第5話 迷い人
「ルーナ! あれ」
突然トーリが立ち上がり、村の門を指さした。
音楽がやみ、踊っていた村人もみな、そちらに目を向けていた。先程までの騒がしさとは打って変わって、気味の悪い静けさだけが残った。
「あれは……!」
父が一緒に歩いていたのは人間と思しきものだった。
私たちは獣の姿と人の姿を自由に変えられる。その人の姿は人間と大差ない。
どうやって人間と獣人を判別するかというと。
匂いだ。
我々獣人は獣本来の嗅覚を持ち合わせている。
自分たちと少しでも違う匂いがすればすぐにわかるのだ。
「ルーナ、いきましょう」
「う、うん」
トーリに続いて父のあとを追った。
村の役場に着くと、父はやはり人間に詰問していた。
なぜここがわかったのか、なにが目的なのか、なにが欲しいのか。
しかし怯えて小さくなっている男は、ただ迷い込んだだけだと主張していた。
「俺たちは、人間に指図されず、ここで平和に暮らしているんだ」
「は、はい……」
「我々の存在を口外するな。もしそんなようなことがあれば、我々一族全員でお前の村を焼いてやる」
「わかりました……絶対に守ります」
男は、命だけは、と続けた。
口元にだらしなく髭をはやしている男は、身元の署名を残し、村の役員によって山の麓まで連れていかれた。
「父さん」
「ああ、ルーナとトーリか」
「また人間が来たの?」
「そうだ」
この村は山の中腹と麓の中間にある。
迷い込むにしては不自然な位置に。
父は、彼はきっとスパイだろうと続けた。たまにやって来る人間はみな、迷い込んだと口にする。だが、だいたい私たちの暮らしぶりを見て恐怖を覚えるのか、おおよその人間は黙って帰るらしい。
たしかに、覗きに来てみれば獣と人間がわいわい踊って普段食べないような動物の肉を貪っていたら怖いだろう。
「……もし今後も人間がやって来るようなら、考えないといけないな」
「なにを……」
「……
父が口にした、「追放計画」とは、かつて獣人が企てた「獣人の立場を確立させる計画」のことだ。
人間たちが私たちの存在を認めさえすれば、それでよかったのだ。
初めてこの計画が実行されたときは、失敗に終わった。人間たちは私たちを反逆罪とみなし、主に先立って指揮を執っていた者たちはみな死刑にあった。
これは私が産まれる前の話で、父から聞いた話に過ぎないが、そんな昔でもないらしい。
「父さん……ずっと気になってたんだけど」
「どうした?」
「母さんは、人間の村にいるの?」
「ルーナ……。悪いことは言わん、母さんのことは忘れるんだ」
父はそう言うと役場を出ていこうとする。
そういえばトーリもいたんだった。すっかり人間とのやり取りと父に聞きたいことがあって忘れていた。
トーリをチラッと見るとここにいてはいけなかったのでは、という顔で困惑している。
「父さん……」
「ルーナ、ぼくたちももういきましょう」
「トーリ……」
トーリに手を引かれて役場を出る。
なぜ父が母さんの存在をなかったことにするのか、わからない。父と母は、仮にも愛し合った仲のはず。なのに、父さんは、もう――
「ごめん、トーリ。私、帰るね」
「えっ」
トーリの手を振り払い、私は少し早い足取りで家に向かった。息が切れる。獣の姿の時は呼吸も乱れることがないのに、人間の格好をしているときはやたらと疲れるのが早い。
もう家は見えているのに、私は立ち止まって息を整える。
――父さんも、帰ってくる場所なのに……帰るのをやめようか。
ふっと振り返ってもトーリは見えない。
もうだいぶ走った。
「……母さん、どこにいるの」
私はその場に座り込み、耐えても堪えても出てくる涙を地面にこぼした。
声をあげることさえしなかったものの、これからダンスに行くであろう村人が、ルーナちゃん、どうしたの、と心配して声をかけては通り過ぎてゆく。
「母さん……母さん」
私は唇を噛み、立ち上がった。
腰が重い。
今日狩りに行っていたのもあって、身体中が痛かった。
「ルーナ」
「……?」
神妙な声に呼ばれて振り返ると、追いかけてきたのかトーリが立っていた。
私より10センチほど上にある瞳を見ると、少し涙ぐんでいるようだった。金色の艶やかな髪と、蒼い目は、獅子そのものだ。
「トーリ……あんたどうして」
「さっきむらのひとが……その、ないてたってきいて」
「来てくれたの?」
「はい。ぼく、ルーナをなかせたくない」
そう言ってトーリは泣き出した。
これではどちらがあやしているかわからない。
「ルーナ……ぼく、きょうはルーナのそばにいる」
「いいよ、ひとりで大丈夫」
「ルーナはつよがりさんだから……」
「わかった、おいで」
泣きじゃくるトーリとともに私は家路に着いた。
復讐の月明かり 桃枝このは(ももえこのは) @punyu-m27
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