黒い染みを隠すのは張り付けた笑顔


「……で? この山はいったい何なんだ?」

「う……それは……えっと……」


 私は今、もう何度目かの人生最大のピンチを迎えている。


 机の上にさん散らしにしていた釣書を先生に見られてしまったのだ。


 あ、いや、別に隠していたわけではない。

 隠していたわけではないのだけれど、なんとなく気まずいし、何より、先生の纏う冷気が3℃くらい下がったように感じるのは気のせいだろうか。


「えっと、その、私に宛てた釣書……ですね、は、はは……」


 だめだ。冷や汗が止まらない。

 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだ。


「い、いろんな国から送られてきたものを元老院が取捨選択して厳選された、優良釣書たちでして……」


 いや待て。何を言っているんだ私は。

 取り乱しすぎだろう。

 これではやましいものですと言っているようなものではないか。


 私にやましいことなど何もない!!

 先生一筋だし!!

 付き合ってるわけではない。

 でも先生一筋だし。

 釣書の話を引き受けようとしてたわけではない。

 だって先生一筋だし(大事なことなので2度も3度も言おう!!)


「……」

「……」

 先生の無の視線が突き刺さって、やがてぽつりと「……受けるのか?」と声を発した。


「へ?」

「その婚約話、お前は受ける気でいるのか?」

「!?」

 小さく問われたそれに、私は思わずぶんぶんと首を横に振って否定する。

 そんな私を見て、先生はどこかはっとしたように目元を緩めて「そうか」とつぶやいた。


 え、何?

 一体何なの? この反応。


「先生? 先生は──」

 言いかけて、コンコンコン、と扉が叩く音が私の言葉を遮った。

 誰かしら?


 私の視線に先生の視線が重なって、二人同時に頷くと、先生が扉を開けて対応に出た。


「聖女クレアか」

 扉を開け、扉の前に立っていた人物を見て、先生が言った。

「クレア? いらっしゃい。どうぞ入ってください」

 私が入室を促すと、クレアは「失礼します」と仰々しく一礼してから入室した。


「……」

「? あ、あの、何か?」


 部屋に入って早々まじまじと私を見つめるクレアに、戸惑いながらも尋ねる。

 ま……まさか朝食のスパゲッティの汁でもついてた!?

 たどり着いた一つの可能性に冷や汗をかきながら、口元をごしごしとぬぐう。


「ついてないから。朝食の食べカスなんて」

「エスパーか!?」

「あんたの思考は丸わかりよ。ったく……。大人になっても全然変わんないんだから……」

「うっ……」


 そりゃそうだ。

 身体が子供になってただけで、中身はそのままなんだから。

 ……あれ?

 ってことは、元々精神年齢が低──……っ。


「うぁぁああああああああっ!!」

「落ち着け」

 ベシンッ!!

「あいたっ」


 そばにあった釣書の一つで私の頭をはたく先生。

 学園と執務室。

 場所は変わっても、変わらない光景にクレアがくすりと笑った。


「あんたが変わってくれないから……。だから、私たちは安心していられるんだと思う。……ま、変な王だけどね」

「クレア……」


 それは私もそうだ。

 クレアたちが変わらずにいてくれるその環境が、私を、私としていさせてくれる。


「っと、そうそう、大司教様からお手紙を預かってきたの」

 そう言ってクレアが手に持っていた書簡を私に手渡す。

「大司教様から?」

 私はそれを広げて目を通すと、自然と眉に力がこもった。


「何と?」

「……周囲から、エリーゼを大聖女にという声が上がっている、と」

「エリーゼを?」

「……はい」


 それもそうか。

 かつて命を懸けて魔王を封印し、今ここによみがえった奇跡の存在だもの。

 でも────。

 黒い染みがぽたりと落ちて、じわじわと広がっていく。


 わかってる。

 アレは、故意ではなかったこと。

 わかってる。

 エリーゼが魔王を命と引き換えに封じてくれたからこその数年の平和があったのだということ。

 疲弊した心を癒す時間を、人々が手に入れたのだということ。


 大聖女に値する働きをしたのだということ。

 わかってる。

 でも──だけど────。


「……」

「確かに、ここのところ大司教様のところに元老院の方々がよくいらっしゃって、大聖女認定をって迫ってるようだけど……。エリーゼ様はまだ入院中なのに、気が早いことね」

「それだけ今のこの国の盛り上がりを維持しつつ、さらに上げていきたいんでしょう。国に聖女だけでなく大聖女までとなれば、周辺諸国への牽制にもなりますしね」


 上手く使うつもりなのだろう。

 今のこの状況を。


「……」

「……」

「? どうしました? お二人とも」

 突然私をまじまじと見て固まってしまった先生とクレアに首をかしげると、二人はどこか気まずげに視線を逸らした。


「い、いや、あんたが真面目なこと言ってると何か……」

「不気味、だな」

「失敬なっっっっ!!」


 二人して大真面目に何言ってんの!?


「だが、どうするつもりだ?」

「……いいんじゃないでしょうか」


 私から飛び出した肯定の言葉に、目の前の二人が目を見開く。


「大聖女エリーゼ。今度予定されていた聖女エリーゼの帰還パーティは、大聖女エリーゼのお披露目パーティに変更しないと、ですね」


 張り付けた笑顔の裏のドロドロしたものは、あなた達は見なくていい。


 能天気に笑う私だけを見てくれていたら、それで良い。




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人魚無双〜幼女になって転移した先で推しの幸せのために私は生きる〜 景華 @kagehana126

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