プリズム


 夕暮れの海は綺麗だった。べとついた暑さから逃れるように二人は海に背を向けた。

 バスを待ち、ふわふわと浮く雲を見る。赤オレンジに色づくそれらに、綿飴を連想した。

 雪柳は泣いてはいないが、泣いた後のように心臓と肺が疲れていた。目白の隣で大人しく座っている。

 目白も同じで、今日バイトが無くて良かったとぼんやり考えていた。いや、バイトが無いから雪柳は海へ誘ったのだろう。

 隣へと視線を向ける。足元を見ているが、綺麗な姿勢。


「お前の姿勢、本当に綺麗だよな」


 口をついて出た。いつかも言った気がする、が。

 反応のない雪柳を見ると、耳が赤い。


「照れてるのか? それとも熱中症か?」

「うるさい」

「やだわー反抗期」

「目白は」


 言いかけて止める。道の向こうにバスが見えた。


「良いよね」

「どこが」


 明らかに雪柳の美点を言ったのとは違うニュアンスに、鋭く突っ込む。


「慕われてて」

「だから、あれは普通に忘れ物届けに」

「そうじゃなくて、最初から。振られた相手にあんな明るく挨拶してもらったことないもん、私」

「それは俺がどうとかお前がどうとかの問題じゃなくて、相手が悪い。相手が狭量だったってだけの話だろ」


 バスが停車し、二人は乗り込んだ。

 一番後ろの端のシートへと座る。窓の外の海を見て、雪柳は話を戻す。


「そんなに相手の所為にして良いの?」

「良い。雪柳は背負いすぎだ」


 きょとんとした顔に、目白は溜息を吐いた。


「自分の背負えない分は捨てろ。捨てるか相手に背負わせろ。二人の間で起こったことに、どっちかの所為なんてのは……」


 ハッと目白は現実に返り、口を閉ざす。


「本当に、目白はママだねえ」

「ママじゃねえわ」

「じゃあゆたぽんで」

「ゆたんぽじゃねえ」


 ふふ、と雪柳が笑うので、目白は気が抜ける。もう海は見えないのに、潮の匂いがした。


「ラーメン、食べる?」

「食べるか」


 バスが駅に近づく。







 味噌ラーメンにコーンを入れるのが雪柳は好きだ。コーンのトッピングが無い場合、しょんぼりする。


「前に言ってた、あれはもう良いのか?」

「あれ?」

「他人からの好意が、信じられないってやつ」


 目白の言葉に顔を上げた。カウンター席の隣に座り、麺を持ち上げる目白と目が合う。

 麺は口には運ばれず、中華丼へと戻った。


「私、中学の途中まですっごい太ってたんだよね」

「おお」

「それでまあまあ虐められてたんだよね」


 目白は返答しなかったが、雪柳は続けた。


「それでもまあ、仲良くしてくれる友達もいて、その中に好きな人もいて、青春に酔ってた私は告白とかして」

「振られた、やつ」

「『お前みたいなブスと付き合うわけねーじゃん』って言われてさあ、そこから人間不信になって不登校になっちゃって、だから三年の殆どは保健室登校してた」


 目白は再度麺を掴む余裕が無かった。ラーメンを食べながらするような話ではない。しかし、雪柳は躊躇いなくコーンを食べている。


「ストレスと悔しさでここまで痩せて、中学の同級生が一人もいないあの高校に入学したっていう話」


 目白の方を見れば、固まったままの姿に目をぱちくりと瞬かせた。


「どうしたの?」

「思ったよりも壮絶で、言葉が無い」

「壮絶じゃないでしょ、そんなに。今こんなに元気だし」

「いや、それは今元気なのが一番だけど」

「高校入って、この外見が好きって言われて最初は嬉しかったけど……そんなの、何も信じられなくて」


 拗れていく。

 絡まっていく。

 雁字搦めに。


 目白は雪柳の薄い肩を抱き寄せた。雪柳が掬ったコーンが何粒か落ち、汁が跳ねる。


「……絶望? 同情?」

「何に絶望すんだよ」

「こいつ昔太ってたブスなのかーって」

「そんなのは知らん。俺は今でもお前はタイプじゃない」


 雪柳の額は目白の肩にぶつかっていた。


「ひどい。でもねー、目白といると安心するんだよね」


 ふふ、と顔が上がる。白い肌が光に当たり、更に白く見えた。目白は不意に泣きそうになり、箸を持ち直す。


「チャーシューやる」

「ナルトもほしい」

「あ、食べた」

「ナルト……ナルトも美味しいのに……」

「すいませーん、ナルト追加で」







 大学は試験期間に入った。雪柳は食堂で昼食を取っている目白の姿を見かけ、近づく。その正面に樋野も座っていた。


「樋野、まだ科目残ってるの?」

「四限に中国語」

「お前は?」

「三限に文学史ある。目白は?」

「豊ちゃんはバイトまでの時間潰し」

「え、バイト? 余裕じゃん」

「緊急で三時間だけ」


 なるほど、だから海堂は居ないらしい。雪柳はその横に座り持参したおにぎりをかじる。


「そういえば、付き合うことになった」

「また? 次はいつまで」


 目白が雪柳と自分を示して樋野に伝える。


「無期限」

「あらーおめでとうございます。特別に俺のモクの写真を見せてあげよう」

「それって樋野の最大の祝福方法なの?」

「不器用な奴なんだよ」


 三人の中で誰より嬉しそうにモクの写真を見せていく樋野を見て、雪柳は笑った。


「じゃあ、同居じゃなくて同棲になんの?」


 その問いに二人は顔を見合わせる。

 確かに、その話をしていない。


「まずい、親に言ってねえわ」

「目白はマザコンなの?」

「違う。でも今回に関しては樋野家から情報が先に回ると体裁が悪い」

「樋野家はスパイ揃いなの? あ、コミュ力お化けのお姉さんがいるんだっけ」


 樋野が噴く。コミュ力お化け、と楽しそうに笑っている正面で、目白は構わずスマホを見ていた。光里に打つメッセージの内容を考えている。


「ずっと思ってたけど、雪柳の家は何とも言わないわけ? 豊と一緒に住んでて」

「そんなに? 一緒に住めるくらいの友達ができて良かったくらいに思ってる」

「豊ちゃん、男と思われてないみたいよ」

「そういえば雪柳の家にも挨拶してねえわ……」


 更に額を抱える目白に、樋野と雪柳は顔を見合わせる。


「そんな考えすぎだよ、目白」

「それはやっちまったな、豊」


 二人して、傷を抉った。


「雪柳、いつ実家帰んの?」

「まだ決めてないけど」

「俺も一緒に行く」

「え、いいよ別に」


 一緒に行く、と復唱。

 一度決めたことは曲げない目白を知っているので、雪柳は結局承知した。


 試験を各々無事終えて、夏休みに入った。雪柳は江長に目白のことを報告すると、「良かったね」と一言。その向こうに安堵が透けて見えた。

 午前のバイトを終えた目白と実家の最寄り駅で待ち合わせる。先に雪柳は帰ってきていた。目白が来ると母に言えば「え、お菓子ないかもー」とお使いに出された。

 連絡した通りの電車で到着した目白は既に菓子折りを持っている。


「降りたの初めてだ、この駅。栄えてんな」

「そうかな、大学の駅見慣れちゃって」

「それは分かる」


 駅ビルへ行き、地下の食料品売り場へと下る。


「ちなみに目白のそれは和菓子?」

「水羊羹」

「じゃあ焼き菓子にしよう」

「そんなに食うか?」

「うちの母が好き。あ、日焼け止めも買って良い?」

「どうぞ、気の済むままに」


 洋菓子店での支払いを目白に任せ、雪柳はすぐ近くのドラッグストアへと入った。客だからという発想は無いらしい。

 日焼け止めコーナーにて足を止めた。いつも使っているのは、と視線を巡らせる。


「あれ、雪柳?」


 その声に、心臓が冷えた。

 日焼け止めから、声の方へと顔を向ける。


「だよな」

「え、めっちゃ美人じゃん。常盤の知り合い?」


 男子二人。最初に雪柳に話しかけた常盤の顔を久々に見たが、覚えていた。


「中学一緒。やめとけよ、こいつ」

「人違いです」


 スッと顔を逸した。それに、常盤が顔を少し顰める。


「あーそう? 同じ中学だった雪柳って奴、今じゃ考えらんねえくらい太っててさ、しかも俺に告白してきたんだよ。いや鏡見ろって」

「昔の武勇伝を永遠に語る男ってモテねえって、相場が決まってんだよ」


 その言葉に、常盤が振り向く。そこには笑いながら怒る目白の姿があった。雪柳がその腕にしがみつき、引っ張るが、びくともしない。


「あ? お前誰だよ」

「ちょ、常盤、人違いだったんだろ。行こうぜ」

「いやー人の容姿だの過去だのどうこう言ってんのが聞こえたんで。あ、鏡あっちに売ってたけど、案内するか?」

「目白、いいよもう」

「一生後悔してろ」

「はあ?」

「その女振ったの、一生後悔してろ」


 は、と笑って目白は雪柳の腕を掴んでドラッグストアを出た。そのまま地上へ、駅を抜けて立ち止まる。


「追ってきてねーよな」

「多分……?」

「こわ……」

「うん」


 いつかもこんな会話をしたな、と雪柳は笑ってしまった。


「何笑ってんだよ。さっきのあれだろ、お前の中学の」

「うん。でも顔見て思い出したくらいで」

「バーカとか言ったか?」

「言ってない。全部、目白が言ってくれた。ありがとう」


 お礼を言われたが、目白も憂さ晴らしみたいなところがあったので、素直には受け取れなかった。

 雪柳が腕を絡めてくる。


「中学の同級生と会うのが嫌であんまりこっち帰らなかったんだけど、目白がいたら平気。鬼に金棒、猫に小判って感じ」

「例えはそれで大丈夫なんか、日文科……」

「うん?」

「いや、なんでもない。じゃあ行くか」


 鬼に金棒、猫に小判なら、怖いもの無しだろう。

 二人が揃えば。

 目白は洋菓子の箱を持ち替え、雪柳の手を握った。燦々と降る日の光を見上げる。そこで思い出す。


「そうだ、これ返す」


 ポケットの中から出したのは透明な石。雪柳がコロコロと遊んでいたものだ。


「目白が持ってたんだ」


 受け取り、雪柳はそれを光に透かした。きらきらと中で反射し、様々な色を生み出す。


「綺麗だな」

「ね。あ、日焼け止め買うの忘れた」

「帰りに寄ろうぜ」


 うん、と返事をする。雪柳は石をポケットにしまい、その手を繋いだ。









プリズム

おしまい。

20220506


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プリズム 鯵哉 @fly_to_venus

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