明日キネマを観に行こう
藤咲 沙久
@kinema
「それ、猫?」
キネマの声を聞いた最初の言葉がこれだった。高校二年の夏。キネマはあまり喋らない奴だったし、私もキネマに興味がなかったから、夏になるまで耳に入ってこなかった。
でも、あの日は。私の関心事にキネマの方から踏み込んできたんだ。だから私は顔を上げた。
「……猫じゃないし。カバだし」
「カバなんだ。やべぇね」
「下手で悪かったね」
「違ぇて。ノートの隅にカバっていうチョイスがクレイジーでいいねっていう。褒め言葉」
キネマの話し方は少し、独特だった。キネマというのも、アイツの発言がきっかけで私がつけたあだ名だ。私たちは別段いつも一緒だったわけでも、たくさん会話をしていたわけでもない。キネマと呼び始めたのも秋のことだと思う。
「ちょっと友達らしいことしよぉぜ。明日キネマとか、どう」
私は色んなことに驚いた。キネマの方から友達だと言われたこと、映画をそんな風に呼んだこと、遊びの誘いを受けたこと。でも、全部嫌じゃなかった。たぶん私もキネマを友達だと思っていたんだろう。
キネマが映画のことをキネマと言うのは、一緒に住んでいるおばあちゃんの影響らしかった。キネマは両親の話をしない。私もそれについては関心がなかったので、別にどうでもよかった。私はキネマと観た映画が面白かったし、キネマと呼んでみたら笑って許してくれた。それで良かった。
「卒業したらさ。親んとこ行くわ」
三年生の冬。初めてキネマがそんなことを言った。それはさして遠い場所でもなかった。当時の私たちには今のようなコミュニケーションアプリはなかったけれど、メールアドレスなら知っていた。だから特に問題はないと思った。
だけど。実際に離れれば、共通の話題が失われた。同じ窓から景色を見なくて、同じ木枯らしにも吹かれない。私とキネマの間を行き来するメールは自然と少なくなり、そして消えた。
(別れなんて、こんなもんか)
それもそうだ。わざわざ絶交なんてしなくても、友達との縁はいつの間にか切れていく。なんとなく出会ってなんとなく別れていく、そんなもの。時間が経てば何て連絡したらいいかもわからなくなる。
ただ、私は映画を観るたびにキネマのことを思い出していた。元気にやってるのかなと考えた。最近どう? なんてメールは白々しくて送らないけれど、もし送ってきたら嬉しかっただろう。とはいえ、キネマがそんな文章を打って寄越すとは思わなかった。
こうやって古い記憶を辿ることになったのは、引っ越しに向けて荷物を整理していたからだ。高校時代の授業ノートを気まぐれにめくった隅に、小さなカバがいた。
「……猫じゃないし」
声に出してから、つい笑みが零れた。あの言葉から私たちが友達になったんだと思うと不思議な気持ちだ。私はその絵を携帯で写真に撮った。SNSへ文字を入れずに投稿する。
面白がったフォロワーが一人拡散ボタンを押したらしく、そのあと知らないアカウントからいいねがあった。誰かな、などと、見てわかるわけもないのに確認に行った。
「え?」
操作する指が止まった。その人の最新投稿がすごい勢いで増えていく。
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杵原 @kinema 10秒前
ていうかやっぱ猫じゃね????????
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杵原 @kinema 40秒前
でも話しかけられねぇ。。。。。。。
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杵原 @kinema 1分前
だってカバだぜ、するだろ、いいね
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杵原 @kinema 2分前
いいねとかすんのキモかったかな
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杵原 @kinema 2分前
やべぇ。友達見つけたんだが
返信 拡散 いいね 共有
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キネマだ。迷いなくそう思った。キネマ以外の誰だというのか。リアルよりよほど口数が多い様子だけ可笑しかったが、キネマに間違いなかった。なんていったって、杵原というのはキネマの苗字と同じなのだ。
映画のことをキネマと呼ぶ、
こんなことがあるものなのかと肩が震える。私たちはなんとなく出会い、なんとなく別れ、そしてまたなんとなく──出会った。同じ絵から繋がった。今度は広いインターネットの海の上で、偶然すれ違った。言葉を交わすなら今しかない。私はSNSを閉じ、メールの画面を開いた。
送る文言は決まっている。もちろん、こうだ。
“猫じゃないし。カバだし。”
もし返事が来たら、キネマを
明日キネマを観に行こう 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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