お腹を空かせて倒れていた美少女シスターさんにご飯を食べさせたら、実質同棲みたいな生活が始まった。~今日も美味しいを聞きたい俺と、いっぱい食べる腹ペコシスターさん~

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お腹を空かせて倒れていた美少女シスターさんにご飯を食べさせたら、実質同棲みたいな生活が始まった。~今日も美味しいを聞きたい俺と、いっぱい食べる腹ペコシスターさん~


「――おかわり」


 俺――雪村ゆきむら朔也さくやへ平坦ながら澄んだ声と共に空になったお茶碗を差し出すのは対面に行儀よく正座で座る、およそ現代では珍しいと思われるシスター服を纏った少女――かない瀬名せな

 表情の起伏は薄いものの、もう数か月になる付き合いで彼女の感情はなんとなく理解できる。


 今日、俺が夕食として作ったのはぶりの照り焼きと具材たっぷりの煮物、ホウレンソウのお浸し、わかめと豆腐をメインにした味噌汁。

 和食が好きらしい瀬名は黙々と食べ続け、とうとうご飯がなくなったところで「おかわり」と声がかかったのだ。


 その食べっぷりに一種の感動と敬意、そして俺が作った料理をこんなにも美味しそうに食べてくれる嬉しさを抱きつつ、「ちょっと待ってて」とお茶碗を受け取ってキッチンへ。

 一杯目よりも少なめに炊飯器に残っているご飯を盛り付けて瀬名に渡せば「ありがと」と機嫌よさげな返事があって、それっきりまた黙々と箸を進め始める。


 同棲中の恋人みたいなことをしている自覚はあるが、その実、俺が瀬名にしているのは餌付けに近い行為だ。

 瀬名は俺が住むマンションの隣の部屋に暮らしていて、近くにある教会でシスターのアルバイトをしている同い年で同じ大学に通う……まあ、友達みたいなもの。


 恋人とか彼女とか、そういう甘い関係ではないと断じて言っておく。


 というのも……俺と瀬名が出会ったきっかけは、彼女が家の前でお腹を空かせて倒れていたからだ。



 ◆



「うわ~バイトで遅くなっちゃったな。これから飯作るの怠いけど……まあ、仕方ないか。一人暮らしってそういうものだし」


 24時間営業のスーパーで購入した食材の入った袋を下げながら、マンションのエントランスを潜りつつ気だるげに呟いた。

 時刻は夜の11時をとっくに過ぎていて、そのうち日を跨ぐことになるだろう。


 明日の授業、二限からでよかった……。

 一限あったら確実に寝過ごしてる。


 頭の中で明日の予定を思い返しつつエレベーターを使って自分の部屋がある三階まで移動し、先に続く廊下を歩いていると、自分の部屋の手前くらいに人が倒れていた。

 ぎょっとして近づいてみれば、それはシスターのような黒い服を着た女の子で、眠るように長い睫毛を伏せている。


 彼女は俺も多少なり面識のある人物だった。


 あどけなさの残る可愛らしい顔立ち。

 しかし表情自体は薄く、大学内では『無口聖女』なんて誰が考えたんだかわからない愛称が横行している俺の隣人――叶瀬名。

 そんな彼女との関りは隣人であること除くと本当に少ない。


 ばったりと顔を合わせれば会釈えしゃくくらいはするものの、逆に言えばその程度の間柄。


 だが、倒れているとなれば話は別だ。

 まずは意識があるか確認しないと――と焦りつつ彼女の肩をトントンと叩いて、


「大丈夫ですかっ、あの、ダメなら救急車呼ぶので」


 そんな風に声をかければ、彼女の耳に届いたのかゆっくりと睫毛まつげが持ち上がり、やや冷たい印象を受ける薄く開かれた瞳が俺を映した。


「……………………大丈夫。お腹が空きすぎただけ」


 消え入るような声で彼女はそう言うも、全く起き上がる気配がない。


 ……というか、叶の声を初めて聞いたかもしれない。

 綺麗な鈴みたいな声だな、なんてぼんやりと考えつつも、それなら救急車は必要ないかと納得して、起き上がるのを助けるために手を差し出す。


 だが、彼女は一向に手を取ることなく、じーっと見つめている。


「……えっと、倒れたときにどこか怪我した?」

「――なんじ、隣人を愛せよ」


 俺の問いに返ってきたのは、シスターっぽい台詞だった。

 彼女は一心に俺を見つめていて、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。


 俺は今、彼女に何かを試されているのだろうか。

 試されているとすれば……なんだ?


 彼女が俺に求めているであろう事柄を考え――


「――ご飯、食べる?」


 行きついた結論を口にすれば、彼女はこくりと無言で頷いた。



「ただいま」


 誰もいない自分の部屋に帰宅した旨を伝えつつ、その後ろを引っ付くように着いてくるシスター姿の少女、叶瀬名も一緒に中へ招き入れる。

 まるで警戒している様子のない叶のそれに思うところがないでもなかったが、彼女にもそんなつもりがないことは明白。


 というか、きゅるるるという可愛らしいお腹の音を聞けば、連れ込んでそういうことをしようなんて思えるはずもなかった。


 マンションの間取りは1k。

 大学生が一人暮らしをするならじゅうぶんな広さとも呼べるそこに誰かを入れたのは、恐らく両親以外では初めてだろう。


 その相手が隣人であり、客観的評価に基づけば可愛いと称して差し支えない叶。

 彼女すらいたことのない俺に取っては正しく初めてと呼べる体験に、何事も起こらない、起こす気がないとしても緊張するのは仕方ない。


「そんなに散らかってはいないと思うけど……その辺で待っててもらえる? すぐ作るから」

「ん」


 こくりと頷いた叶が腰を下ろしたのは俺のベッド。

 シスター服のせいか、妙に色気を帯びているように思える小柄な身体をベッドに沈め、そのまま力尽きるように横へ身体を倒す。


 さらりと長い黒髪が白いシーツの上に花を咲かせて、そのまま目をつむってしまう。


 ……深い意味はない、うん、わかってる。


 単にエネルギー切れだろう。

 家の前で倒れていたのだから、作り終わるまで起きて待っていられるはずもない。


 出来たら起こせばいいかと気持ちを切り替え、手洗いをしてからキッチンに立つ。


「さて、と。まさかの展開だけど……やること自体は変わらない。緊張はするけど、作るだけありがたいと思ってもらうことにしようか」


 買い物袋から買ってきた食材を出して、必要な物以外を適した保存場所に収納してから調理に取り掛かる。

 とはいっても、時間があまりないからと夜は簡単にするつもりではあった。


 作るのは豚バラ肉と春キャベツの煮込み鍋。

 手ごろで美味しく野菜も食べられて温まる一品だ。


 他には手を抜くために買ってきた総菜のきんぴらごぼうと、一食分の具材と味噌を合わせて冷凍してある即席みそ汁もあればいいだろう。


 ご飯は大抵、保温状態で留めてあるものを食べている。

 新しく炊く手間も時間も勿体ないからね。


 そんなこんなで一玉買ってきた春キャベツをザクザクとカットし、豚バラ肉と交互に小さめの鍋に敷き詰めていく。

 そこに塩コショウ、粉末状の出汁、それから多少の水を入れて火にかけ、アラームをセット。

 この程度の手間で出来るのだから楽だし、しかも美味い。


 火にかけている間に総菜を電子レンジで温め、冷凍庫から味噌ボールを取り出しお椀に一ついれてポットのお湯を注いで混ぜ溶かす。

 ぼんやりとしながら待っていると、ぴぴぴとアラームが完成を告げた。


 鍋蓋を取ってみれば、白い湯気に乗って出汁と脂の溶け合った食欲をそそる香りがふわりと広がる。

 頬を緩ませながら蓋をして、鍋ごとテーブルに運ぶ。

 叶がどれくらい食べるのかわからないから、ここから食べたい分だけ取ってもらう方式にしよう。


 それから自分と来客用のお茶碗に盛り付けた白米、味噌汁、パックのままのきんぴらごぼうを並べたところで一仕事終えたと一息つく。


 視線を流す先は猫のように背を丸めて眠ってしまっている叶。

 未だに部屋に女の子がいる現実を受け止めきれず、ショートしかける思考を寸でのところで持ちこたえ、起こすために傍による。


 けれど、どう起こしたものかと数秒かけて悩んだ挙句、普通に肩を揺すって起こすことにした。


 手が叶の肩に触れる。

 男とは明らかに違う線の細さを感じとって、妙な緊張感を抱えたまま優しく揺すり、


「叶、飯できたぞ」


 声をかければ「んん……っ」と鼻にかかったような高めの声が返って来たかと思えば、ころんと寝返りを打って起きる気配がない。

 心情的にはこんなに気持ちよさそうに眠っている叶を起こすのは躊躇ためらわれたけど、流石にそれは色々まずいのでさっきよりも強く揺すって起こそうと試みる。


「叶、起きろ。起きてくれ」


 叶がもぞりと身じろぐ。

 ひどく緩慢ながら、確かな歩みとして伏せられていた睫毛まつげが上がる。

 眠たげな眼が声に反応してか俺の方へと向けられ、


「……おはよ」

「おはよう。気持ちよく寝てるとこを起こして悪いな。でも、飯できたからさ」


 ちらりと叶の視線がテーブルの方へと動き、並べられている豪華とも質素とも呼べない夕食を見て、再度俺へ。


「……いいの?」

「いいもなにもそのつもりで作ったんだし、食べてもらわないと困る。あと、お腹を空かせて倒れてた叶から飯を取り上げたら鬼だろ」

「そうかも」


 納得の言葉を呟いて、叶はよいしょと起き上がる。

 めくれあがったスカートからは白い太ももが結構際どいところまで露出しているのだが、本人に全く気にした様子がない。

 とりあえず不快な思いをさせないようにと視線を逸らしつつ、叶と共にテーブルを囲んだ。


「そいえば苦手な物とか聞かなかったけど大丈夫だった?」

「……ん。大丈夫」

「ならよかった。それなら冷めないうちに食べよう」


 叶も頷き、手を合わせて「いただきます」の声が重なる。


 お腹を空かせていたであろう叶は鍋から優しい出汁の染みた豚バラとキャベツを取り皿に分けて、流れるようにそのまま口へ運んだ。

 小さな口をもぐもぐと動かす姿は小動物のようにも思えて、つい見ていたくなる可愛さというか愛らしさが溢れている。

 そして、口の中のものを飲み込んで、はふうと一つ息をつく。


「……美味しい」

「そりゃよかった」


 あまり表情自体は変わっているように見えないものの、嘘偽りのない言葉なのだろうと伝わってくる一言に嬉しさを感じてしまう。

 叶は始めの一口で大丈夫だと判断したのか、次々と箸を進めていく。


 出汁を吸ってしんなりとしたキャベツ、豚バラ肉、それと白米の調和を楽しみ、きんぴらごぼうの食感でアクセントをつけ、落ち着くように味噌汁をすする。

 一連の動作がとても綺麗で、つい見入ってしまう洗練された所作。


 どこかいい家の出なのかな、なんて思っていると、不意に叶が俺を見て、


「……食べないの?」

「ん? ああ。そうだな」


 指摘をされて、そういえば自分もお腹を空かせていたのだと思い出す。

 俺も取り皿に鍋を取って、しっかりと出汁に浸した豚バラ肉とキャベツを口へ運び、咀嚼し、そのうま味に目を細める。

 白米も運んで絶妙なハーモニーを体感しつつ、きんぴらごぼう、味噌汁と順に食べれば、満足感のある息が漏れた。


 ……こんなに美味しいと感じる食事、久しぶりかもしれない。


 いつもはもう少し味気ないと言うか、なんというか、うまく表現できないけど物足りなさのようなものがあった。

 でも今日は……なぜだろう。

 その原因を考えて、対面で黙したまま食べ続けている叶の姿が目に入る。


 ……なんだ、簡単なことだった。


 誰かとの食事が、こんなに美味しく感じるなんて。

 誰かのために作った料理をこんなにも美味しそうに食べてもらえるなんて。


 そんなの、幸せを感じない方がおかしい。


「……叶。ありがとな」

「…………?」


 口にものを詰めたまま叶は顔を上げて小首を傾げる。

 食い意地が張っているなんて年頃の女の子に言うべきではないんだろうけど、そうとしか言えない様子に、ついつい笑みが込み上げた。


 ほんの偶然、叶が倒れているところに遭遇し、夕食を囲むことになっただけなのに、こんなところで救われた気になるとは正直考えてもいなかった。


 俺の両親は名のある料理人とパティシエで、俺も幼い頃から料理というものに沢山触れて、時間と経験を積み重ねてきた。

 けれどあるとき、どうして自分が料理を作っているのかわからなくなって、包丁を手放し、キッチンにも立ち入らなくなってしまったのだ。


 そんな俺の様子を尊重してか、両親も料理のことについては何も言わなくなった。

 大学も調理とは関係ない文系の大学に進学し、一人暮らしを始めて二年目になるけれど、今も「どうして自分が料理を作っていたのか」という問いに対する答えは見つかっていない。


 だけど今日、叶がこんなにも美味しそうに食べる姿を見ていたら、ほんの少しではあるけれど手がかりのようなものがつかめた気がした。


 蝋燭の火のように小さな灯ではあれど、進歩であることに変わりない。


「……ほんと、シスター様様だな」

「…………私、バイトだけど」

「でもシスターだろ?」

「……まあ、そう。それより、おかわり」


 空になったお茶碗が差し出されて、俺は目を丸くする。

 結構盛ったはずなのに米粒一つ残さず食べ切って、しかもあの小柄な身体にまだ入る余裕があるのか。


 それだけ俺の料理を美味しく食べてくれている証拠なんだと思えば嬉しくなって、


「はいよ。どれくらいだ?」

「とりあえず半分くらい」


 様子見するような量を告げられて、その通りにご飯を盛り付けて叶に渡せば、再び黙々と鍋の中身を減らしていく。


 その光景は見ていて楽しさすら感じるもので、食べ終わった俺は叶のことをずっと見続けた。

 一見して初めと変わらない表情ながら本当に僅かな変化はあって、その理由が俺の料理を食べたからだと考えると胸の奥が熱くなる。


 もっと見ていたい、知りたい、こうして食卓を囲んでいたいと素直に思う。


 でも、そうはきっとならない。

 今日のこれは偶然の縁。

 叶とて倒れるほどの緊急事態でなければ、俺の家に上がらなかったはずだ。


 それから叶はもう一度おかわりをして、残っていた鍋の中身を完全に空にしたところで「ごちそうさまでした」と手を合わせて呟く。

 シスター服のせいで敬虔けいけんな神の信徒が祈りを捧げているように見えなくもない。


 冷たい麦茶を飲んで一息ついた瀬名は、俺へいきなり頭を下げた。


「……ありがと。とても美味しかった」

「そりゃどうも。こっちもあんなに沢山食べてくれると作り甲斐があるよ。ところで、なんで空腹で倒れる……なんてことに?」

「私、燃費が悪い。帰ってくるとお腹が空き過ぎて無理」


 そういうことだったのか。

 小柄ではあってもエネルギー効率が悪い、と。


 なんか、普段から苦労してそうだ。


「普段は自分で作るのか?」

「…………料理、作れない」


 まさかの事実が発覚した。


「叶も一人暮らしだよな」

「ん」

「何食べてるんだ?」

「カップ麺、出来合いのお弁当、お惣菜そうざいエトセトラ?」

「……………………」


 何も言えなかった。

 せめて一人暮らしなら自分が食べられる程度の料理くらいは身につけていると思っていたのに、それ以前の問題だったらしい。


「料理は練習しようと思ったけど、家の人に止められた。包丁で怪我したら危ないから――って」

「小学生じゃあるまいし……」

「……これでも一人になってから練習しようとした。結果は見ての通り」


 一応反論のつもりだったのだろう。

 眉を下げながら叶は言うが、哀愁あいしゅうすら感じる。


「てか、包丁も使わせてくれないような両親がよく一人暮らしをさせてくれたな」

「頑張って説得した。私ももう大丈夫だからしてみたいって言ったら、泣きそうになるくらい悩んでたけど最終的に許してくれた。一つ条件はあったけど」

「条件?」

「ん。近くの教会、お母さんの知り合いがいる。そこでアルバイトするなら、って」

「安全確認のつもりだったんだな。気にするべきはそこじゃないと思うけど……」


 苦笑を浮かべつつ答えれば、責めるような視線が飛んでくる。

 とはいっても叶の表情はほとんど変わっておらず、そういう雰囲気を察しただけだが。


「……そういうことだから、誰かの作ったものを食べたのは久しぶり。食べすぎちゃったかも」


 言って、叶は自分のお腹を摩る。


 ……いや、うん、いっぱい食べるのは良いことだと思うよ。


「つまり、叶は今後も行き倒れている可能性がある……と」

「無きにしも非ず、とだけ言っておく」


 つまり予定があるらしい。


 そういうことなら、流石に見過ごせない。


「……あのさ。叶さえよければ、今後もうちで飯食べてかないか? 一緒に食べるのが嫌ならタッパーに詰めたものを貰ってくれればいいから。どうせ一人分も二人分もそこまで手間は変わらないし、そういうのばっかりだと身体にも悪いし。無理にとは言わないけど、また倒れてるのを見たらと思うと……」


 しどろもどろになりながらも叶に提案をする。

 我ながら誤解を招きそうな誘いだな、と思ったものの、こればかりは本心だったので仕方ない。


 言ってから作ったものをタッパーに詰めて渡せばよかった、なんて思い当たるも、それを口にする前に、


「――いいの?」


 意外にも、叶の好意的な返事があった。

 それどころか嬉しそうにも聞こえてしまい、そういう意味はないと勘違いしそうになる免疫のない心にくさびを撃っておく。


「ああでも、どっちも予定があうのが条件だけど。俺もバイトがあるし、叶もだろ?」

「ん。私は全然構わない。合わせる。材料費も折半でいい?」

「そうしてくれると助かる」

「わかった。じゃあ、これからもよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」


 テーブルを挟んだまま、二人で頭を同時に下げる。


 どうやら偶然で始まった叶との縁は、まだまだ続くらしい。

 それをどこか楽しみに思っている自分の存在に気づく。


 叶の目的は俺の料理で腹を満たすこと。

 それ以上もそれ以下もない。


 だから、俺がするべきことは叶が美味しいと言ってくれるような料理を作ること。

 

 ただそれだけ。


 それだけの関係が、きっと俺と叶にとっては居心地がいい。


「あ」

「ん?」

「いやさ、ちゃんと自己紹介もしてなかったなと思って」

「確かに」

「てわけで、俺から。雪村ゆきむら朔也さくや、経済学部の二年だ。料理はそこそこ出来ると思う」

かない瀬名せな、二年の文学部。近くの教会でシスターのアルバイトしてる。よかったら懺悔ざんげに来て。聞くから」


 何か懺悔をするようなことがあると思われているのだろうか。

 気が向いたら行ってみるのもいいかもしれない。


 正直、叶がシスターをしている姿には興味がある。


「……さて、と。食べたことだし片付けてくるか」

「手伝う?」

「んや、いいよ。疲れてるんだろ? ゆっくりしててくれ」

「……ん」


 間をおいて叶が頷いたのを確認し、俺は使った食器を洗ってしまう。

 こういうのは後回しにすると面倒だって知っている。


 水気を拭って片付けてから部屋に戻ると、叶はこくりこくりと座ったまま舟を漕いでいた。

 バイト帰りで疲れたところに食欲を満たせば眠くなるのも当然と言えるけれど、寝るなら自分の家に帰ってからにして欲しい。


 というか、ほぼ初対面に近い男の家で寝ないでくれ。

 あまりに無防備過ぎて緊張とかよりも先に心配が立ってしまう。


 人の善意を前提にした行い。

 それはきっと、叶が綺麗な世界で暮らしてきたからなのだろう。


 でも、世の中はそこまで綺麗ではなく、大学まで来ると汚い考えを持って近寄ってくる人だっている。

 そこのところ、わかっているのか?


「……叶、起きてくれ。寝るなら自分の部屋に帰ってからにしてくれ」


 このまま本格的に寝られてはどうしようもないと思い、初めから強めに揺すると、叶は薄く目を開けてぼんやりとした意識のまま俺を映す。

 そして、あろうことか安心したように表情を緩めて、俺の胸に頭を預けて再び目をつむってしまう。


 もたれかかった叶の軽い体重と人肌の温かさに、心臓が激しく跳ねあがる。


 ――いや、いやいやいや!?


 ちょっと待ってこれはシャレにならない。

 冷や汗をかくほど焦りながら、より強く叶の華奢きゃしゃな身体を揺すり、声をかける。


「叶っ、マジでそれはちょっと良くないからっ!? 頼むから起きてくれ――っ」

「………………むり」


 返ってきたのは、舌足らずな否定の言葉で。


 以降、完全に寝入ってしまった叶を支えながら、俺は頭を抱える。

 とてもじゃないが叶を彼女の家に運ぶのはプライバシーの観点から言って却下だ。

 叶も自分が寝ているときに男が勝手に鍵を借りて部屋に入られたら嫌だろうし。


 てことは、必然的に叶が起きるまで俺の家に置いておく必要がある。


 ……つまり、このまま寝ろと?


 心臓は未だにドキドキと拍動を繰り返していて、ピンク色の妄想が次から次へと頭に浮かんできてしまう。

 でも、それらを理性の力でねじ伏せて、黙らせる。


 それはダメだ。

 叶がこうしているのは、きっと彼女なりに俺を信用してのこと……だと思いたい。

 なら、俺にできるのは何事もなく朝を迎えることだけ。


「……それに、こんな顔を見せられたらな」


 すっかり安心しきった、叶の無防備な寝顔を眺める。


 とてもじゃないけれど、この心が温かくなるような表情を見せてくれる叶を悲しませるようなことは出来そうにない。


 座ったままでは寝にくいだろうと考えて、叶の身体を抱きかかえる。

 軽く細いながらも、明らかに柔らかさも兼ね備えた異性の身体に思うところがありつつも、意識的に排除しながらベッドに寝かせて掛布団を被せた。


 もしかしたら起きたときに何か言われるかも知れないけど、そのときはちゃんと反論させてもらうことにしよう。


「……俺も、眠くなってきたな」


 まだ風呂に入っていないけど……朝起きてから入ればいいか、なんて堕落的な思考に身を任せ、食事に使っていたテーブルを片付けて来客用の敷布団を敷く。

 そうしてしまえばもう耐えられず、横になるとじんわりとした眠気が迫ってきて――



「――きて」


 誰かの声が聞こえた気がする。

 高く澄んだ、女の子の声。


 でも、どうにも眠くて、このまま二度寝しようと思っていたところへ


「――起きて、朔也」

「~~~~~~~~っ!?」


 今度は明瞭めいりょうに、より大きくなった女の子の声を認識した。

 一気に意識が覚醒して飛び起き、声の方に顔を向ければ、息がかかるほどの距離にあったのは可愛らしい顔立ちながら表情の起伏が薄い少女の顔。


 驚き、息が詰まって、脳を混乱が埋め尽くし――気づく。

 昨夜、部屋の前で倒れていたところを拾い、夕食を食べさせたらそのまま俺の部屋で眠った、隣の部屋に住んでいるシスターさん……叶瀬名であることに。


「おはよ、朔也」


 まるで当たり前のように朝の挨拶をしてくる叶の姿に呆気にとられていると、こてんと彼女は小首を傾げる。

 さらりと流れた黒髪、頬の白さがより際立つ。


 だが、ようやく状況を理解して――これはまずいと身体を後ろに引いて距離を取りつつ、辛うじて「……おはよう」と返すことに成功した。

 返事が聞けて満足したのか、叶はうんと一つ頷いて見せる。


「……えっと、起きてたんだな」

「ん。起きたら部屋が違うからびっくりした」

「先に言っておくけど俺はちゃんと部屋に帰そうとしたからな。勝手に寝たから仕方なく置いといただけだ。もちろん何もしてない」

「知ってる。ありがと。私に手を出すほどの魅力はないから心配してなかったけど」


 平然と叶は言うものの……果たしてそうだろうか。

 小動物的な可愛い系の叶は大学でも隠れた人気がある。

 叶自身が人と関わることが少なく、加えて口数も少ないため、本人まで突撃する人は稀ではあるけれど……魅力がないかと言われれば話は別。


 少なくとも俺は叶のことを魅力的だと思う。


 それを言ったところで彼女は認めようとしないだろうし、俺も口にする勇気はないので胸の内に秘めておくことになるのだが。


「叶はいつから起きてたんだ?」

「少し前。あと、瀬名でいい。私も朔也って呼ぶ」


 寝起き数分、いきなりボディブローを叩きこまれた気分だ。


 いや、起きたときからなんか叶が名前で呼んで来るなあと思ってたけど、俺も叶を名前で呼べと要求しますか。

 ……まあ、本人が呼んでいいって言ってるならいいんだろうけどさ。

 個人的には多少の……いや、結構な精神的ハードルがあるわけですよ。


「……わかった。瀬名、でいいんだな」

「ん」


 ぎこちなくも名前を呼ぶと、叶――瀬名は僅かにではあるが頬を綻ばせる。


 淡い微笑みに、つい目が離せなくなって。


 ~~♪


 俺のスマホがアラームのメロディを響かせ、そこで正気を取り戻す。


「びっくりした……一度目のアラームだな。てことは、まだ二時間は余裕あるか。かな……瀬名の授業は?」

「二限から。朔也は?」

「俺も同じ。ま、とりあえずシャワー浴びたいな。飯はそれからにするか」

「ん。じゃあ、私も一旦帰ってお風呂入ってくる」


 ……ん?


「ちょっと待て。一旦帰ってってことは、また来るのか?」

「そのつもり。……ダメ?」


 どこか寂しそうな声。

 瀬名の目当てが朝食だとしても、女性に対しての免疫が薄い俺にはよく効いた。


 頭をがしがしと掻きつつ、もうこの際だからと覚悟を決める。


「あー、わかった。朝昼夜を毎日全部ってわけにはいかないけど、時間が合うなら来ていいから。その代わり事前に連絡だけくれ。材料とか買わないとだし」

「……! ん、わかった。連絡先交換する」


 声が調子づいた瀬名と連絡先を交換する。

 彼女の名前が追加されたのを確認し、もう後には引けないなと考えつつ、瀬名を見送ることにした。


 玄関まで出て、靴を履いた瀬名はくるりと振り返り、


「じゃあ、また来る」

「おう」


 短い会話だけをして、瀬名は玄関を出て行った。


 ばたん、と扉が閉まって、深いため息を一つ。


「……汝、隣人を愛せよ、ねえ。こういうのもまあ、いいのかもな」


 大学二年の春。


 バイト帰りの夜、家の前で倒れていた隣人のシスターを拾ったことで、退屈だった日常が変わり始める気がした。


「そうと決まればゆっくりもしてられないか。シャワー浴びて、朝飯作ろう。腹ペコシスターのためにもな」


 そして、また瀬名の口から聞きたい。


 美味しいの、その一言を。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


というわけでゆるあま系短編でした。

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