わたしの王子さま

酒魅シュカ

わたしの王子さま

 ジャン・トリスタンさまは情けない。

 のちに聖王と呼ばれるルイ9世陛下の王子なのに、お父上のような英雄になろうという気がお有りでない。

 今日も剣術で弟殿下に負けて、おまえ強いなあなんて笑っておられる。

「お前、トリスタンの名前が泣くぞ」と兄殿下に呆れられても気にされてもいない。


 はじめて出会ったとき、私は10歳で殿下は13歳だった。

 最初の印象は最悪だった。


 侍女として王宮に上がった私は、はじめての生活に馴染めず、毎日泣いていた。

 田舎の貴族の娘の私にとって、王宮は迷宮にも等しかった。

 かと言って、父やおじ達を十字軍で亡くし、母も流行り病で喪った私には、帰る場所などなかった。

 ある日、私は突然殿下に呼び出された。

 先輩侍女たちに、伽の相手をさせられると吹き込まれ、比較的ましな下着をつけて部屋を訪ねた。


 殿下は、長椅子に寝転がって何かを読んでおられた。

 私の顔を見ると、ずかずかと近づいてくる。

 いきなり顔をぐいと掴まれる。

 恐怖で息も忘れる。

「泣いていたのか」

 無言でかくかくと頷く。

「そう、かしこまるな。そうだ、菓子でも食べぬか?」

 焼き菓子は美味しそうで惹かれたが、畏れ多くて今度はぶんぶん首を横に振った。

 殿下は困ったような顔をされる。

 空気が冷たい。私は教えられたことを思い出して、服を脱ぐ。

「何をしている?」

「ご機嫌を損ねたら、肌を見せよと言われました。伽をするからと」

 笑い声が部屋に広がる。殿下はひとしきり笑ったあとで言われる。

「服を着ろ。余は父上のような善きクリスティアヌスでありたい。そなたとそのような関係になるとしたら、結婚したあとだ」

「結婚……ですか?」

「何か妙なことを言ったか? 余は」

「私のような身と殿下が結婚など、思いも及びません。伽の相手だけせよと言われたほうが、安心します」

「そう自分を卑下するものではない。余らはみな、神の子供なのだ。奴隷も自由人もない。聖書にそうある」

 私は、なぜ自分を呼んだのかと尋ねた。

「余は魔法を研究している。そなたの身で試してみたい魔法がある」


 魔法。悪魔たちを研究することで、人が手にした全く新しい力だ。


 聖地に悪魔の集団が現れて二百年。人は多くの犠牲を払いながら悪魔と戦ってきた。

 燃える石による治らない火傷、避けられない矢と、たちどころに腐り落ちる傷口。未知の悪魔の術に対して、傷を癒やす魔法が発見されたのはつい数年前のことだ。その裏には、貧民を中心におびただしい数の犠牲があったという。


 背中を冷たいものが流れ落ちる。

 私は唾を飲み込んでから、頷いた。

 目の前に掌が差し出される。

 何もない。

 次の瞬間、ボンッ! という音とともに一輪のバラが生まれていた。

 初めて見る。魔法だ。凄い。何もないところからバラが生まれた。

 ところが殿下は不満げだ。首を傾げておられる。

「失敗……なのですか?」

「うむ、失敗だ。なにしろこれは、『泣いてばかりの女の子を笑顔にする魔法』だからな」

 なにそれ?

 思わず吹き出していた。

 殿下も笑った。

 部屋を出ていくときに声を掛けられた。

「余と結婚したくば、もう少し太れ。胸も尻も大きい女が、余は好きだ」

「精進します……」


 そのバラの押し花は、今は私の宝物となっている。


 殿下の役に立ちたくて、私も魔法を習い始めた。

 剣や槍と違い、魔法は一段低く見られているせいか、宮廷魔術師たちは、私のような侍女にも魔法を教えてくれた。

 筋が良いと言われ、一年で防ぐ魔法を、二年で傷を癒やす魔法を習得する。

 殿下にも褒められる。

 それが励みになった。


 すぐに気づいたことがある。

 人を容易く葬る悪魔の術に対し、人の魔法は補助的なものに留まっていた。

 実体を持たない悪魔に対しては、魔法による攻撃が有効、とは魔術師たちの口癖のようなものだが、肝心の攻撃の魔法が完成していないなかった。

 やはり、世間で言われるように、騎士たちの鍛え抜かれた魂だけが悪魔を打ち砕けるのかもしれない。


 その一年後、殿下はあっさりと結婚した。

 お相手は大貴族のお嬢様。

 まあ、そうだよね。

 夢見ていた自分が馬鹿みたいに思える。

 押し花を捨てようとして、やっぱり捨てられなかった。

 魔法の勉強も、おろそかになっていった。


 何年経っても殿下には、お子が出来なかった。

 それを喜んでいる自分に気づく。

 もしかしたら側妾として、などと期待している。

 醜さに嫌気が差す。


 国王陛下の体調が優れないという噂と、再び十字軍を決心されたという噂が、自分の中でどうも結びつかない。

「父上は死ぬつもりだ」

 殿下は言われた。

「余も行く。余も死ぬだろう。だが、ただで死ぬつもりはない。必ず聖地を回復する。今回は集めに集めた聖遺物も持っていくつもりだ。魔術師も多く連れて行く。そなたも来い」

 突然の言葉に驚く。

 戦場に女を連れて行く意味を、知らないわけではない。

 しかし、魔術師が欲しいだけだとすぐに気づく。

 それでも私は頷くしかなかった。


 2月にパリを出発して、サルディニア島に着いたのは5月だった。田舎とパリしか知らない私は、穏やかな日差しと青い海にすっかり魅了される。

 サルディニア島で殿下は20歳になった。

 盛大なミサが執り行われる。司祭に祝福される殿下のお姿は、古の英雄トリスタンそのもののように見えた。

 サルディニア島では2ヶ月を過ごし、アフリカのチュノスが上陸地点であることが告げられる。

「此度はイスラームのスルタンたちも協力してくれる。聖地を人の手に取り戻すべし」

 国王陛下は全軍を前にして演説した。


 チュノスは暑かった。

 事前に聞かされていた話と違って、スルタンは少しも協力的ではなかった。

 疫病が流行っていて、それどころではないらしい。

 疫病はたちどころに、私達も蝕んだ。


 汲んだばかりの水がすぐに腐る。

 病人の身体を拭いた布も毒となった。

 魔術師たちが魔法で解毒するが、とても追いつかず、魔術師すら次々倒れた。

 兵士は逃げ出し、逃げ出した先で首を吊った。

 悪魔の仕業だと噂が流れる。

 十字軍は呪われたのだと。

 国王陛下が倒れ、ついに殿下も倒れた。


 天幕に殿下を見舞う。

 水差し一本分、一日かけて解毒できた水はたったこれだけだ。

 殿下は、私の姿を見ると体を起こされる。

「すまんな……」

 すっかりやつれてしまっておられる。

 おいたわしいと同時に、これが憧れた姿かと情けなく思う。

 ふと、傍らに円形の何かが置いてあることに気付く。

 聖遺物。イエズスの冠だ。

 イエズス様が十字架にかけられた際に着けさせられたという、いばらの冠。

 これを着ければ、悪魔の呪いを打ち払える。

「ああ、それか……」

 私の視線に気づいた殿下が声をあげる。

「これをお使いになれば、病など……」

「使わんよ。それは人の世の宝だ。余などが使うべきものではない」

 余など、なんて言ってほしくはない。自分を卑下するなと言ってくれたのは、あなたじゃないか。

 泣きそうな私の表情に気付いたのか、殿下は掌を差し出す。

 現れる一輪のバラ。だがそれは、殿下の手のようにしなびてしまっている。

「袖に隠したバラを、革袋を破裂させる音を目くらましにして素早く出しているだけです……。無から何かを作り出せるなら、それは悪魔を倒す、力ある魔法となります。殿下は、そこまで至っておられない」

「そうか……良い魔術師になったな」

「お水を汲んできます……」

「幕営地を出るでないぞ。ここは聖遺物で守られているが、外は危険だ。魔王がいるやも知れん」


 私は自分を誤魔化すように大股で歩く。なぜあんな意地悪なことを言ってしまったのだろう。情けない。

 もし、という思いが溢れ出る。

 もしふくよかだったら、もし大貴族の娘だったら、もし父が生きていれば、殿下と結ばれたのだろうか。

 父は何故死んだ。

 前の十字軍だ。十字軍を始めたのは国王陛下だ。憎い。国王も、なにもかも。

 気付くと幕営地を出ていた。枯れ木が風に揺れて不気味な音を立てる。

『良い』

 声がする。何だこの声は。

『我が力の半分をやる。そなたの願い。叶えるがよい』

 何かが私の中に入り込む。

 そして私は意識を失った。


 何かが燃える臭いがする。金属のぶつかる音。叫び声。

 気付いたとき、目の前に地獄が広がっていた。

 無数の騎士の死体。国王陛下の姿もある。生き残ったものは魔王への呪詛を吐きながら逃げ惑っている。

 幕営地の何もかも燃えていた。

 私の体から無数の黒い茨のようなものが生えて、それが人を殺している。

 魔王の呪いだと気づくまで、しばらくかかった。

 手足が勝手に動き、かろうじて生きてうごめく者たちを茨が貫く。

 誰か、と願う。誰か、私を殺してくれ。

 そのとき、燃え落ちた天幕から誰かが走り出てくる。

 殿下だ。イエズスの冠を左腕に巻き、右手には剣を持っている。

 いや、剣ではない。黄金に輝くそれは、私の茨とそっくりな形をしている。

 攻撃の魔法。完成していたんだ。

 殿下は、攻撃の魔法で黒い棘を切り裂きながら迫ってくる。

 これで殺してもらえると思った刹那、黄金の剣が消える。イエズスの冠を着けた左腕が差し出される。殿下の体を黒い茨が貫く。

 殿下はイエズスの冠を着けていなかった。

 だ。

 イエズスの冠は私に触れると、意志を持っているかのように、右腕に巻き付いた。


「なぜ……?」

 体が動く。私は倒れる殿下を抱きとめる。

「そなたは無事か……よかった」

「でも、殿下が……」

「余のことはよい。良いか、よく聞け」

 殿下は私の両肩を掴んだ。

「そなたの身には、魔王の術が宿っている。それは人が初めて手にした攻撃の魔法だ」

「違う。殿下は、攻撃の魔法を完成されておられた」

「余の攻撃の魔法など、まだまだ未完成だ。良いか、その力を使いこなせ。そしていつか、悪魔を討ち滅ぼせ」

 私の腕の中で殿下は息を引き取った。

 ジャン・トリスタンさまは情けない。

 一生をかけた研究の成果をあっさりと捨てて、私なんかに希望を託すなんて。

 私は必ず悪魔を討ち滅ぼす。殿下に救われた、この命をかけて。

 ジャン・トリスタンさま。私だけの英雄トリスタン





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしの王子さま 酒魅シュカ @sukasuka222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ