あなたのためだけに。

祥之るう子

★★★

「ねえ、二組の子たちの話聞いた?」


 移動教室の途中。前を歩いてる女子の声が聞こえてきた。

 靴紐の色が同じ青だから、同じ一年にちがいない。

 二組。僕のクラス。


「ああ。もしかして、何か階段から落ちて大けがしたとかってやつ?」

「そうそう、あっちの駅前の地下道の入り口の階段から落ちて、入院したって。何かぁ、突き飛ばされたって言ってるらしいよ」

「え~? 事件じゃん! こわ~い」


 女子は噂話が好きだな。

 まあまだ中一だしな。

 そんなことを考えながら、できるだけ彼女らの声を聞かないようにと思って、視界を廊下の窓に移してみた。外はいい天気だ。

 だけど、彼女たちの声は大きくて、嫌でも耳に入ってくる。


「それがぁ、もっと怖いかもなんだよ」

「は?」


「呪われたんじゃないかって」


「は? やだ~! やめてよ!」


 本当にやめてほしい。

 そんなくだらない話。


「ほら、二組にさ、ぼっちの子いるじゃん」

「え? あー。なんか、あの、すごい暗い感じの子? なっっがい髪の」

「そうそう。宇田さんっていうんだけど、宇田さんのことイジメてたらしいよ、階段から落ちた子」

「なにそれ〜バチ当たったんじゃん? 普通に」

「他にもいじめてた子たちも、不登校になったり怪我したりしてるんだって」

「え? え? どういうこと?」


「だから、その宇田さんがイジメっ子のこと、呪ったんじゃないかって――」


 勝手なこと言うなよ。


 腹が立って、思わず何か言い返そうと、口を開いて息を吸い込んだとき。


「キャッ!」


 前の女子が、左側を見て悲鳴を上げた。

 理科室のドア。

 僕が行こうとしていたところだ。


「行こ。早く!」


 二人は真っ青になって走って行った。


 何なんだ。


 ため息交じりで彼女らの背中を見送りながら、理科室のドアに手をかけて、僕も息を呑んだ。


 四角いガラス窓がついた引き戸。

 そのガラスの向こうに、真っ黒な髪の長い女子生徒が、立っていた。



 宇田さんだ。



「びっくりした」


 宇田さんがドアを開けてくれたので、僕はそう言った。宇田さんはふにゃっと笑った。

 ちょっとだけ胸がどきどきした。


「ごめんね」


 そう言う宇田さんの声は、透き通っていて、きれいだ。ずっと聴いていたくなる。

 宇田さんは僕に背を向けて、奥の席に行ってしまった。


 僕も自分の席に行こうと思って教室内を見て、ハッとした。


 クラスのみんなが、前の端の方にかたまって、不気味なものを見る目で宇田さんを見ている。


 もう、みんなバカなんじゃないかな。

 呪いなんてあるわけない。

 あったとしたって、その方法をただの中学生が実行できるわけないじゃないか。どこで教わるんだよ、そんなもの。


 僕は、スタスタと宇田さんの方に歩み寄った。

 宇田さんが座ったまま顔を上げて、僕を見た。


 ざわっと、クラスの連中が騒いだ。


 なんなんだほんと。


「宇田さん、気にしなくていいよ、あんな奴ら」

「……うん」


 困ったような笑顔で答えてくれた宇田さんに、そっと手を伸ばした時だった。

 すぐ横で、乱暴な声がした。


「いい加減にしてくれよ!」


 不快な声だ。

 横を見ると、学級委員の岸田がものすごい嫌悪の形相で宇田さんを見ていた。

 一瞬、怯えたような目で僕の方を見る。

 僕と目を合わせる度胸はないみたいで、すぐに宇田さんの方に視線を戻した。


「そう言うのほんとやめてくれよ! みんな怖がってんの解ってるだろ?!」

「……ごめんなさい」


 怖がらせてるのはどっちだよ。宇田さん、悲しそうじゃないか。


 苛立ちがマックスになった僕は、思わず、岸田を突き飛ばしてしまった。

 岸田がしりもちをついた。

 女子が悲鳴を上げる。


「お前たちの方がよっぽど怖いよ。いじめも全部、見て見ぬふりのくせにさ」


 尻もちをついた岸田は、真っ青な顔で涙目になって、うわあうわあと無様に喚き散らして、そのまま虫みたいに、手足をじたばたさせながら、後退していく。


 直後、廊下が騒がしくなって先生が入ってきた。


「宇田、ちょっと来なさい」


 先生が厳しい顔でそう言うと、宇田さんは目を見開いて立ち上がった。


「先生、なんですか。宇田さんが何かしたって言うんですか」


 僕が聞いても、先生は答えない。宇田さんを連れて、隣の理科準備室に入っていく。


「他の者は教室に戻って自習していなさい」


 そう言われても困る。僕は慌てて、先生と宇田さんを後を追う。


 理科準備室に僕が駆け込むと同時に戸が閉まり、先生がカギをかけた。


「宇田。賀川がさっき、掃除用具入れの中に閉じ込められているのが、見つかった。お前、何か知らないか?」


 ああ。それか。


 宇田さんは震える顔で、僕を見た。


「宇田さん、ごめんね。それ、僕がやったんだ。先生、それ、僕です」


 先生は僕を無視して、宇田さんを責めるような目で見る。


「なんだ宇田、そこに何かいるのか」

「あの……」

「宇田、先生は宇田を信じるから、全部話してくれないか」


 何を言ってるんだこいつは。先生、あんた僕にもそう言ったじゃないか。信じてくれなかったくせに。


「あの……田崎くんが……」


「……田崎?」


 先生の声が明らかに変わった。僕を見る。


「田崎くんが、いるんです」


 宇田さんは震える声でそう言った。


 しかし先生は大きくため息をついて、イライラしたように言った。


「宇田。本気で言ってるのか? 田崎はもう、半年も行方不明なんだ。ふざけて言っていいことと、悪いことがある。そうだろ?」


 もう、バカじゃないの。ふざけてんのは先生じゃない。

 僕は思わず、先生の耳元で大声で言ってやった。


「いますよ! 先生! 田崎です! 僕はここにいます!」


 先生は急にゾっとしてような顔になって、一瞬だけ僕を見た。


「……とにかく、賀川には何もしてないんだな?」

「私は……何もしてません」

「そうか。賀川だが、ちょっと様子がおかしくてな。混乱していて、まともに話せる状態じゃないんだ」


 ふん。いい気味だ。


 入学してすぐ、僕をイジメたのは賀川たちのグループ。

 いつも、宇田さんが僕を助けてくれてた。


 イジメなんてくだらないって言って、僕をかばってくれた。

 鞄をトイレに投げ入れられて困ってた僕を手伝ってくれて、隠されたスマホや上履きを探すのも手伝ってくれた。

 いつだって、宇田さんは僕だけのヒーローだったんだ。


 だけど、僕がもう学校に行くのが嫌になって、いつもと逆の方向の電車に乗って、たどり着いた山の中で、崖から飛××りて、ぐ×××ちゃになって学校を休んだ、あの日から、宇田さんは僕の代わりにイジメられ始めた。


 今度は、僕が、宇田さんを守る番だって、僕は気付いたんだ。



「わかった。宇田、教室に戻っていなさい。先生は賀川のところに行くから」



 そう言った先生の声は震えていた。

 先生はよろけながら、理科準備室を出て行く。



「宇田さん、大丈夫?」


 僕が声をかけると、宇田さんはまた、ふにゃっと笑った。


「また、守ってくれたんだね。ありがとう、田崎くん」

「賀川のこと? ううん、いいんだ。これからはずっと、僕が宇田さんを守るからね」

「田崎くん……」


 僕はそっと、宇田さんを背中から抱きしめた。

 宇田さんをイジメるヤツは、僕が全員、二度と学校に来れないようにしてやるからね。


 宇田さんを怖がらせるヤツも、困らせるヤツも、みんなみんな、僕が片付けてあげる。


「田崎くんは、私だけのヒーローだね」


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あなたのためだけに。 祥之るう子 @sho-no-roo

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