどさ、これってどういう基準で分けているんだ?」
ゼレスの執務机にはグループごとに仕分けされた書類の小山がいくつかできていた。最初は双璧みたいな量だったわけだし、仕分けしても山になるってどんだけ多いんだろう。
首を傾げるヴェルに対してノクトは穏やかな笑みを返している。
「もちろん、優先して処理すべき順位に従って分けているぞ」
「え?」
その言葉に僕とヴェルは目を丸くした。
優先順位に分けようと思ったのは僕たちも同じだ。けれど、書類を読み込めば読み込むほどどれも優先させなきゃいけないように思えて、仕分けなんてできる気がしなかった。なんていうのかな。仕事量が多すぎてなにから手をつけたらいいかわからない状態ってのと似てるのかしれない。
「俺とノアも最初は優先度の高いやつからって思ってたんだけどさ、なかなか仕分けられなかったんだよ。だってどれもすぐに手をつけなきゃヤバい案件ばかりだろ!?」
「たしかに他種族の村や国との同盟の締結、隣国との外交は急務だが、まずは国内に手を出すべきだと思う。書類に期日がきちんと記載されているだろう? まずは締め切りが近い順番に分けて期日が近いものから処理すべきだろう」
「ああ、なるほど!」
僕は処理すべき問題の方にばかり目を向けて、その項目ごとに書類をグループ分けしようとしていたけど、それだけじゃ足りなかったんだ。まださらに分ける必要があったんだ。
「やるべきことをさらに細かく分けるんだね?」
「そうだ。期日の近い書類や判を押すだけ済む書類から優先して片付けていこう。
「そうだね。騎士団には僕も知り合いがいるから、掛け合ってすぐに行ってくれないか聞いてみるよ」
ノクトが考えた方法は効率的だった。書類の内容によってはすぐに片付けられないものはあるにしても、これなら僕とヴェルの三人ならなんとかなりそうな気がする。
あとは国王の権限が必要そうなものはカミルに持っていけばいいだけだ。
そういえばカミルは今も仕事しているんだろうか。
できることなら早く眠らせてあげたいのだけど、今はカミルの様子を見に行く余裕がない。しばらく眠っていないにしてもちゃんと休んで欲しいのだけれど。
そう脳内で噂をしていた時だった。
紙束の中から一枚書類を抜き出して判を押していると、ふいに執務室の扉がかちゃりとひとりでに開いたのだ。
「ゼレス、いつまで遊んでいるつもりだ。期日が迫っているものを早く私のもとへ持って……、ゼレスはどうした?」
まさに、噂をすればなんとやら、だ。
ノックもなく部屋の中に入ってきたのはカミルだった。
王のまとうマントも王冠も身につけず、まるで宮廷魔術師みたいな真っ白なケープ姿で現れた彼は書類を片手に持ったまま、フリーズした。
宝石みたいな赤い瞳がゆっくりと動く。無言で僕たち三人を見て、部屋を回したあと、おそらく聡い彼はその短い間ですべてを察したのだろう。
普段通りにこりともせず、感情のともらないように思える瞳で、白き王はこう尋ねたのだった。
「おまえたちはここで何をしているのだ?」
出戻り狼のお仕事日記 依月さかな @kuala
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