ごめんの正体


 目白はぐるりと食堂を見回す。無意識に雪柳の姿を捜していた。ここ一週間、同じ家に帰ってきているのに一度も顔を合わせていない。サークルがあったりバイトがあったりと予定は入っていたが、顔も見ないまま一週間が経った。

 大学でも姿を捜すが居ない。江長や樋野と一緒にいるのでは、と二人が居るところへ近寄るが、居ない。

 最後に会話したのは、あの日だ。雪柳がバイトから帰ってきて、目白が寝ようとしていたところだった。


「おかえり、おやすみ」


 目白もバイト終わりでへとへとに疲れていた。夜行性の雪柳とは違い、目を瞑ればもう夢の世界へ飛び込むことが出来た。


「ゆたぽん、ちょっと待って」

「ゆたぽん言うな」

「最近ざわざわする」

「なにが」

「心が」

「胸騒ぎか?」

「胸騒ぎ……? 目白といると、ざわざわする」


 雪柳の何かを伝えたいが要領の得ない言葉に、目白は首を傾げる。


「俺といると?」

「うん。きらきらしてたときもあったんだけど」

「きらきら……? ざわざわ……?」


 目白の頭の中では星空と竹藪が浮かんでいた。暗いその場所を想像するだけで眠気に襲われる。


「気の所為じゃね?」


 回答を出すと、雪柳はぱちくりと大きな瞳を瞬かせた。


「気の所為……そっか」


 無理やり納得したような声に、目白は額に手をやる。

 いやでも、待てよ。


「俺と居ると……っておい」


 ぱたん、と扉が閉まる音。既に雪柳の姿は無かった。



 食堂に来た樋野と海堂に声をかけられ、共通の教科のレポートの話になり、雪柳の名前が出た。


「そういえばこの前雪柳も同じこと言ってた。文献どこから引っ張るかって」

「え、いつ雪柳と会ったんだ」

「いつって、そりゃ授業で会うときもあるけど。だいたい毎日大学来てるっしょ」


 樋野がけろりと言うので、額を抱える。毎日来ている大学で樋野は会えて、同じ家に帰る目白が会えないことがあるのか? いや、今ここにある。

 海堂は首を傾げる。


「つーか、ずっと思ってたんだけど、目白って雪柳ちゃんのこと好きなの?」

「好意なしに同じ家には住まねーだろ」

「あーやっぱり? でも友人なんだろ、なんで?」

「豊に度胸がないから」


 海堂と樋野だけによって繰り広げられた会話に、目白は口を挟む余地もなかった。反論する余地も。

 樋野の言う通り、友人から未だに脱出できていないのは目白の度胸がないからだ。今まで他人からの『好意』から雪柳を防いできた目白が、その雪柳に『好意』を向ける。そんなことをあの無垢な生き物に出来ない。

 それら全ては言い訳に過ぎず、単に今の関係を壊したくないだけなのかもしれない。


「お、初めて目白が黙り」

「煩え」

「まーお前あれだもんな、ママとか呼ばれてたし」


 海堂は雪柳が目白と同居しているのを知ってから、雪柳に対する恋愛的興味は無くなったらしい。何より合コンで彼女候補の女子と仲良くしているのが大きい。

 目白は海堂からの冷静な意見に更に黙り。


「豊ちゃんがオカンなのは高校からじゃん」

「面倒見良すぎるのも考えもんだな」

「それに豊はユッキーの顔がタイプじゃないって公言してたし」

「うわ、それは最低だぞ」

「顔は別に、今でもタイプじゃない」


 海堂は目白の発言に引いた顔をする。


「それ本人知らないよな?」

「知ってる。言ってたし、樋野から聞いたって」

「こらこら樋野」

「いやまさかこんなことになるとは思わんくて」

「脈はありそうなの? 樋野てきには」

「殆ど死んでる、死体同然」


 どこかで聞いた言葉だと、目白は脳内で再生する。ああ、スポーツ大会のときの。

 あれは雪柳に対する言葉だったらしい。


「いやでも……」


 きらきら、とか、ざわざわ、とか。

 謎の擬音語や擬態語を使って表現しているものが、目白の想像しているのものと同じならば。


「少しくらいなら」

「それは希望と願望」

「無理すんな」


 友人と幼馴染に真っ向から否定された。






 コロコロと透明な石を転がした。


「一個、どっかやっちゃった」

「この石?」


 隣に座る江長が懐かしいなと思いながら透明な石を見つめる。幼い頃、よくゲーセンでこういうものをじゃらじゃらと集めた。

 うん、と答えながら、雪柳は机に顔を突っ伏した。やりかけの手書きレポートの上に。


「眠いの?」

「んーなのかな」

「凹んでる?」

「あ、それかも」


 今の気持ちに合うぴったりな言葉に、江長を見て小さく笑った。どこか元気のない様子に江長は心配する。


「また告白?」

「されてないよ、というか最近そういうのすっごい減ったかも」

「それは多分」


 目白との同居が出回っているからだ、と親切に教えるべきなのか。親友として考えたが、スマホのメッセージ着信に気付いて口を閉ざした。噂の目白からだ。

 それを見れば「今雪柳と一緒か?」という問い。

 今居る小講義室はもう授業が無いのもあり、雪柳と江長以外誰も居なかった。目白に気を利かせるのも癪だが、雪柳も目白と話せば元気が出るかもしれない、と気を回した結果。


「あたしちょっとおやつ買ってくる」

「私も行こうかな」

「何ほしいの? 一緒に買ってきたげる。その代わり鞄見てて」

「クッキーとかチョコとか」

「おっけー」


 江長は財布だけを持ち、講義室を出た。外は夕暮れ。構内も学生の姿はまばらだった。


 一方残された雪柳は、しんとした講義室で再度突っ伏していた。眠いわけではないが、しゃんとしていられない。

 ぐるぐると色んなことを考えていた。色んなこと、と言っても、目白のことを。

 答えは出なかった。一緒に考えてもくれなかった。だからといって目白が悪いわけでも、雪柳がどうにかなるわけでもない。ただ、そういう事実が横たわっているだけ。

 きらきらも、ざわざわも、時間が経てば無くなるのかもしれない。

 それは少し寂しい気がするけれど、仕方のないことはある。雪柳は諦めるのが他人より少し早い。

 よし、それならもう、大丈夫だ。


 頭を上げ、背筋を伸ばした。


「お前、本当に姿勢が綺麗だよな」


 後ろから突然聞こえた声に驚き、振り向く。目を見開く雪柳と、後ろの席に座っていた目白。暫し目が合ったまま。


「びっくりした」

「俺も久々にお前の顔見た」


 それは雪柳が極力、目白の行動範囲を避けて生活していたからだ。そういうことには今までの経験で長けている。


「元気か?」

「うん……どうしたの?」

「いや、顔見に来ただけ」

「何それ」


 思わず笑う。雪柳はスマホで江長にメッセージを入れながら話した。


「今、江長ちゃんがおやつ買ってきてくれてるの。二人ともバイトまでの時間潰しで」

「ああ、なるほどな」


 どおりでメッセージを送ってきた当人が居ないと思えば。気を遣ってくれたのかもしれない、と目白は考える。後で何か差し入れよう。

 雪柳は目白を見た。消えたと思っていたきらきらが戻ってきている。これは何だろう、と一人考える。目白の言う通り、気の所為なのか。


「目白はまだ授業?」

「いや、次あったんだけどさっき見たら休講になってた。教授インフルだって」

「流行ってるの?」

「かもな」


 目白がメッセージに気付き、スマホを見た。尼崎から。


「この前、高校の後輩来たろ」

「あ、うん」

「あれ生徒会の後輩なんだけど」

「覚えてる。目白に告白してた子」


 そう言われ、罰が悪い顔をしながら雪柳を見る。


「あーだよな、お前見てたんだっけか。その後輩が大学のパンフレット一式忘れてったのを、近くまで来るらしくて、ちょっと届けに行ってくる」


 苦笑して目白はパンフレットを持ち、立ち上がった。

 雪柳はその顔を目で追う。きらきらが、なくなってしまう。

 入ってきた後ろの扉から出て行こうと、足を向けた。くい、と服の裾を引っ張られるまでは。

 思わず立ち止まり、振り向く。座っていたはずの雪柳がそこに居た。


「どうし、」

「行かないで」


 何かあったのか、と目白は驚きながらも考えた。俯いたまま、雪柳の表情は見えない。

 後頭部に何を問いかけようかと選んでいれば。


「……行っちゃやだ……」


 小さく呟かれた言葉を上手く理解する前に、箍が外れた。


 どばどばと、向けるのを避けてきた好意が、溢れ流れる。


 雪柳の薄い肩を抱き寄せ、ぎゅっと腕の中に閉じ込めていた。ばらばらに壊れないように抱きしめるのに、自分の力でばらばらにしてしまいそうだった。

 雪柳は宙ぶらりんになった手を、目白の背中へまわそうとした。


 瞬間、ばっと身体が離される。


「……ごめん」


 目白はそれだけ言い、雪柳から離れ、講義室から出て行く。


「行っちゃった」


 ぽつりと言葉が漏れる。行かないでと言ったのに。ごめんって、それはできないってことなのか。

 失ったきらきらに、雪柳は少しだけ泣いた。




 死ぬ。心臓が壊れる。

 大学から駅までの道を無心で歩きながら、目白は生温い風に当たっていた。

 未だに早る心臓の音と、抱き寄せただけでこんなになるって中学生かよ、という冷静な自分が行ったり来たり。

 まだ雪柳が腕の中にいた感触が残っている。

 あーもう、理性、もっと頑張ってくれよ。

 一応謝ったが、明日から怯えられたら、と考える。高校の頃、雪柳に告白していたバスケ部高橋と、これでは相違ない。

 冷静にもなれず、かと言って腕の中の感触も忘れられずにいた。



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