IOVE

俺達は生きている


 『自分』に選ばれた人格と、選ばれなかった人格の争いから一年。


 



 世界は痛みの記憶から目を背け、日常へと返りつつあった。


 テレビを付けると、下らないニュースばかりやっている。猫が子供を産んだだとか、犬が玩具で遊ぶ様子がどうだとか。ネットを開けば陰謀論に支配された人間が過去と向き合おうとするも、誰も相手にする気力などなく、直ぐに廃れていった。


 あらゆる界隈の、あらゆる人種の、あらゆる地域の、あらゆる国が大ダメージを受けた通称『幻影事件』。世界的な集団幻覚として結論付けられた一連の騒動には誰も触れたがらない。幻覚の癖に実害が出てしまった。その因果関係について何処の専門家も軽率に口を挟めないのだ。


 


 ピンポーン。



「はーい」



 来訪者を告げる音。扉を開けると、明鬼朱莉が立っていた。



「おはよう。引っ越したんだね」


「色々事情があってな。仕事か?」


「じゃなきゃわざわざ来ないでしょ。君にしか出来ない仕事だ。手ぶらのままでもいいんだから、早くきてよ」


 この名前は苗網操から貰ったものだ。それ故にこの朱莉は俺の知る朱莉と同一人物だがかつての記憶はない。自分勝手に世界を滅ぼそうとした記憶なんてない方がいいと思っての事だ。無罪放免という訳にもいかないので、こうして俺の仕事を手伝わせている。



 鬼の子には、首輪が必要である。



 ならどんな事がっても俺はこいつを見放さない。またいつどんな事があっても良いように傍で見張っておく。それがもう一人の戦犯であるドッペル団リーダー『ネームレス』の役割だと思うから。


「……昨日、夢を見たんだ。私が君を困らせる夢」


「………………本当だったらどうする?」


「え、本当なのッ? ご、ごめん! 何したんだっけ?」


「ああ、非常に困らせてくれた」


「嘘つき」


「へ。バレたか」


 他愛もない雑談を交わしている内に職場に辿り着いた。そう大層な場所ではない。かつて教会だった場所を改装しただけだ。表向きにはまだ教会の扱いで良いのだろうか。その辺りの詳しい管理は朱莉が担当しているのでよく分からない。




「―――おはよう、影達よ』




 分厚い木製扉を開きながら高らかにそう告げると、長椅子に座った全員がこちらを振り向いた。共通点は無い。老若男女入り乱れた五〇人あまりが俺と朱莉を見つめている。彼等は全員ゲンガーだ。本来生まれなかった人格の一つだ。


 黒幕を殺してもゲンガーを殲滅するのは悪手だった。まず物理的に不可能だったし、何よりゲンガーのお陰で死者を誤魔化せていたから、そこまで滅ぼしてしまえばアイツの筋書き通りになると思い、考え直した。


「今日も集まってくれて何よりだ。さて、君達はまだまだ人類としては半人前、道徳のどの字も知らない子供だ。幸運にも生まれる権利を得たのなら、人類としての振る舞いを勉強しなければいけない―――今日も、授業を始めるぞ』


 


 ゲンガーを『本物』として一から教育し直すという方針に。



 それは誤魔化しでしかないものの、彼等もまた人格を持った人間だ。人間は殺せない、それがドッペル団の大義だった筈。かと言って死者蘇生など現代の科学では不可能。これが精いっぱいの落とし所だ。失った命は元に戻らない。何もかも丸く収めようなんてそうはいかない。


 俺の尊敬する医者が言っていた言葉だ。


「先生、僕は今日ゴミ拾いをしました! これは正しいですか?」


「正しい行いだ。これからも模範的な人間として務めろ』


「はーい!」


 


「せんせー!」


「先生」



「人気者じゃん。先生?」


「お前が言うなお前が。後は勝手に進めておくからお前は引き続きゲンガーの保護を頼む』


「じゃあ、名前を貸してよ」


「…………彩島春夏と静谷泰河』


「男女ね。じゃあ行ってくる」


 ゲンガーの器は借り物だ。しかしそこには強すぎる人格があるので、他者の名前を与えようとすると強い反発を見せる。朱莉に『鬼』の力を残したままにしてあるのはこれが出来るか出来ないかという大きな差があるからだ。




 俺の仕事は、浮世にあぶれたゲンガーを保護して、真っ当な人間として教育し直す教師だ。




 これで人類の減少を少しでも食い止められればいいと思い、三か月ほど前から始めた。余計な煽りさえいれなければゲンガーは普通の人類よりも幾分素直で聞き分けが良い。面白いように言う事を聞いてくれる。



「先生! アイとは何でしょうか!」



 尋ねて来たのは三〇代の女性だ。何処で耳にしたのだろう。とても懐かしい響きに微笑みすら漏れる。


「―――アイとは。そうだな」


 応えようとしたその刹那、携帯が鳴った。俺の携帯は経験則だがタイミングの悪い時にしか鳴らない。番号通知を見るに家からだ。



『もしもし』


『あ、タク? 出てくれたなら良かった。ちょっと変わるね!』






『ひるねになった』





 


『―――アイリス!』


 相も変わらずぶっきらぼうな声だが、それが今は心地よい。戦争の執着と同時に眠りについていて―――もう二度と起きる事はないと薄々思っていたのに。


『おはようネイム』


『…………こんにちはだろ。丁度いいや。人類最初のゲンガーさん。うちの生徒の質問に答えてくれよ。アイって何ですか?』


 携帯をスピーカーにして、生徒達の方に向ける。












『自分で決めないと意味がない』


『選んでみないと分からない』








『きっと、尊いモノだよ』

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ドッペルゲンガーにアイはない 氷雨ユータ @misajack

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