さよならノルディックセーター

秋色

さよならノルディックセーター

 子猫のみぃが私の部屋で、十代からお気に入りのセーターに致命的な切り傷を与えたのは日曜日の朝早く。


 まだ布団の中でまどろんでいた時の事。後でその惨劇に気付き、絶叫した。


 運が悪いの事はたいてい三回続く。それは私の持論。


*****


 その前の日の仕事帰りには、疲れてバスの中で居眠りしてしまい、いつの間にかバス停を二つも通り過ぎるという大失敗があった。夕刻が迫る街角でぽつんと取り残され、そこに雪まではらはらと降り始めた。


 バスから降りた場所は昔、遠足で訪れた桜の名所の市街公園の手前。家からかなりの距離だった。


 通りの向かいにあるバス停から反対方向のバスに乗ろうと思い立ち、横断歩道を渡ったその時、その角の商業ビルの一階に入っているブティックのショーウインドウに気が付いた。ショーウインドウの中には、ハーブグリーンの着心地の良さそうなセーターがタータンチェックのマフラーと共にコーディネートされ、ライトアップされていた。


――いい色だな。着心地良さそう――


 そう思いながらも知らない店に、ましてやバスを降りそびれて仕方なく歩いている街角のお店に入る勇気はない。でもぼんやり見ていると、「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」という男性店員の声。お洒落な髭を生やし、高級店を思わせる接遇だ。「よろしければ、ご覧になっていきませんか?」

 ドアは広く開けられていて、入りやすかったので少し入って、中を見た。


 店内は清々しい植物の香りに包まれていた。これは竹のインセンスかな。竹のお香を好む祖母の部屋と同じ香りだ。奥には暖炉の形のヒーターがあって、中に赤い照明まで付いて本物のまきっぽく見せている。

 ショーウィンドウのセーターは間近で見ても素敵だった。それに他のどの洋服もきちんとした感じで、それでいてラフで着やすそう。でもどれだけ高価な物か分からない。


「あ、今日は買うつもりで来たのではなくって、あのセーターが目に入ったのでつい」と私は弁解して、謝って慌てて店を出た。恥ずかしい。まるで冷やかしみたいにお店に入って。それが昨日の事。


*****


 そして今日。子猫のみぃに無惨に切りつけられたセーターを私はただぼうぜんと見つめていた。そこへお祖母ちゃんが現れた。


「これはひどいわね。もう着られそうにないね。みぃも仕方ない子だけど、奈月も夜、セーターを陰干ししたままだったからいけないのよ。これは処分するしかなさそうね」


「だけどお祖母ちゃん、これ、お気に入りだったのよ」


 そう、そのセーターは今から六年前の高二の冬、お祖母ちゃんからプレゼントされた物。家族で出かけたクリスマスシーズンのデパート。エスカレーターを上った所にある売り場で目に飛び込んてきたのがこのセーターだった。白地の胸元に青緑のノルディック柄。高級品だったので、素敵だったけど買ってもらえないと諦めていたら、後でお祖母ちゃんがこっそり買ってプレゼントしてくれた。


「気に入ってもらえてうれしかったのよ。でもこれじゃ仕方ないわ。処分しましょ。でないと新しい物を買えないでしょ?」


「買わなくてもいい」と私は子どもじみた受け答えしか出来なかった。



 なぜならそのセーターには他にも思い出があったから。幼なじみで、ずっと片思いだった男の子、ミナト君と天体観測に行った時に着ていたセーターだった。山の上にあるプラネタリウム併設の施設。

 くっきりと浮かぶ天の川を見ながらミナト君は色々解説してくれた。解説してくれなくても、私は一緒に見ているだけで良かったのに。

 ミナト君は星の大好きな男の子で、天文学の勉強のできる大学へと進み、今は留学中。時折確認するSNSでは外国人の仲間達と映った写真や星の写真がアップされている。



 みぃからセーターを切り裂かれた夜、夢をみた。あの天体観測の夜の夢。あの時と同じようにミナト君が夢の中で話していた。


「星はいつも同じように見えても、毎日違っているんだよ。星は公転しているし、その日によって空気の澄み具合も天候も違うから。たとえば朝見える明けの金星が三日月と並ぶのだって貴重なんだ。だから人間も誰かと一緒にいられるのって奇跡みたいなものだと思う。これ、地学の先生が言ってたんだ。そう考えると人を簡単に嫌ったりできないって」


 朝、起きて何だかうれしかった。ああ、そう言えばミナト君、そんな事、言ってたっけ、と。

 近くのスマートフォンを取って、ミナト君のSNSを覗いてみた。やっぱり星の事と今の仲間達との写真ばかり。ここでの事なんて忘れてるんだろうな。いや、忘れてはないんだろうけど。違う今の世界でリア充ってやつか。十代はもう帰ってこない時代だし。


 みぃから傷つけられたセーターは悲しいけど諦めてその日、処分する事にした。





 次の半日勤務の仕事帰り、あえていつものバス停の二つ先で降りて、桜の名所の公園へ寄ってみた。この間そこで降りた日から二十日過ぎていた。でも桜の開花はまだまだで、枝に硬い小さなつぼみが見られるだけ。運が悪い事の三回目だ。

 そしてあの角のブティックのショーウィンドウの前にも行ってみた。でももう初夏向けのワンピースにショーウィンドウの中は変わっていた。


 当然か。ショーウィンドウも店の中の物も季節ごとに変わるのだから。これも星の見え方と同じような事かな。


 その時、不意に後ろから声をかけられた。

「あの、もしかしたらこの間、セーターをご覧になっていた方ですか?」それはこの間声をかけてきたお店の人だった。髭を剃っているせいか、意外と若かった。「やっぱり」


「でも、もうあのセーターはないんですね」


「ありますよ。本当はシーズンオフでメーカーに返すようになっていたけど、この間、お客さんが興味持たれていたみたいだし、また来られそうな気がして、まだ取ってあるんです。よろしければどうぞ中でご覧になって下さい」


「本当に?」


 店の中に入ると、この間と同じ竹の香りがしたけど、店内の商品はすでに初夏の物へと変わっていた。

 店員は奥からあのセーターを出してきた。値札を見ると意外とリーズナブル。


「ではこれ、買います」


「春から初夏までの商品がたくさん出ているので、店内の物も見て下さいね。やっぱとっといて良かった」


 最後の独り言はタメ口なのか……。でも何だか親近感を感じる店員さんだ。笑顔、可愛いし、

ここ、行きつけのお店になるかな。

 子猫のみぃよ。おまえは幸運なヤツだ。このセーターのお陰でおまえはもう恨まれたりしない。


 外は風が冷たいせいか、店内の商品は初夏のモードなのに、まだ暖炉型のヒーターがつけられていた。その中のまきに点る赤い火の点滅が小さな星座のようにきらめいて見えた。まるで星が瞬きしたみたいに。




〈Fin〉


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