喪失決定論者の宴

染井雪乃

喪失決定論者の宴

 春とはいえ、夕方にもなれば肌寒い。遠野とおのかなめは、ひっそりと研究棟の裏に向かう。かつて喫煙所だった場所。今は人気のない休憩所と化した場所だ。

 撤去されないまま、「敷地内全面禁煙」と書かれたテープでぐるぐる巻きにされた灰皿の前のベンチに、その青年はいた。

 白銀の髪、蒼の瞳、眼鏡、そして、細い体躯。顔はわからずとも、髪や目の色が特殊なので、要でも認識が容易だ。名前は知らないが、要が入学したときには既にいた人で、おそらく、先輩だ。

「その荷物、卒業生じゃないか。祝われてこなくていいの? 今ならピザもワインも寿司も何でもあるだろうに」

 プラスにもマイナスにも振れないが、聞き取りやすい声だった。温度のない、と表現するのが適切だろうか。

「……お腹空いてなくて」

「ふうん?」

 おもしろそうに笑って、青年は名乗った。

「俺は薬学の修士一年の水無月みなつきはるか。君は?」

「理学部物理の学部四年、遠野要です」

 水無月が手で示すのに従って、要はベンチに座った。

「就職? 院進?」

「院進です」

「なるほどね。内部でそのまま上がるなら卒業式の感慨もクソもないよね」

 何てことないように、水無月は要の胸中を言い当て、くすくす笑った。

「……無駄な感情ですよ、感慨なんて」

「遠野君とは気が合いそうだ。俺もそう思う」

 楽しげに、水無月が要を覗きこんだ。まずいものに胸中を知られてしまったのではないか、と僅かばかりの恐怖が湧き上がる。妖艶とはこういうことを言うのだと思い知らされた。

「だいたい、出会った瞬間に別れがあることなんか、想像がつくじゃないか。それをそのときになって、惜しんだり泣いたり、意味がないよね」

「ないですね」

「会いたかったら卒業しても会いに来るとか、連絡するとか、あるじゃない。でも、そうしない。学生生活に必要だったからこその交流に過ぎなかったんだろって話。予測できた別れを悲しむのって、消耗品を捨てるごとに盛大に惜しむみたいで、何か気持ち悪い」

 予測できる別れを惜しむのは馬鹿らしいと要も思ったが、人との別れを消耗品の処分と同様に語る水無月の感覚は、少し、いや、かなり、人間離れしている気がした。

「出会いと別れって、代謝ですしね」

「へえ、物理専攻の人から代謝とか聞くと、何かおもしろいね。まあ、他人との出会いと別れが栄養だとすれば、それは合っている」

 他人との出会いと別れを栄養だなんて、水無月は微塵も思っていない。なぜか、要はそう確信できた。

「水無月さんには、代謝以外のものに見えてるんですか」

「そうだね、化学反応かな。基本的に不可逆で、知らなかった頃には戻れないし」

 不可逆だと言う水無月が一瞬だけ、悲しげに目を伏せた。

「世界は化学反応でできているからね。ただの反応一つに、何を大騒ぎするのだろうって、俺は不思議でたまらない。日々死んでいく血球に、思いを馳せるような、無駄な行為だ」

 ぞっとするほど美しい横顔を見せ、水無月は、「こうだから、俺は喋らない方がいいって言われるんだろうね」と笑ってみせた。

 要も他人に興味はない。ただそこにあるだけだと思っている。

 だが、水無月は、本質的に他人を嫌悪しているような気がした。

 追及すべきでない、と危険信号が鳴り響く。要は、水無月の研究内容について聞くことにした。

 先ほどまでの作り物めいた美しさはどこへやら。水無月は、それはそれは楽しそうに、目を輝かせて研究内容を解説してくれた。

(了)

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喪失決定論者の宴 染井雪乃 @yukino_somei

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