二人きりの大罪



「鬼灯は、鬼の力を生まれ持った人間に明鬼の名前を与える。僕が生まれるより前に居た明鬼朱莉が誰かに攫われて、順番が回ってきた。鬼の名前は色々と都合が悪いから隠したけれども、鬼と接しちゃいけないのが決まりだから、当時の朱莉は心を病んでね。小学校に上がっても限界まで誰かと仲良くするのを避けたら、不登校になっちゃった」


「でも義務教育だ。出ない訳にもいかないだろ」


「それでも出られなかった。それでも迷惑を掛けたくなかった。だから朱莉はその力で僕を呼んだんだ。僕は確かに男だけれど、性徴期が単に遅いという事もあるからね。適当に女装すれば小学校は乗り切れた」


「他のゲンガーと違って、理性的なんだな」


「君が言ってくれた通り、他の奴等はちゃんと怒りを煽ってるからね。僕は朱莉で朱莉は僕。唯一無二の親友だった僕達は直ぐに仲良くなれた。下心は無かったよ。選ばれた『自分』がめそめそと泣いてるのはどうも尻の座りが悪くて。寝る時も風呂に入る時も遊ぶ時も一緒。理想的な共存関係だった。中学に上がるまではね」


 どんなに草延匠悟の記憶を掘っても、きっかけになり得るエピソードは見当たらない。ここまで聞いても、俺には筋道が見えなかった。


「何があった?」


「別に変わった事はないよ。僕が君に話しかけて、友達になったというだけだ。僕にとっても初めて出来た『自分』以外の友達。ほんっとうに楽しかった。学校から帰ってきたらその日の出来事を聞かせるのが僕の仕事でもあったからね。結果として朱莉には毎日君との会話を聞かせる事になった。お蔭様で朱莉は徐々に明るさを取り戻していったよ。そしてある時提案してきたんだ。私も学校に行くってね」


「…………」


 何があったかというなら、何もなかった。


 何があったかと言えば、何も無かった日々があった。例えば俺がお姉ちゃんとの日々を愛おしく感じていた様に、鬼の子である朱莉もまた何でもない日々に価値を見出していた。何かある必要さえなかったのだ。友達同士の会話なら、そこに俺さえいれば成立する。


「僕が行ってたものを今更修正する訳にもいかないだろ? だから彼女にも男装してもらった。それからちょくちょく入れ替わって学校に行ってたよ。家族もこの件は気が付いてない。代わりに僕が留守番して、我儘な朱莉の代わりを演じてたしね」


「…………高校は?」


「高校も一緒だよ。僕達は君と触れ合う程、君の事を愛していく様になった。いいや、きっかけは僕だけどさ。話しかけた理由なんて何となくで、でもそれが堪らなく愛おしくて。僕達の話題は次第に君の事ばかりになった。最初は良かったかもしれないけど、次第にそれは競争みたいになってきてね。どっちが多く君についての情報を持って帰れるか、どっちが多く外食した君の代わりに会計出来るのか、どっちが多く君に話しかけたか、どっちが多く君に触れられたか、どっちが多く君に見つめられたか、どっちが多く君に親切出来たか。争うようになった。君が分からないのも無理はないよ。僕達は僕達で完結してる。僕も次第にアイツが憎くなってきた」


「そんな事で、自分を憎むのか? 仲の良かった親友だろう」


「可愛さ余って憎さ百倍だよ。―――少し話は逸れるけど、匠。君は人間の命は軽いと思う? 重いと思う?」


「何だ急に。俺の旧い価値観で言わせれば、重いよ。だから今の価値観は嫌いだ」


「人間は尊いと思う?」


「……はあ?」


「七〇億人も人口が居て、それでも人間は尊いと思う? 僕は全くそうは思わない。道端の石ころに尊さを見出すようなものだ。尊いとは非常に価値がある、貴重であるとそんな意味だ。それで尊いとか、それで人の命が重いとか、馬鹿馬鹿しいと思う。でも僕だって人間になる予定だった存在だ。尊びたいという気持ちはあってね。ほら、僕、随分最初に言ったでしょ。この鬼子戯びを始めた最たる理由だ」




「同じ人間は二人も要らないんだ」




「――――――!」


 それは。そういう意味だったのか。今更のように気付いて、背筋が総毛立った。その発言はゲンガーに対する何かしらの意図があったものではない。殆ど自白ではないか!


「―――そうか。だからお前は。ゲンガーと人を争わせてるのか」


「うん。君以外の人類が死んでくれれば、人類は非常に価値が高い、貴重であるという事になる。争わせ方は君が言った通りだよ。ドッペル団の情報は上手く拡散してくれたお蔭でどちらの側にとっても恐ろしい存在になった。他のゲンガーはドッペル団を見つけて殺せばこのゲームに勝利すると思い込んでるし、人類は殺さなきゃ自分たちが殺されると思ってる。もうゲンガーも随分広がった。把握はしてないけど、七〇億を潰し合わせるのにそう時間はかからないだろうね」


「お前達の方のゲームに、それは何か関係あるのか? 勝手に全体を巻き込んで何様のつもりだ」


 段々腹が立ってきたのは否めない。アクア君の気持ちが少しだけ分かった様な気がする。好きな人を盗られたとは事情が違うものの、自分の知る朱斗とは違う人格をまざまざと見せつけられると、友情を踏みにじられているみたいでむかつく。


「大いに関係あるよ。これは僕と朱莉の全面戦争だって言っただろう。朱莉は君の側についてゲンガーに立ち向かい、僕はそれを跳ね除けて人類を殺す。無事に僕が殺されれば朱莉の勝ち。好きなだけ君と一緒に居ればいい。僕が人類を君だけにすれば僕の勝ち。二人は新たにアダムとイヴになる。なんてね」


「―――男だろ、お前」


「ゲンガーは自由に身体を作り変えられる。『自分』に選ばれなかった奴等が哀れにも本物っぽく取り繕ってるだけだ。チュートリアルで教えてあげた筈だよ。あれはわざわざ君をこっちに引き込む為に命令してやったんだ。お蔭で綺麗に引き込めたね♪」


 苛立ちは募るばかりだが、大体の事情は呑み込めた。黒幕を見つけたからと言ってまだゲームは終わっていないし、終わらせない為にレイナはそこで気を失っているわけだ。人質に取れば当然俺は動けない。精々こうして話し合うくらいで、懐に隠した凶器は触れる事も出来ない。



『もう一度言うけど。私は君の傍から離れたくない。だからゲンガーと戦ってるんだ』



 なら、あれもそういう意味だったのか。


 朱莉は俺の傍から離れたくなくて、間接的には人類を失いたくなくて。ゲンガーもとい朱斗と戦っていた。


「貪婪な鬼だな。お前達は』


「ん?」


「所詮、鬼は鬼だ。人類を嫌っているかどうかではない。理由がなかったとしても鬼は人ではない。お前も朱莉も、他の人間を駒か何かだと勘違いしている。何故ここまで事態を深刻化させた。俺の取り合いなら、ここまでする必要はない筈だ』


「それは僕に聞かないでよ。ゲンガーを誑かすには丁度いい建前があってそれを話しただけ。最初と最後以外は僕も統率ははかってない。なるべくしてなった自然現象みたいなものだ」


「ふざけるな! 貴様らの力が招いた悲劇だろう。それとも実際にお前たちにとっては劇で、登場人物はお前達二人と俺だけか? 他は全て観客か風景か小道具かおちゃらけるのも大概にしろ! 自らの力の本質さえ把握しておらぬ餓鬼が、アイをはき違えたクソ餓鬼が、調子に乗るなよ』


「―――君は誰? 匠に代わってよ」


「……俺は匠悟だ。俺も『俺』と今は同じ気持ちだよ。さっきから話を聞いてりゃ自分の事ばかり。そんな奴を俺が好きになるとでも思ったのか?」


「二人だけしか知らない秘密を共有して世界の危機に立ち向かう。二人で一緒に殺人をして、その罪を背負う。これだけ色々限定状況を作り出したんだ。一発くらい当たるかなと思ったんだよ。まあ結果的には無意味だったけどさ」


 自分勝手で、傲慢で、偏屈で。その一言一句を聞くだけで怒りが振り切れてしまいそうだ。かつての俺は血筋とやらに引っ張られ過ぎている事を嘆いていたが、典型的に朱斗もそのタイプだ。『獣』の呪いに自死を選ばされた大神君の様に、鬼の子はそれが自然であるとばかりに高圧的に。


「…………朱莉にも色々聞きたい所だが、お前のその性格の悪さなら察せるよ。元ネタ的にもな。ネタバラシしたらアイツを殺すつもりだったんだ。見てるんだろ、ずっと」


 信用を得られたタイミングでぶちまけるのが一番効果的だ。というより何の制約も無ければそれが必勝法になる。全部知っていたならそれをぶちまけてさえくれれば、時期によっては俺も協力しただろう。


 でもそれは、鬼が自首をするようなものだ。興冷めだ。


「あはははは♪ その通り。だって公平じゃないよね。ゲーム中朱莉はずっと君の傍に居られるのに、僕は最初以外ずっと離れてないといけない。や、勿論協力くらいはしたよ。君に頼まれた事を代わりにやってくれとかそういうのならね。譲歩出来るのはそのくらいだ…………ちょっと気になったんだけど、全然聞かないじゃん。朱莉はどうしたのって」


「お前が殺したんだろ」


「何でそう思うの?」


「勝ちが不安なら盛大なネタバラシをする必要がない。つまりお前は勝ちを確信したって事だ。どんな奴でも勝ちを確信する状況、対戦相手が居なくなればいい。大方、アイツに優しい言葉を掛けて油断させたんだろう。主導権を取られてるなら相手は従わざるを得ない。簡単に殺される。俺が気付いてなきゃ、誰も消えてない事になるだけなんだから」


 最初に聞いた説明は全部、自己紹介だった。この腹黒野郎の手口が説明されていただけで、最後まで俺はそれに気が付けなかった。あの時点では無理だが、もっと早くに気付けていれば犠牲は少なかっただろうに。


 話し始めて一五分。ようやく俺は足を前に動かした。


「アダムとイヴなんて冗談じゃない。お前なんか嫌いだ」


「でも、もう止められない。私を殺した所で同じだ。ヒトもゲンガーも存在しないドッペル団を見つける為に争い続ける。だから僕の勝ち♪ 好かれようと嫌われようと、今、紛れもなく君の感情を一番強く向けられてるのは僕♡ あははははははははは! 最初みたいに僕をバラバラにする? いいよ、抵抗しない。殺せばいい。僕は死ぬがそう遠くない内に君は一人生き残る! そうしてまた何度でも、僕をアイしてくれるんだ! あははははは―――――――」



 ズブッ。



 取り出した匕首を、躊躇わず朱斗の首に突き立てる。それ以上喋るなと。暗にそう伝えたつもりだ。


「………………お前なんて、嫌いだ。でもな、そいつがどんな奴でも、俺にとっては大切な友達だよ。お前が正真正銘のゴミクソ野郎なのは嫌という程分かったが、それでも俺達は友達だ。間違った事をしたなら、止めないとな」


「――――――は゛ッ」


 匕首を抜く。傷口からゴボゴボと湧き出る血液に比例して、朱斗の身体の力が抜けていく。全身の血の怪我薄れ、動く気配もない。それでも残る力でレイナの事は支えていたが、それも一瞬で尽きた。


「いいだろう、お前の勝ちだ。ただし、全ての思惑は破壊させてもらう。俺とお前が継ぐのはこの世界を滅茶苦茶にした責任だけだ。責任があるのはお前だけだ。『自分』に選ばれなかった奴等に罪はない。何もかもお前が悪いし、そうとは知らずに人を殺しまくった俺も悪い。登場人物が俺達しか居ない悲劇なら、二人でフィナーレを飾ろうか』



 そうして俺は、既に息絶えた明木朱斗の死体を名前もろとも切り刻んだ。



 名前も身体もズタズタに引き裂かれた彼には、もう身分を証明するものはない。ここにはただ、死体があるだけ。


「………………千歳!」


「は、はい!」


校庭の外から様子を窺っていた千歳が小走りで向かってくる。死体を直視させるのは気が引けたので、俺の方からも向かった。霊坂澪奈を抱き上げながら。


「キス頼む」


「え……あ、はい。でもセンパイ―――」


「俺の事は気にするな。頼む」


 最後の心残りを、この為に使う。不本意にも慣れてしまった口づけを経て、千歳が大きく頷いた。


「ゲンガーじゃないです。はい」


「…………」


 俺以外の人類が要らないなら。秘密を共有したいならレイナを殺せば良かったろうに。何故一度狙ったきり、狙わなかったのだろう。



 ――――――。



 考えるのは後だ。


「山羊さん」


「見てたからもう居るよ。あの子、逃げ出すつもりが一切なかったね。確証はないけど、元々殺されに来たみたいな感じに見えたよ」


「…………レイナを頼む」


「ん。分かった。これからどうするの?」


「鬼子戯びを終わらせるんだよ」


 レイナを手渡しで預けると、俺はすっかり人気のなくなった中学校の中へ入り、土足のまま階段を上って屋上へ。昔、自殺した生徒がいたとか居ないとかでフェンスがついているものの、下を見下ろすくらいなら可能だ。



「みてた」



 朱斗の勝因は、鬼の因果になんら関わりのない動機であった事。その敗因は、元ネタの鏡ゑ戯びについて良く知らなかった事。


 ウツシはゲンガー。人はヒト。『火』は火翠で『水』は水鏡『狛』は狛蔵。ウツシは自分以外の全てがウツシだと誑かされ、ゲンガーは本来自分が生まれる筈だったと誑かされる。ウツセミ様の正体は水鏡幻花で、水鏡幻花の研究を模倣しようとしたのが鬼灯で。模倣した結果が鬼子戯び。


 彼がもう少し鬼の過去を辿っていたなら、オリジナリティを加えて混乱させる事も出来ただろうに。良くも悪くも俺しか眼中になかったせいで、全てを覆す致命的な要素を見逃してしまった。


「アイリス。頼めるか?」


「……………………」


「神楽愛莉栖。原初の影よ。お前が審判だろう。頼む』


 誰にも気づかれてはいけないその役目を、彼女は失敗した。それでも、一命は取り留めた。これもまたゲームの必勝法だ。審判を味方に付けてしまえば、どんな勝負も判定勝ち出来る。





アイリスは首に掛けていたヘッドフォンを頭に掛けると、イヤホンを虚空に繋いだ。


 




 玉音放送を彷彿とさせるザラついた音声と共に、『世界』が声を発した。




【こ こ に 鬼 子 戯 び の 終 了 を 宣 言 い た し ま す




 人 類 の 勝 利 で す  お め で と う ご ざ い ま す】





 たった二言の放送が、地球上のあらゆる喧騒を止めた。


「わたしのやくめはおわり」


 虚空に繋がれたイヤホンを耳に戻し、ヘッドフォンを首へ。彼女は静かにその場で座り込み、ぬいぐるみのように足を延ばした。


「ネイム」


「―――何だ?」


「ありがとう」


「…………そんな悲しい事言うなよ。永遠の別れみたいじゃないか」


「すこしねむるだけ」


「役目が終わったからって、お前は大切な恩人だ。俺は絶対見捨てないぞ」


「おやすみなさい」



 アイリスは静かに目を瞑り、動かなくなった。












 俺達ドッペルゲンガーの戦いは、これでお終い。



 どうやら、戦争という奴は虚しいらしい。



 世界に多大な爪痕を残して尚、何も得られなかった。失うばかりだった。





 それでも俺は、生きていかないと駄目だ。この穴だらけの世界で。  




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