花火と手帳

枡多部とある

第1話

「ごめんくださーい! 特上うな重二人前、お持ちしましたぁ!」

 家政婦の御厨みくりやちゃんがワゴンを押して私の部屋に入ってくる。

 この家政婦サービス付き高齢者向けマンションに入ってもう5年になる。結婚することもなく小金をためて、最後にこういった贅沢をしながら死を迎えるというのは悪くないと思っている。

「御厨ちゃん、悪かったわね」

「そりゃ、このお盆にうな重上をゴチになるんですから文句ありませんよぉ!」

 まだ二十代の御厨ちゃんは、うな重の前にテンションが高い。

 このマンションは高層ビルのワンフロアにあって、下の階にはマンション専用厨房があってメニューから好きなものを作って、こうやって家政婦さんに持ってきてもらうことができる。普段は下の階にある食堂で同居の人たちとおしゃべりしながら食べるのだけど、毎年夏の今日この日は特別だった。

「彼氏ほっといて来たかいありました! まぁ、もっとも! 彼氏は今日は会社に缶詰ですので問題なっしんぐぅ!」

「……彼氏、かわいそうじゃない?」

 私は苦笑いしながら、自分のうな重が入ったお盆を御厨ちゃんから受け取る。私はベッドに座ってたのでベッドテーブルにお盆を置いて横たわり、ベッドを起こす。ベッドが座椅子代わりになり、私は食べられる体制になった。そのうち御厨ちゃんが私の部屋の机のポットからお湯を急須に注ぎ、 私に湯呑みを渡してくれた。

「そういえば御厨ちゃんとも長いわね。ここに入ってから、もう五年?」

「そうですね。専門学校から新卒でこのマンションに務めだし、最初から姫子さんをお世話しだして六年目に入りました」

「そっか、もう六年目か」

 私はそう言うとうな重に目をやる。うな重の入ったお櫃のふたを開けると、ほんわかとしたウナギのかば焼きのいいにおいがする。

「ちゃんと炭火で焼いた、国産ウナギ。さすがはシェフね」

「臭いでわかるんですか?」

「焼き方がきちんとできていれば、海外産はもっと湿った、べちゃっとした臭いになるの。国産のいいウナギでないと、この匂いは出ないわね、最も」

 私はかば焼きに箸を入れる。サクッとした手触りが箸越しに手に伝わる。

「意外に思うかもしれないけど、、最高級のはずの天然ウナギってね、あんまり身に肉がついてないから逆においしくないの。高知に旅行に行ったとき、本物の天然ウナギを食べてびっくりしたもの」

 そう言って私はウナギを口にした。べちゃべちゃした触感がない素晴らしい味だ。シェフが秘伝だという(実際は何種類もの市販のたれを混ぜたものらしいが)たれもおいしい。

「ええ~!!」

 御厨ちゃんがびっくりしてる。うんうん、若い子のこういう反応、嫌いじゃない。

「そういえば姫子さんって、毎年花火大会の日だけは部屋で食べられますよね。いつもはほとんど毎日、下の食堂でお友達と食べてらっしゃるのに。あ、机お借りします」

「どうぞ」

 御厨ちゃんは押してきた三段ワゴンから自分のお盆を取りだし、ベッドの近くにある書き物机に座った。そうして御厨ちゃんはうな重を口にし出した。

「ハフハフ……。おいひい」

 御厨ちゃんはフーフー言いながらうな重を味わう。この子は猫舌のようだった。

「さすがの私も、これは毎日は食べられませんからね」

 こういう高齢者向け住宅は入居の際数千万から数億払う必要はあるけど、その代わり基本的には入居後は死ぬまでお金を払う必要はない。三食家政婦付きで無料である。しかしこういう特別メニューも別料金を払えば出てくる。

「ごせんぃえ~ん! ごせんぃえ~ん!!」

「金額を唱えながら食べるのはやめなさい、御厨ちゃん」

 私は苦笑いしながらご飯も食べる。

「はなすほもどるまふが」

「お話は口の中の物を飲み込んでからね」

「……」

 ごくん。

 御厨ちゃんは口の中の物を飲み込んだようだ。

「話は戻りますが、いつもはキャーキャー言いながら下の食堂で食べる人が、どうして毎年この日だけ、一人で食べてるんですか?」

「うん」

 私は頷く。

「失礼なのはわかってます。だけど、今日私と一緒に食べるってことは、その話を私にしたかったってことですよね」

「そうよ」

 御厨ちゃんに私は答えてあげる。

「毎年夏のこの日は」

 私は窓に飾ってあった写真立てから『それ』を取り出す。

「いつもこの人と花火を見ることにしてるの」

「……銀行の通帳?」

「そう」

 私は御厨ちゃんに微笑んで頷く。

「ところで御厨ちゃんってね、ライトノベルって読む?」

 私は知ってはいるが、あえて尋ねる。

「はい! 大好きです!」

 彼女は答える。彼女が毎年コミケに行くぐらいのヲタクだってことは先刻承知だ。だからこそ彼女に話し相手を選んだのだ。

「じゃあ、この通帳の話をしてあげる。ライトノベルが好きだっていうあなたにしか話せない、この通帳の持ち主のお話」

 私はベッドから、御厨ちゃんに顔を向けた。

「この通帳の持ち主にはね。私が高校生の時、図書館で初めて出会ったの」

 私は話を始める。

「同級生だったんですか?」

「そう。海外の本が好きでね。『指輪物語ロード・オブザ・リング』とか『果てしない物語ネバ―エンディングストーリー』とか好きだったの」

「うわー! ファンタジーの古典というより元祖だ!」

 御厨ちゃんの食いつきがすごい。

「私が青春時代を過ごしたのは一九五〇年代の終わり。まだどちらも邦訳が出てなかったの」

「……ということは、英語の原書を読んでたんですか?」

 そう言う御厨ちゃんは口がぽかんと開いている。

「英語の勉強と言ってね。図書館にいつもいて、辞書と首っ引きで読んでたの。多分、今のあなた方オタクの元祖というか祖先みたいな人でしょうね。自動翻訳もない時代によくやったと私も思うわ」

「それはその人にも、今の私たちにも、失礼ですよぉ」

 そう言って御厨ちゃんが膨れた。かわいい。

「で、姫子さんはこの人を好きになったと」

「んー、どうなんだろうなぁ」

 確かに、こんなものを長いこと預かって未だに手元に置いているということは、そうなのかもしれない。これは愛だったのだろうか。

「それでね。私も読書が好きだったから図書館の常連みたいなものでね。図書館で出会ったら、いつも向こうから話しかけてきて今日はここまで読んだとか、こっちが聞きもしないことを嬉しそうに話すの。そんな変な奴だったけどね、なんか素敵だったな」

「まっ。やっぱりそれは変……、違ぁう!! 恋ですよ!!」

 そう叫んだ御厨ちゃんの目が輝いている。女の子だなぁ。人の恋バナ好きなのは女の子の特権だ。

「だけどね」

 私は落ち着いた声で話す。

「私たちが高校三年生になって、梅雨のころのある。、あいつ、急に学校に来なくなったの」

「え?」

「文字通り、姿を消したの」

 私は淡々と、事実を伝える。

「家にも帰らず行方不明になって、おうちの人は警察に行方不明の届けをだしたけどね。結局そのまま高校卒業まで音信不通だった」

「……じゃあ、この通帳は?」

「ここからが長いの」

 話がもう終わったのかとがっかりしそうな雰囲気の御厨ちゃんに私はまぁまぁとなだめる。


 ひゅ~……、どん!


 花火の音がする。私は窓の方を向く。そこにはきれいな大輪の花が夜空に咲いていた。

「次に彼にあったのは行方不明から二年ぐらい後だったの。私は大学二年だったわ」

 そうして私は御厨ちゃんの方を向く。

「私は実家から大学に通ってたんだけどね。あいつ、ふらっと私のうちに来て、開口一番なんといったと思う?」

「うんうん」

 御厨ちゃんは興味を取り戻したようだ。

「こことは違う世界で勇者になった、っていうの」

「ゆうしゃ?」

 御厨ちゃん、首をかしげる。

「あの、じゃんじゃ、じゃーじゃーじゃーじゃーじゃーじゃー! っていう、あの勇者ですか?!」

 御厨ちゃんは某コンピューターRPGのオープニングを口ずさむ。

「そう。当時は意味が全然わからなかったけどね」

 私は頷き、話を続ける。

「剣をふるって、魔法を唱えて、化け物を倒す。指輪物語みたいな世界に連れていかれた、そこで今戦っているって言ったの」

「ちょっと待ってください」

 御厨ちゃんは両手の人差し指で頭を押さえる。

「計算したんですが、それって一九六〇年ぐらいの話ですよね。最近やった方じゃなく、最初の方の東京オリンピックよりまだ手前」

「そうね」

 私は首を縦に振る。ちなみに東京オリンピックは一九六四年だ。

「まだドラゴンクエストも、そのご先祖様のウィザードリィやウルティマ、さらにご先祖様になるテーブルトークロールプレイングゲーム、ダンジョンズアンドドラゴンズすら出てない時代。というよりも、コンピュータなるものが初めて社会に登場した時代ね」

 私は昔を懐かしむように言う。あの日のことは、昨日のことのように思い出される。

「それで、『今回はたまたま帰れた、しばらくこの世界にいる』だって」

「うん? ということはぁ。その人が行った世界とこの世界とは行き来ができるんですね」

「まだ、そのころはできたみたいね」

 私は窓の方を向く。遠く、花火が上がっている。

「だけど、異世界の勇者って話、信じたんですか?」

「私の前に現れた彼は、まるで『指輪物語』のホビットのような服を着て現れたのよ、暑いさなかに」

 私はその時を思い出し外を向いたまま笑う。

「こうやって」

 私は花火を見ながら左手を伸ばし、手のひらを上にする。

「彼は『証拠見せるわ』と言って、まず手のひらに炎を出して見せた。次に氷をいきなり手のひらに出して見せた」

「えっ」

 わけわかんないといった感じの御厨ちゃん。だろうなぁ、私もそうだったもん。

「次に土、最後に緑の葉っぱ。火風水土、四大精霊の力を借りたって彼は言ってた」

「……手品?」

「とにかくしばらくは自分の家にいるっていうからさ。私は急いで当時の高校の友達に連絡したのよ。彼が帰ってきたって」

「へー」

 御厨ちゃんが不思議がってたが、私は話を続ける。

「一九六〇年って時代はね。まだ一家に一台自家用車なんかなかったの。今じゃ一人一台なんて言われるけど、当時はとてもじゃないと買えなくてね」

「ですけど、一九六〇年ってもうスバル360って車、ありませんでしたか? テントウムシで有名な」

「よく知ってるわね」

 御厨ちゃんは車にも詳しかった。まぁ、漫画とかでよく出てくるガジェットだから知ってるのかな。

「夏の暑い日だったわ。友達の一人が大金持ちが買ったというテントウムシを借りてきてね。男二人女二人でキャンプに行こうって話になったの」

「合コンだー!」

 はしゃぐ御厨ちゃん。こらこら。

「地元の海岸のバンガローを借りて、一泊二日のキャンプ」

「きゃー!!」

「そこですごいものを見るのよ」

「……」

 花火は一時やむ。私は御厨ちゃんの方を向きなおした。

「キャンプでね。あの人、今でいうところの無双するの」

「無双?」

「すごかったわよ」

 わくわくしている御厨ちゃん。それにこたえるだけのことを、彼はしてくれた。

「まずね。車から降りてみんなで海岸に降りたらね。彼、いきなり『リヴァイアサン! 魚を放り出せ!』って海岸に向かって叫んだの」

「リヴァイアサンって……、伝説の竜ですよね……」

 御厨ちゃん、また口をぽかんと開けてる。

「彼が言うには水の上位精霊だって。なんかね、海の沖の方に水柱がバシャーンって立って、次にぼたぼたぼたって何かが砂浜に落ちてきたの。その落ちたあたりを見たらタイスズキブリやらがドバっと」

「刺身だー!!」

 いいなぁ、と言わんばかりの御厨ちゃん。あなた、自分が今食べてるのは上うな重ですよ?

「まぁ、晩御飯はそれでバーベキューにしようということで、かまどを作ろうという話になったの。あ、バンガローってわかる?」

「貸別荘の小屋のことでしょ。それぐらいは、知ってますぅ」

 バカにされたようで御厨ちゃんが膨れた。そしてバクバクとうな重をほおばる。

「おいひい……、あ、話の続き願います」

「うん。ここはトイレこそあるけど、いわゆるぽっとん便所。水道は外に一つ」

「む、昔ですもんね……。私だと絶対無理だわ……。」

 アハハ……、とあきれたような御厨ちゃん。仕方ない、今から六〇年以上も前の話だ。

「ちなみに……、無駄だと思うのですが、クーラーなんてものは……」

「残念ながらありました」

「えー! あったんですかぁ?!」

 残念そうな御厨ちゃん……、って、残念なの?!

「当時のクーラーってね。室外機と室内機が一体型になったやつで、今の窓にかけるタイプのエアコンが近かったの。ただし壁に穴開けてそこに差し込むタイプ」

「……わーい」

 ないわー、といった表情の御厨ちゃん。

「話を戻すとね。そんな感じでみんなでかまど作るために『石積み上げる?』とか『どこに石あるんだよ』とか、そんな話をしてたら彼が今度は」

「このパターンだとベヒモス召喚!」

 やおら立ち上がると杖を振るようなしぐさをしてそう言って見せる御厨ちゃん。しかし。

「残念、ノームでした」

 がくん。御厨ちゃん、机にくずれ落ちる。そして机に顔を突っ伏した。うん、期待させてごめんね。

「彼が『ノーム、かまどを作れ!』と言ったら土が変形して立派な風呂付かまどの出来上がり」

「な、何でもありですね。本当に無双だ……」

「でしょう」

 私は机から起き上がった御厨ちゃんに微笑む。


 ドン……!


 また花火が上がりだした。私は窓の方を向く。

「『薪忘れた―!』『ドリアード、枯れ木とってきて』『マッチ忘れた―!』『サラマンダー、情け無用ファイヤー!』『皿の洗い物、誰が洗う?』『ウンディーネ、ヨロ!』もうこんな調子よ」

「……こう聞くとキャンプじゃ精霊使いって無敵ですよね……」

 呆れてる。御厨ちゃんが呆れてる。そう。私はこの表情が見たかったのだ。

「まぁ、おまけで夜のバンガロー、男女で雑魚寝したんだけど誰かがクーラーのききが悪いなんて言ったもんだから、あいつが氷の精霊呼びやがって、四人で毛布の取り合いになったのよ」

「オチ迄つくんですか。ところで」

「なぁに?」

 いつの間にかうな重を食べ終わったらしい御厨ちゃんが好奇心の塊のような目線を送ってくる。

「不健全は? 不健全な交際はなかったんですか?!」

「何を馬鹿なことを言ってるんですか」

「えー!!」

 私は何を期待してるんだ、的な目線を御厨ちゃんに送り、その御厨ちゃんはブーブーと私にシュプレヒコールを送る。あなた、いったい何を期待してたの?

「まぁ、そんな一夜が明けて、私たちは帰りましたと」

「四人でランコーとか、二人でこっそりバンガロー抜け出してとかなかったんですか! つまんなーい!!」

「まぁまぁ」

 ぶーたれる御厨ちゃんを私はなだめる。というか、御厨ちゃん。あなた、そういうのを聞きたかったの? まったく……。やがて機嫌が元に戻ったらしい御厨ちゃんは私に尋ねる。

「それで、その通帳はなんなんですか? その勇者って人の通帳ですよね」

「うん。ここからが本番ね」


 ドン……!


 また花火が上がった。

「文学少年は異世界に連れていかれ、勇者になりました。さて、子供はどうして文学少年になったんでしょう?」

「え?」

 私のなぞかけに、御厨ちゃんが首をひねる。

「そりゃ、何かきっかけあったんですよね、ってあれ? 姫子さんとその人は幼馴染じゃないんですか?」

「高校で初対面でした」

「え゛ー!?」

 さらりと言う私に不満たらたらな御厨ちゃん。

「だからね」

 私はまじめな顔をする。

「あの人の闇に気づけなかったの。どうして文学にはまったのか。英語で書かれた本をわざわざ読んでいたのか」

「今は、知ってるんですか?」

「結果からの推測だけどね」

 私は一つため息をつき、お茶を一口飲んだ。程よくぬるくなっておいしい。だけど、よく考えたら麦茶にしとけばよかったな。

「話を戻すわ。彼、私たちのキャンプの直後に異世界にまた戻ったの。そして次に現れるのが2年後。その間にちょっとした悲劇があってね」

「ひげき、ですか?」

「うん」

 私は御厨ちゃんに頷いてから続きを話す。

「彼の家、燃えちゃったの。一族郎党合わせて20人以上が全員死んじゃった。彼がこの世界を留守にしてるうちに、彼は一人ぼっち……」

「はぁ?!」

 御厨ちゃん、目がかっと見開いてる。怖いぞ。

「何が起きたんですか?! そんな八つ墓村じゃあるまいし」

「もう大ニュースよ、『○○町版八つ墓村!』な感じで」

 後ろで遠く花火の打ち上げ音がする中、私は両腕を広げて大げさに言う。実際大事件だったわけだが。

「……で、『八つ墓村』ってことは殺人事件だったんですか、本当に」

 まじめな表情の御厨ちゃんに、私は黙って頷く。

「彼の家は大金持ちだったんだけど、彼のお父さん。家に寄り付かず愛人の家で寝泊まりしてたんだって。あの時代はまだそんなの普通だったんだけど、そのお父さんが彼が異世界の戻ってから一年後に急死。その葬儀の席で、愛人さんと一族郎党が遺産相続で揉めに揉めて。そうしたら愛人さん、隠し持ってた猟銃で暴れ出したの。一族郎党二〇人以上を射殺したあと、家に火をつけて自分も自殺。お父さんの遺産は異世界にいるあの人のものになりました。めでたし、めでたし」

「めでたし、めでたし……じゃなーい!!」

 御厨ちゃんの突っ込み、いただきました。

「で、どうなったんですか?!」

 話をせかす御厨ちゃんに私はまぁまぁ、となだめる。

「そしてその事件の次の年の夏、彼はまた私の家に来たの。あのホビットのような服を着て」

「ホビット……。暑くないんですかねー」

 御厨ちゃんはスマホを覗きながらそう言う。多分ぐぐってホビットの衣装を検索したのだろう。

「懐に氷の精を忍ばせてるから熱くないんだと言ってたけど」

「おいおい」

 御厨ちゃんの突っ込み、またいただきましたー。

「入ってきていきなり、『俺の家、どうなったの?』だって」

 私はあの時の思い出しながら、くすくすと笑ってしまう。本人は悲劇なのに。

「それはさすがに、その人に失礼じゃないですかー?」

 さすがに御厨ちゃんに怒られた。

「だって、他人事だもん。まぁ、他人事ではなかったけど」

 私はそう言う。なぜなら。

「さすがに言ってやったわよ。『あんたの家? それならみんな燃えてあんたの親せき全員あの世に行ったわ』って。あいつ、口をぽかんと開けてたわ。けどね」

「けどね?」

 ずい。机に座っている御厨ちゃんが身を乗り出す。

「あいつ、別に何ともないみたいに言ったの。『やっぱりそうなったか』、だって。彼、次男坊でお母さんがお兄さんばかりかわいがってたから家で居場所がなくて文学にはまっていったらしいって話は知ってたんだけどね」

「ちょっと待ってください。そんな事情、その人はこの日まで姫子さんには一度も話さなかったんですよね。じゃあ、姫子さんはその話を誰に聞いたんですか?」

「弁護士」

「ほわ?」

 御厨ちゃんの頭の上にはてなマークが何個も飛んでいるのが目に見えるようだ。

「あの人のお父さんの遺産を巡って、弁護士さんがあの場所に居合わせてたの。この人、愛人さんに『あんたは関係者じゃない』って言われて撃ち殺さずに逃がしてくれたんだって。元々遺言でこの人が管理して分配することになってたらしくて、この人が私を訪ねてきて、お父さんの一族の最後の生き残りのはずの彼を知らないか聞いてきたの。ちなみにあいつ、家には『パスポートなしに船に乗って海外を旅してた』と言ってたらしいわ」

 私はそう言ってお茶をもう一口飲む。

「でね。弁護士さんがアンタ探してるから連絡とりなさいって言ってやったの。そうしたらうちの親、バカでうちの家の空いてる部屋貸して。私は大迷惑だったわ」

「大変ですねー」

「大変よ」

 私はそう吐き捨てる。

「で、彼が夜這い……」

「あ・り・ま・せ・ん」

 私は一字一字区切って言ってやる。

「姫子さんが彼の部屋に……」

「それも、あ・り・ま・せ・ん」

「ええー!! 期待してたのに!」

「もう、御厨ちゃんたら」

 じたばたじたばた。椅子に座ったまま手足をばたつかせ暴れる御厨ちゃんを私はなだめる。

「まぁ、遺産相続して金が手に入ったらあいつ、すぐ家を出て近くの旅館に部屋借りて住むようになったけどね」

「ん? 旅館、ですか」

「そう」

 暴れるのをやめた御厨ちゃんに私は頷く。

「ということは、最初から、異世界に帰るつもりだったんですね、その勇者さん」

「うん」


 ドドドドドドン!


 花火の連発。おそらくもうすぐフィナーレだ。

「さて、彼が地元に帰ってきて一か月ぐらいたった、地元の花火大会の日。ちょうど60年前の今日の話」

 私は最後の話を始めた。

「あいつが私に、一緒に花火を見に行こうって誘ってきたの」

「やっと不健全な展開だ―!」

「なりません」

 しょぼん。御厨ちゃんが肩を落とす。

「防波堤に二人で座ってね、花火を見たの」

「そして告白、ですねっ♪」

「……ある意味、ね」

「あるいみ?」

 私が意味深なことを言ったもんだから、御厨ちゃんが首をひねる。

「あいつ、いよいよ勇者として大魔王を倒すんだって言ったの」

「大魔王……松平健に振られた人」

「それは大地真央ね」

 私は御厨ちゃんのボケを華麗にスルーする。

「それでね。大魔王を倒したら、もうこの世界につながる道が完全に閉じてしまうって言ったの」

「ヒェッ……」

 御厨ちゃんが驚きの声を上げる。

「まさか、その通帳は……」

「そう、彼の全財産。これを預かってほしいって。『もし、この世界に帰る手段ができて帰ってこれたとき、その金が必要になるから、信頼できる君に預ける』だって。そして、『もし帰ってこれたら、また二人で花火を見よう』だって」

「ええ……」

 そう言って御厨ちゃんは絶句する。

「本当に、キャンプの時はみんな無能でね。もうあの時代写真機なんて誰でも持ってたはずなのに誰も持ってきてなかったの。だから彼の写真なんかないの。家も燃えちゃったしね。そして、この通帳だけが」

 私はそう言って、通帳を取り上げてひらひらさせる

「彼がこの世界にいた証」

「そんな……」

「そして彼は、通帳と印鑑を渡すと霧のように消えていきました。以来60年。私は彼と会えていません、おしまい」

 私はそう言って笑顔を作る。

「下衆なこと聞いていいですか?」

「なぁに?」

 彼女が聞かんとすることは大体想像はついたのだが、あえて尋ねる。そしてここからが、私と御厨ちゃんとのお話の本題。

「……いくら入ってたんですか?」

「これ?」

 私は通帳をひらひらさせて御厨ちゃんに見せつける。

「当時のお金で八千万円。今の価値にしたら四億円以上ね」

「うっわー。確か、姫子さんって、このころじゃ珍しい四年制大学に通ってたんですよね? 大学四年生で大金持ちだ!」

「人のものだけどね」

 目をキラキラさせる御厨ちゃんに私は苦笑いする。

「今でいう学生起業ってやつね。実はこの時、あたし大学四年だったんだけど、就職しそびれて就職浪人確定。家にいても学歴が邪魔で結婚も難しいなんて親に言われたからさ、頭に来て」

 私は一息つく。お茶を一口飲んで続きを話す。あ、お茶空っぽになっちゃった。

「私事務系の学科に通ってたから、これからはコンピューターが世界の主役になるって思ったの。彼、通帳は9割ぐらい使っていいって言ってくれてたから通帳これを担保に4千万円ぐらい借りて、事務用コンピュータ、当時はミニコンって言って事務机ぐらいの大きさで当時八百万円ぐらいしたんだけどね。これを五台買って事務所も借りてそこに設置。ほかの会社の伝票処理を請け負うことを始めたの。今でいう事務のアウトソーシングね」

「たしか姫子さん、地元では女性起業家のはしりとして有名だったんですよね。最後は会社を他の人に譲ったとお聞きしました」

「そう」

 確かここから先の話はしたことがあるはずだ。

「事務のアウトソーシングは当たって、すぐにメインフレーム、今でいうスーパーコンピューターを買って科学技術計算の請負も始めた。1990年代からはインターネットにも手を出して私の会社は地元プロバイダ、サーバーの大手まで上り詰めた。けど、結局結婚はしなかったな。話なんていくらでもあったのにね」

 私はここまで一気にしゃべるとため息をついた。何も言わず、御厨ちゃんが私の湯呑みに急須でお茶を注いでくれる。程よくぬるいそれを私は一気に飲み干した。

「さて、あなたを呼んだのはここからが本番です」

「はい」

 お茶を片付けた御厨ちゃんは姿勢を正す。

「私が死んだら、この通帳をあなたに差し上げます。現在の金額、同じく8千万円入ってるから好きに使いなさい」

「え? ちょ、ちょっと! それは!」

 御厨ちゃん、多分自分にそんなに分け前があるとは思ってなかったみたいだ。狼狽している。

「大体、それ、その彼氏のぶんでしょう?! もし親族とか……」

「だから、もういないってば」

「あ゛」

 そう。あいつの家族、一族郎党はみんな死んでしまった。だからすべての財産を通帳にまとめることができたんだ。

「ですけど、もし取りに来たら……」

「取りに来ないだろうし、もし取りに来たら私はもう死にました。通帳はどうにでもしろと私に言われたのでそうしましたと言ってやりなさい。その方がすーすーするわ」

「あははははは……」

 苦笑いする御厨ちゃん。

「あと、私自身の通帳も好きにしなさい」

「失礼ながら、そちらはありがたくいただきます。えっへっへっ」

 今度は屈託ない笑いを見せる御厨ちゃん。多分この通帳はもらえると踏んでたな、こいつめ。

「あと残高が一千万ぐらいはあるから、私が死んでもけっこう残るでしょ」

「えへへへへ……」

 御厨ちゃん、うれしそうだ。あれは絶対彼氏と何か買いたい顔だ。

「ですけど姫子さん、まだまだ長生きしますよね。使い切らないでくださいよ」

「この前の検診でね、今はまだ痛みないけど癌が進行してることが分かったの。お医者様の話では、来年の花火は見られないだろうって」

「!!」

 御厨ちゃんの眼が大きく見開いたまま、私を凝視している。

「……ごめんなさい。お金もらえるって思って、喜んでました」

 そう言うと御厨ちゃんががバット机から立ち上がると頭を下げた。

「本当に、ごめんなさい!」

 こういうことができるいい子だからこそ、私はこの子に通帳を預けられる。子孫はのこすことはできなかったけど人生の最終盤に、こんないい子に出会えた。

「別に怒ってはないわよ」

 私は微笑んで御厨ちゃんをなだめる。

「いえ。人が死のうというのに喜んでいる私は、最低です。通帳は、いただくわけにはいきません。この件、なかったことに」

 彼女は頭を下げたまま言う。私は困ってしまった。

「いやいやいや、それじゃ困るの。じゃあ私の通帳は、どうしたらいいの?」

「……ええと、事務なんですから姫子さんが本職では」

 そりゃそうだ。御厨ちゃんに逆に突っ込まれた。

「じゃあ。私の遺産相続人を、私の専属家政婦である御厨えみるに指定するよう遺言書を書いておくね」

「それはそれで困りますぅ~」

 御厨ちゃんが本当に困っている。涙目だ。

「じゃあね」

 私は妥協案を出す。

「あいつの通帳は使っちゃダメな形にして、あなたが預かって、あいつが帰ってきたら返してあげて。そして私自身の通帳はその預かり料としてもらっといて。ちょっとの金だけど、今更寄付とか国にとられるとか癪だし」

 私は微笑んで御厨ちゃんの顔を覗く。

「う、そ、そういうことでしたら……、わ、分かりました」

 御厨ちゃんは頭をちょっと上げて、そう言った……。


「てめぇ、なんで地元にいないんだよ」


 部屋の中、いないはずの男の声が響く。

「え? え? え?」

 頭を上げた御厨ちゃんが左右をきょろきょろとする。


「通帳、それ何冊目だよ。姫子自身に位置魔法かけといてよかった」


「あんた、いつの間にかけてたのよ」

 姿を現さない『あいつ』に、私は言ってやる。


「すまない、異世界転移魔法、開発に六〇年かかった」


 ぶおん!


 声が途切れると同時に部屋の中に風が巻き上がると、床の一部分が光り出した。光の中心はおそらくは魔法陣と思われる文字と幾何学模様が現れる。

「んもう、私はおばあちゃんになっちゃったじゃない」

 私はそう言ってベッドから降りると立ち上がる。目の前にある魔法陣からは徐々に足元から人間の形が現れていく。

「……ありゃー。わ、私が通帳を預かる話はなしですね、残念」 

 どうやら事態を理解した御厨ちゃんは言う。だけど御厨ちゃん、あんまり残念そうに聞こえないぞ?


「今、こんなとこに住んでるのか」


 胸まで現れた男はそう言う。

「遅いぞ、コラ」

 六〇年分の恨みを込めて、私は言い返してやった。時計を見ると、花火大会が終わるまで、あと十分もあった。

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