全ては還る


 コンビニでスイーツなどを数個買い、目白は江長の元へ訪れた。学生ラウンジにて同じ学科の友人と一緒にいた江長は目白に気づいて、立ち上がる。

 出迎えてもらうほどじゃない、と思ったのは間違いだった。


「藤乃に何したか分かってる?」

「え、何、とは」


 カタコトで返答してしまった。ラウンジから連れ去られ、この時期暑くて誰も寄り付かないテラスへと辿り着く。これは出迎えではなく、ツラを貸せ、だ。


「藤乃が見たことない程沈んでる」

「何故……」

「目白がそうさせたんでしょ」


 じろ、と睨まれる。江長の言葉に、目白は心当たりしか無かった。

 そして雪柳が沈んでいることに対してショックを受けている自分がいる。額に手を当てた。


「……すみません」

「藤乃に謝って。てか、あんた達うまくいくと思ったのに」

「うまく……ってどういう」

「目白が藤乃を置いて後輩の方行ったんでしょ。最低」


 そっちか、と目白は口を開く。


「それは確かにそうだけど、なんか語弊がある」

「あたしに言うな」

「御尤もです」


 目白はとりあえず江長の怒りを収めようとスイーツを献上した。少し当たりは和らいだが、最後にじろりと睨まれる。


「大体、一緒に住んで一番近いところに目白は居るんだから。ちゃんと藤乃と話しなよ。どうしてあんた達は遠回りばっかりしてんの?」


 ぐさぐさと痛いところを突いて戻って行った。

 目白は言い返す言葉もなく、そのまま三限の講義室へと歩いた。海堂がスマホを触っている。


「なー、今度彼女と水族館行くんだけどさーってどうした?」

「鰯の大群があって」

「沈み様がやべえな」

「鮫に食われるところまで」

「なに毒を食らわば皿までみたいなこと言っちゃってんの?」


 スマホを置き、海堂は斜め前に腰掛けた目白の顔を窺う。


「雪柳ちゃん関係?」

「傷を抉るな……」

「そんなに辛いならやめれば?」


 ノートを出す手が止まる。目白が静かに海堂を振り向いた。

 海堂は口を閉ざす。般若が居た。


「そんな簡単にやめられてたらな、俺は」


 あの放課後。

 あの雨の日。

 あの、海で。


 記憶は脳みそと身体を廻る。


 どこかで雪柳を突き放していたら? どこかで雪柳を見放していたら? どこかで、どこかで?

 そんな未来は無かった。


「あ、いた。豊」


 入り口から樋野の声がしてそちらを向く。樋野と、その隣に。


「雪柳」

「講義終わってから、時間ある? 話したいことある」


 隣というより、後ろだ。樋野で半身を隠している。

 余程目白と話すのが気まずいのか、それとも、この講義室に更に気まずい相手がいるのか。

 目白は答える前に、机に出したノートを鞄にしまい、立ち上がる。


「今から話せる」


 まさかそう来るとは思わず、雪柳はきょとんと目白を見上げた。


「……あの目白が授業サボるとは」

「そして俺が代わりに置いてかれるとは。今何ページ?」

「121。樋野が聞いて分かんの?」

「分からんけど、豊の選択は間違ってないと思うから。代返して教室出る」

「あの教授、最後に出席取るよ」

「……先に言ってくれよ」


 樋野は机に突っ伏した。






「授業良かったの?」

「後は樋野に託した」

「樋野で大丈夫かな」

「今頃寝てると思う」


 本館を出て二人は正門へと歩いていた。

 雪柳が普通に会話してくれることにひとつ、目白は安堵していた。


「……どこ向かってんだ?」

「海」

「え」


 何を今更、という顔で雪柳は振り向く。

 一番近い海は、バスで行けた。同じくそのバス停で降りる面々は海へ向かっている。雪柳はぼんやりとその先を見た。

 夏休み前だが、春よりずっと人は多い。目白は波に反射する光の具合に目を細める。確かに、ギラギラしている。

 雪柳の進む方向へ従おうと思っていたが、その足が止まってしまった。


「行かねえの?」

「人多いの、疲れるから……」

「それは、来るまでに気付けよ……」


 ふふ、と笑って雪柳は近くの石段へと座った。目白もその隣へと腰掛ける。


「謝らないといけないことがある」


 波の音から目白の声へ耳を傾けた。雪柳は視線を移す。


「やめられなかったんだ」

「え、罪の告白?」

「罪ではねえけど、まあ告白ではある」


 自分を落ち着かせるように目白は首を撫で、立ち上がった。

 座ったままそれを見上げる雪柳の前にしゃがみ、その両の手を掴む。雪柳はただされるがままにそれを見ていた。


「雪柳」


 やめられなかったこと。

 雪柳の頭の中で、その言葉に見合う行為を打ち出す。


 高校最後、告白から逃げる為の盾に目白になってもらったこと。

 大学に通うのに、同じ家に居ることを選んだこと。

 そしてそれは今も、赤の他人から雪柳への好意を防いでいること。


 どれも分かっていて、目白の優しさに漬け込んで、雪柳は変えることはしなかった。

 例え、何に絶望したとしても。


「雪柳藤乃さん」


 名前を呼ばれ、我に返る。

 目の前の目白へと。


「君が、好きです」


 波の音が、全てを攫っていく。

 その心臓の音も、全て。


「あれだ、お前には告白されるの防止って言っといて、俺が告白するっていう、本末転倒な話」


 目白が苦笑しながら手を離そうとした。しかし、その手は離されなかった。

 雪柳は俯いていた。その表情は見えず、目白は言葉を紡ぐ。


「あの日の放課後も、あの雨の日も、寒い海に行った時も、何度も考えてはみたけど、結局やめられなかった。お前のことが好きなんだよ、笑えないくらいには」


 そう言いながら笑った。

 目白のやめられなかったことは、雪柳を突き放すことだ。

 手を掴んだまま、雪柳は顔を上げた。涙を湛えた瞳が真っ直ぐ、目白を射貫く。


「でも、目白は後輩の子の方に行った」

「え、今その話するか?」

「行かないでって言ったのに。行っちゃった」

「そ、れは申し訳ありません……」

「それに、好きになったら、付き合ったら、いつか終わっちゃう……」


 いつかも言っていたそれに、目白は漸く合点がいった。

 雪柳が恋人か終わっても友達でいてほしいと言った理由が、それだ。


「付き合ってくれんの?」


 そして、まずそこだ。

 雪柳が分かりやすく顔色を変え、手を離そうとした。それを感じ取り、目白は握り返す。


「七三くらいの割合で俺は振られる覚悟で来てるから、返事はどっちでも良いけど」

「なにそれ、七割と三割、どっちが覚悟?」

「どっちだと思う?」


 逃げ場はもう無かった。


「どっちでも良いよ、雪柳が好きな方で」


 手が離される。


「お前が友達のままで居たいっていうなら、俺は友達で居る。付き合っても良いっていうなら、付き合う。全て嫌になったら、全部解消だ」


 関係は全て解消。

 雪柳は立ち上がった。目白を見上げる。


「その言い方はずるい」

「うん。俺は狡い」

「分かって言ってるの、最低」

「狡くて最低だから、全部俺の所為にしといてくれ」


 口を噤み、やがて口を開く。

 波の音に全てが攫っていかれる、前に。


「私の方が、目白のこと、好きだから……」


 ここに還ってきた。




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