モノ忘れ探偵とサトリ助手【ヒーロー】

沖綱真優

わたしだけのヒーロー

九月十三日——


『ああ、今日も美しい。

わたしだけのあなた、食い入り見詰める画面の中。

ほかの誰にも見せたくない、わたしだけのあなた。

いつになれば、わたしを迎えに来てくれるのかしら』



十月十日——


『わたしの、わたしの、わたしのヒーロー。

ヒーローはヒロインを、わたしを迎えに来るものなの。

けれど、まだ、出会いのときは、まだ来ていない。

来月やっと、物語は始まる』



十一月二十日——


『ヒロインはだぁれ。

あなたのヒロインはわたし。

舞台の上からわたしだけを見詰めたあなたの上気した頬の。

触れなくても分かる熱、わたしだけに向けられた熱』



——略——



四月四日——


『ねぇあなた、やっと会いに来てくれた。

そっと触れた腕の太さにわたしの心拍数は上がり。

震えるわたしに向ける眼差しに蕩けて。

あなたも待ち侘びていた、素晴らしい日』



五月二日——


『わたしの、わたしの、わたしだけのもの。

あなたの汗に混ざる制汗剤のざらついた甘さ。

あなたの吐息に混ざるハッカ飴の透き通った苦み。

あなたの血液に混ざる酒精の鼻をつく刺激』



五月九日——


『ねぇ、あなた。わたしだけのあなた。

次はいつ会いに来てくれるのかしら。

あなたとわたしの隠し事ぜんぶ。

誰かに話してしまいそう』



——略——



六月十三日——


『許せない。

あなたの隣にいる子はだぁれ。

あなたの隣にいるのはわたし。

あなたはわたしだけのヒーロー、

許さない』





「来ました。彼女です」

「そのまま跡をつけて。黒石さんはそこから、普通の歩幅で駅に向かって」


インカムのイヤホンを通した正木善治郎探偵の指示に、助手の中島健太は胸ポケットに隠したマイクに向けて了解と呟いた。


黒石も同じインカムを付けて指示された場所から歩き出す。

ハイと答えようとして詰まり、唾と言葉をゴクリ飲み込んだ。インカムがジャリリと鳴って、正木探偵の「大丈夫ですよ」との励ましが半分遠くで聞こえた。

心臓は空になるほどに血流を増やし、手足がかっかする。指示された通り普通に歩けているのか、しかし、何としても石原雅人と恋人の工藤彩花さんを守らなくてはならない。



石原雅人は二十一歳の新人俳優だ。

若手俳優の登竜門といわれる戦隊ヒーローもの——ただし主人公ではない——でデビューし、端役ながらも二・五次元ミュージカルも好評だ。


今どきの俳優らしく、SNSでファンとも交流する。

小さな事務所のため、研修のあと俳優自身が文を打っていた。

人手が少なく、マネジャーの黒石も専属ではない。専属でないゆえ、その相手が普通のファンではないことに、気付くのが遅れた。


『よくあることだって、先輩に聞きました。もっと気持ち悪い……えと、妄想ビシバシでヤバイのも多いっていうから』


熱心なファンのポエム。

当人はそう思っていた。

『いつも応援ありがとうございます』『とても嬉しいです』『また会いに来てください』、当たり障りのない返事をしていた。つもりだった。


そもそも、芸能人のSNS投稿で個人に返信など必要ない。

黒石は、雅人のマメさ加減を甘く見ていた。特別な関係だと相手が勘違いしてもおかしくないほどマメに返信していた。


『ファンを増やすにはマメが一番だって』


これも先輩の言葉らしい。

余所の事務所のタレントが、ウチの大事な新人に余計なことを。だいたい大手事務所所属のお前らが、チェックなしに書き込むこと自体ないだろうが。


ともかく、『これ、どう思います?』と、雅人に見せられたスマホ画面には、ホラー映画もかくやといった不気味な言葉があった。

黒石は画面を凝視して固まりながら、対応に失敗したかと自分の頭を拳骨で殴った。


雅人と恋人が、前日ネットニュースで話題になっていたのだ。

雅人がデビュー前から付き合っている彼女とのデートを一般人に隠し撮りされ、SNSで呟かれた。

もちろん新人俳優の話で、『それ誰?』『売名?』といった反応も多かったし、検索トレンドから消えるのも早かった。

社長と本人との協議の結果、別に隠すこともないと、恋人の存在を公式に発信した。


『もうファンやめる』『ないわ、夢壊すなよ』といったネガティブな意見もあったが、『正直で好感持てる』『彼女さん大事にしてるのイイ』など、概ね好感触だったというのに。


『許さない』


強い憤り——裏切られたと、このファンは思ったに違いない。

黒石は警察に相談に行った。

応対した若い男性警察官は、相手が不明なこと、具体的な行動を示唆していないことなどを挙げて、現在の法律では警察としてできることはないと言った。それから、


『女性タレントなら危ないでしょうけど、男性でしょう?相手は女性でしょうし、自分の身くらい守れますよね』


当たり前のように付け足した。


釈然としないまま警察署を出た黒石をわざわざ追いかけて、年配の警察官がメモを渡してくれた。

費用は掛かるが、彼ならあるいは、と。


興信所、私立探偵など頼りになるのか、社長に相談して、一度電話してみることにした。

電話口で、相談だけなら無料で受けると言質を取り、事務所を訪ねた。


風采の上がらない中年男。

白シャツにツイードのウェストコート。それっぽく整えているが、事務所自体も興信所所長の正木善治郎も時代に取り残されている。

タレントの目利きに自信のある黒石には、頭髪が偽物だとすぐに分かった。


ニセモノには偽物が似合いか。


踵を返しかけて、しかし、時間を作ってまで出向いたのに用件も話さず帰るのも惜しいと踏みとどまった。


『ふむ、当該女性——おそらく相手は女性、からのメッセージはこれで全部でしょうか。なるほど。君、アカウントはこれです。頼みますよ』

『はい、先生』

『あまり鷹揚に構えられる状況ではなさそうです。もちろん、そう判断されたからこそ、いらっしゃった。違いますかな』

『……どこか、常軌を逸している、薄ら寒さを感じました。イタズラなら、それでも良いのですが』

『真剣そのものでしょうな。彼女の思い、もちろん一方的な思慕ですが』

『雅人の恋人、工藤さんには身辺に気を付けるように言ってありますが、社会人ですから外に出ないわけにもいかず、何かあったらと……失礼』


黒石のズボンのポケットでスマホが揺れた。

雅人からの電話だ。


『彩花が、駅の階段で、後ろから突き飛ばされて……』


咄嗟に手摺りに掴まったため、幸いにも怪我などはなかった。

だが、『あんた邪魔』、確かに女性の声がしたという。

探偵の言う通り、時間はなかった。



「彩花、お待たせ」


石原雅人が駅前広場で待つ恋人に手を振った。

雅人へ歩み寄る恋人の工藤彩花に向かって女がひとり、駆け寄る。

走りつつバッグから何かを取り出して、捨てる。

カン、軽い音を立てて転がったのは、細長いプラスティック、先の尖った形状。


「ナイフだっ」


雅人が叫ぶ。

女は腰の辺りにキラリ光らせたナイフを構えて、勢い付けてぶつかり——


「彩花さんっ」


刹那、間に黒石が入り、代わりに。

刺され、横向きに転がる。

身体ごと打つかった女は、反動で尻餅を付いた。


「黒石さんっ」


悲鳴が上がる。


「このヤロウっ」


駆け付けた雅人が女を正面から押さえつけ、女は雅人を見上げて笑った。


「まさか……」


呆然と座り込んだ雅人に代わって健太が女を素早く後ろ手にくくり、警察に連絡する。

腹にナイフを受けて倒れた黒石の隣、彩花は真っ青な顔で名を呼ぶ。


「黒石さん、黒石さんっ」

「だ、大丈夫。いや、重かったけど、これ、助かりました」


インカムに向かって、黒石は礼を言った。

身体を起こすと、ジャケットに引っ掛かっていたナイフがポロリ落ちる。

正木の指示通り、レンタルした防刃ベストを着用して助かった。





「看護師の立場を悪用して住所を手に入れ、見張り、雅人だけでなく恋人の彩花さんまで調べ上げたようです」


正木探偵は、SNSのポエムの中から具体的な内容を選び出して推理した。


『舞台から見詰め』たのなら、その日に雅人が出演した舞台を観に行っているはずで、県警を通じて協力要請をし、観客の中から近郊在住の女性をリスト化してもらった。

今回の出演作品は特殊な形状の舞台装置を使用するため、観客席は千百と少なく、また、人気作品で全国からファンが集まるために、近郊から観劇した者は百人ほどだった。


さらに、雅人の『腕に触れ』たのが妄想でないなら、職業は限られてくる。

その日の行動を思い出してもらい、病院看護師だとアタリをつけた。


助手の健太の方でも、同一アカウントによる投稿、文章だけでなく写真や交友関係を精査し、ひとりの女性に辿り着いたのだ。


「傷害か殺人未遂か。難しいところでしょうが、ジャケットの傷や衝突状況から重い罪状が選ばれる可能性もあります」


雅人は数日休んだあと、俳優業を元気に続けている。

ただ、自らオトリを買って出たとはいえ、怖い目に遭った彩花は雅人としばらく距離を置きたいと言った。

ちょうど地方での仕事も増えてきたところで、じゃあ一度恋人関係を解消しよう。また、お互いがお互いに惹かれれば元に戻るだろうと、将来に向けた明るい破局をふたりは選んだ。

結局、自己中心的な恋愛妄想を押しつけた女の思い通りになったようで、黒石はやりきれない。


「けれど、肉体的という意味では誰も傷つかなかった。最悪、殺されていたかもしれないのですから。

正木先生のおかげです」


黒石は深々と頭を下げた。

風采の上がらない中年男。世間から忘れられた探偵。

そんなことは関係なく。

大切なひとを守ってくれた、彼こそが黒石のヒーローだった。

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