かけがえのない友

凪野海里

かけがえのない友

 1つ、昔話をするとしよう。


 キミには小さい頃、とても大切にしているぬいぐるみがいた。その形はなんでも良い。ワンちゃんでも、ネコちゃんでも、お魚さんでも、人でも、この世に存在しない空想上の生物でも、なんでも良い。ともかく、ぬいぐるみだ。人形ではない。

 だって人形といってしまったら、それは「人」の「形」をしているのだから。姿かたちが限定されてしまうだろう。だからここは「ぬいぐるみ」で通させていただく。

 そのぬいぐるみには名前があったね。――うん、そうそう。そんな名前だ。キミは「その子」といつ、いかなるときも一緒だった。朝ご飯を食べるとき、どこかへ出かけるとき、家のなかでおままごとをしているとき、トイレに行くときも、お風呂場に行くときも、おやつの時間も、夕飯のときも。寝るときは枕元にそっと寝かしつけて、「その子」のお腹をまるでお母さんのマネっこをするようにぽんぽんと優しくたたきながら、「おやすみなさい」と言っていたね。

「その子」との出会いは覚えているかい? お母さんに作ってもらった? それともどこかに出かけたときにおねだりして買ってもらった? あるいは誕生日プレゼントだったりしたかい? うんうん、へえ。そう。そういう出会い方をしたんだね。

 ともかく「その子」はキミにとってかけがえのない友になったわけだ。楽しいとき、悲しいとき、苦しいとき、そしてまた楽しいとき。「その子」は変わらぬ姿でキミの隣にいつも寄り添ってくれた。何も言わずにね。「その子」に何もかも打ち明けると、なんだか心が晴れただろう。

「その子」もきっと嬉しかったはずさ。変わることのない姿で、何も言わなくても。キミが自分を頼ってくれていることに誇りを持っていたはずさ。



 けど、キミは成長するにつれて。だんだんと「その子」から離れていった。

 朝ご飯を食べて、平日は決まった時間に学校へ行き、家のなかで過ごす時間はめっきり減っていった。その代わり、同級生と放課後に遊んだり、好きな子と一緒に帰るようになったね。トイレもお風呂も1人で平気になっていって。夜になるとベッドに寝転んで、スマホをいじって。気づいたら寝ている。そして決まった時間に目覚めると着替えをして、朝ご飯を食べて。また決まった時間に学校へ行く。そんな日々になっていった。

 あれ? 「その子」の姿はどこへ行ったんだろう。キミは「その子」がどこにいるか、わかるかい? でも、おそらくキミの目の届く範囲にはいないよ。だってあなたの視界に映るものはすっかり様変わりしてしまったからね。おままごとはやめて、本物の包丁で野菜を切って、本物のフライパンで火を使って炒め物をするようになったし。自分1人の世界にいたキミは、いつの間にか外でたくさんの仲間を作って、彼らと行動を共にするようになった。

「その子」がどこにいるかなんて、こちらもわからない。ベッドの下? あるいは押し入れの中? そこでホコリまみれになっているかもね。あるいは……、まあこれはあんまり考えたくないけど。年末の大掃除の日に「もうこんなので遊ぶ年じゃないしな」とか思いながら、たくさんの思い出と共にビニル袋にまとめて口をギュッと強く縛り、翌日のゴミの日にだして。燃え盛る炎のなかにくべてしまったかもしれない。

 いずれにせよ、キミはかつて友だったはずの「その子」に別れを告げたんだ。


 ……キミは今、ようやく「その子」を思い出したかい? 「その子」の結末を知ったかい? 「その子」はいつもいつもキミのことを考えていたよ。いつか思い出してくれないか。このホコリくさくて暗い場所から引っ張り出してくれないか。また一緒に遊んでくれないか。朝ご飯もおやつも夕飯も一緒に食べて、出かけるときはいつも一緒。夜寝るときはお腹を優しく。あやすようにたたいてくれて。「おやすみ」を言ってくれないか。おままごとだって、たまにはしたいな。


 ねえ。「その子」はいつも、キミを思っているんだよ。

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かけがえのない友 凪野海里 @nagiumi

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