ヨウくん

碓氷果実

ヨウくん

「怖い話……ってわけじゃないんですけど」

 Mさんはそう語り出した。


 友人の紹介でMさんの話を聞くことになったのだが、「お前、に詳しいよな?」と言われたのが気にかかっていた。

 僕はしがない一介の怪談好きにすぎず、(どういう意味だ?)ことに詳しい――例えば霊現象の原因がわかるとか、あるいはそれは心因性のなんちゃら、みたいな理屈がわかるわけではない。

 なので、「ひどいポルターガイストに悩まされていて……」と言ったような相談事だったらどうしようかと内心ハラハラしていたのだが、待ち合わせの喫茶店で先に待っていたMさんは、やわらかな微笑ほほえみが印象的な穏やかな雰囲気の女性だった。

「イマジナリーフレンドってわかりますか?」

 Mさんは口角をゆるやかに上げたまま、小さく首をかしげて言った。

「ああ、子供のときなんかによくある想像上の……実際にはいないけど、話し相手になってくれたりする存在、みたいなやつですよね?」

 そうですそうです、と今度は首を縦にこくこくと振る。

「そういう、不思議なお話が好きとうかがったので」

 どうも、友人は僕とMさん双方に微妙に違う話をしているような気がしたが、あえてそれには触れず、ええ、と軽くうなずいて先をうながした。

「わたしにもいるんです、イマジナリーフレンドが」

「いる……ということは、子供の頃ではなく、今もってことですか?」

「はい。というか、子供の頃はいなくて、大人になってからなんです」

 なるほど――いわゆる、というやつだろうか。怖い話や不思議な話を探していると、たまに目にする概念だ。イマジナリーフレンドとの違いを明確に説明できるわけではないが、幼少期に自然発生的に生まれるのがイマジナリーフレンド、物心ついてから意図的に生み出すのがタルパ、というような印象がある。最初はタルパの性格や容姿などの設定を決めて行き、やがてそれが人格を持ち始め、最後には姿も見えて会話できるようになるとか――そういう記事を前に読んだことがあった。

「ヨウくんは、わたしのことすごく助けてくれるんですよ」

「ヨウくん?」

「あ、その……」

「ああ」

 イマジナリーフレンドの名前か。

「わたしって、子供のときからすごく気が弱くて優柔不断で。みんなはどう思うのかな、みんなにとってどうするのが一番良いのかなって考えちゃうと、自分の意見が言えないんです。それでハズレくじを引いちゃうことも結構あって。でも今はヨウくんがいるから、決断もできるようになったし、そのおかげで人生がすっごく充実してるんです」

 Mさんは目を細め、一層笑みを深めた。

「へえ、どんなことを言ってくれるんですか?」

「え?」

 僕の思いつきの質問に対して、返ってきたのは想定外に硬い声だった。

「え……いや、そのヨウくんが、どんなアドバイスとかをくれるのかな、って……」

 尻すぼみになった僕の声が消えたあと、二人の間にしばしの静寂が落ちた。

 急に無表情になったMさんの、頬が異様にこけていることにその時初めて気付いた。出会ってから今まで、一度も笑顔を崩さなかったからわからなかった。

「ヨウくんは」

 口を開いたのはMさんだった。またゆるゆると口の端が上がり、頬に仮初かりそめのふくらみが戻る。

ときからわたしの気持ちを代弁してくれたんです」


 


 タルパ――作り出した人格ではないのか?

「よ……ヨウくんとはいつ出会ったんですか?」

「去年の夏です」

 Mさんはもうすっかり元の笑顔に戻っていた。

「みんなで廃墟に行ったんです、肝試しに行こうって。わたしは怖いし、嫌だったんですけど、やっぱり言い出せなくて。あ、その時Dさんも一緒でしたよ」

 Dというのは、Mさんを紹介してくれた友人の名前だ。

「でも、ヨウくんと出会えたので結果的には良かったなって、今は思ってるんです」

 ニコニコと、それは幸せそうに彼女は言った。


 だけどそれは、そのヨウくんは――イマジナリーフレンドではないのではないか?


「あの……失礼かもしれないんですが、ヨウくんと出会ってから、なにか悪いこととか、体調を崩したりとか、そういうことは……?」

 思わずいてしまった。

 Mさんはまたスッと無表情になり、上目遣いに僕の顔をにらみつけた。


「あなたもそんなことを言うんですかあ。まあでも、あなたにはわからないですもんねえ」


 ふん、と小さく鼻で笑って「失礼します」とMさんはそのまま帰ってしまった。

 あとには困惑した僕と、二人分の伝票が残された。




「やっぱりそうなったか……」

 後日、Dを呼び出して、Mさんの件について問い詰めた。

「やっぱりじゃないよ。肝試しのこととか、ちゃんと説明しろ」

「その肝試しのあとから、M、変になっちゃったんだよ」

 DとMさんは大学時代のサークル仲間なのだという。OBとのつながりが強いサークルで、いまだに顔を出すことも少なくないそうだ。

 現役生が肝試しをしようと盛り上がっているときに二人ともたまたま居合わせて、一緒に行くことになった。

「後輩の子が調べた、心霊スポットの廃病院に行ったんだよ」

 若い看護師が医療ミスを起こして何人も死んで、挙げ句その看護師も自殺した、なんてうわさがあったが、真偽の程は定かではなかった。

 メンバーは現役生とOBOG、合わせて七名ほどの大所帯で、きゃあきゃあ騒ぎながら進んだのもあって、そこまで怖くはなかったらしい。

 病院の中もそこまで荒れ果てているわけでもなく、まあこんなもんだろう、そろそろ帰るかとなったとき、Mさんが言った。

「ねえ、なんか、声しなかった……?」

 恐怖じゃないですか? M先輩来る前からビビってたし、と豪胆ごうたんな後輩は笑ったが、Mさんはきょろきょろと辺りを見回し、ナースステーションの方を見て固まった。

 かと思ったら、そのままふーっと後ろに倒れ込んでしまった。

 男性陣でなんとか支え怪我はまぬがれたが、気を失っていたので肝試しどころではないと慌ただしく撤収となった。

「で、そのあとから、あんな感じ」

 Dはため息を吐く。

「なんかさ、ニコニコしてるのは前とそんなに変わらないっちゃ変わらないんだけど、人を見下すっていうのかな? Mってあんまり自己主張しないタイプでさ、俺らも一応気を使ってたつもりではあるんだけど、あの日以降、なにか気に入らないことがあると、」


 まあ、あなたにはわからないですもんねえ


「って、笑いながら言って、その相手を無視するようになって。態度もおかしいし、明らかにどんどん痩せてやつれていくから、それを心配した同期の女子にも」


 あなたにはわからないですもんねえ


「それでもう絶交というか、連絡先も全部ブロック。当然孤立して、でも本人だけがニコニコ幸せそうにしててさ……」

 俺なんか見てらんなくて、お前紹介したんだよ――がっくりと項垂うなだれてそう言われても、僕には何もできない。

「お前、なんかおはらいできる人とか、寺とか神社とか知らないの?」

「だからそういうのは別に詳しくないんだって……」

「はあ……まあでも、俺もついにブロックされちゃったから、仮に知ってても聞いてもらえんだろうしな」

 僕を紹介したことでDはMさんから絶縁されたらしい。

「……結局、ヨウくんってなんだったんだろうな」


 ――ときからわたしの気持ちを代弁してくれたんです


「あの時」

 ぽつりとDが言った。

「Mが声を聞いたって言った時、実は俺もちょっと声聞こえた気がしたんだよ」

「え」

「いや、風かなんかの音がたまたま声に聞こえただけかも。それに、その後のMの言動に引っ張られてるかも知れないんだけどさ」

「いいよそういうの……なんて聞こえたんだよ」

 Dは逡巡しゅんじゅんするようにわずかに唇をみ、おずおずと口を開く。



 良かれと思ってやったんですよぉ。でもあなたたちにはわからないですもんねぇ



「……まあ、でも、ほっとくのもなんか後味悪いっつーか、Mと仲良かった女子と相談して、親御さんに連絡付きそうだったら一報だけ入れようと思うわ」

「……うん、それがいいんじゃないかな……」

 Dに奢らせたフラペチーノは、口をつけないまま、半分以上溶けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨウくん 碓氷果実 @usuikami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説