少年絵師の総一朗と侠客

オボロツキーヨ

清水湊

(一)

 

 おれは友からたかに似ているとよく言われる。

実際、鳥のように目がいい。

だから、いつも遠くを見ている。

 

 

 ひたいを重くおおつややかな前髪の下には、猛禽類もうきんるいを思わせる丸い目が輝く。

夏の暑さも一段落した九月の海風になびく小袖こそではかま、腰には脇差わきざし

古風な武士の子のいでたち。


「珍しい船が入港したようだ」


総一朗が清水湊しみずみなとへ絵を描きに行くと、いつも静かな海岸が人であふれて騒がしい。

野次馬たちが集まって噂話をしている。


「ほお、あれが咸臨丸かんりんまるか」

「九年前に勝海舟ら徳川のおえらいさんを乗せて、米国へ行った船だよ」

「今月、旧幕府海軍の副総裁の榎本えのもと武揚たけあきに率いられ、八隻はっせきの幕府の軍艦が品川沖から蝦夷地えぞちへ向かって脱走したけど、運悪く咸臨丸は嵐に合って、銚子の沖で壊れちまったらしい」

「旧幕府軍の脱走兵たちが乗っているんだな」

「修理のため清水湊に停泊するのか」

「でも、明治新政府に見つかったらどうするつもりだ」


 喧噪けんそうの中で総一朗は口をへの字にかたく結び、手習い帳面の上に筆を走らせている。


「みじめだな」

思わずつぶやく。


太平洋を往復したという咸臨丸は、美しく立派な木造の軍艦と聞いていた。

船を描くのが好きな総一朗にとって憧れだった。

だが、目の前の咸臨丸は三本のうちの二本のマストが折れていた。

哀れにも一本だけになったマストには帆ではなく、白い大きなはたが付けられて、海風にばたばたとあおられている。

おれだって武士の子で徳川の家来だった。

徳川家の御威光ごいこうも、この船のようにぼろぼろに。

嵐で傷めつけられた咸臨丸の姿は、徳川家そのものだと思い心が沈む。


「おっと、坊や上手うまいもんだな。絵師になれそうな腕前だ。この絵は、かわら版屋に売ったら金になる」

見知らぬ町人風の優男やさおとこが帳面をのぞき込みながら話しかけてきたが、そ知らぬふりをする。


 目玉を締め付けるように強く何度もまばたきをした。

「あっ」と総一朗は声を上げた。

よく見ると甲板に子どもが一人いる。

ぶかぶかで体に合わぬ細袴とソギ袖を着ている。

おれと同じ十二歳ばかりか。

まさかそんなはずはない、ずっと年上だろう。

でも、まだ子どもに見えるほど小柄で若い。

脱走してきた旧幕府軍の少年兵か。

嵐に合って船が壊れて、怖かっただろう。

さぞ苦しくつらい思いをしたに違いない。

ずっと船の中にいたんだから、早く陸に上がりたいだろう。


「どうせ、すぐに明治新政府の奴らに見つかる」

「だが、白旗しらはた上げて降伏しているから、まさかいくさにはなるまい」

「いや、甘い。奴らは鳥羽伏見や上野で勝った勢いで乗り込んで来て、好き勝手やらかしているらしい」

「明治新政府というのは、自分たちを官軍と言っているが、しょせん西国の聞いたこともない小藩の無学な奴らの集まり」

「何をしでかすか、わかったもんじゃない」

「奴らは、どでかい大砲をたくさん持っていて、やたらとぶっ放すという噂だぞ」

「おそろしやおそろしや」

「くわばらくわばら。もしやつらの機嫌をそこねたら清水の町など、ひとたまりもないね」

笠や手ぬぐいを頭に被った老若男女が口々に言う。


 総一朗は咸臨丸の甲板に立つ少年兵を描き加えた。

描き終えると帳面と矢立やたてふところに押し込み、海岸の野次馬の群れをかき分けて、波打ちぎわへ出る。

草履ぞうりを脱ぎ、袴のすそが濡れぬように股立ももだちをつまみ、帯にはさんでたくし上げた。

甲板へ向かって大きく手を振りながら、何度も飛び上がる。

総一朗の姿が見えたのか、少年兵は笑いながら手を振り返してくれた。

心地よい風が吹く。

心が通じ合った気がして嬉しくなる。

鷹の目だから、総一朗には少年兵の表情までよく見えた。



(二)


 数日後、何かざわざわとした胸騒ぎのようなものを感じた総一朗は、清水湊へ向かう。

すると、湊から大勢の人が浮かない顔で歩いてくる。


「おい、小僧、何処どこへ行く。藩士のせがれだな。物騒ぶっそうだから湊へ近寄らないほうがいい。早く家へ帰れ」

黒羽織の武士が総一朗に声をかけてきた。


「湊で何かあったのですか」

「ああ、ちょっとしたいくさだ。つい今しがた咸臨丸の脱走兵たちが、二十名ほど船上で皆殺しにされた」

それだけ言うと武士は足早に立ち去ってしまった。


「えっ、降伏したのに何故なぜ

総一朗は叫び、思わずその場で頭を抱えてうずくまる。


湊で荷運びをしている人足にんそくたちが通りかかり、つばを吐き捨てながら言う。

「官軍なんてろくでもねえ。武士の情けも何もあったもんじゃねえな。甲板を逃げ回る小さい若いのがいたが、切り殺して海に放り出していたぞ。胸糞むなくそ悪いもの見ちまった」


 総一朗は恐ろしくなり、咸臨丸を見ることもなく、清水湊を背にしてとぼとぼと家路へ向かう。

「まさか、あの少年兵も死んだのか」

大声で泣きたいが、武士の子だから我慢する。


 

 その夜、帰宅した父に問うた。

「本日、清水湊へ行きました。咸臨丸に乗っていた旧幕府軍の脱走兵たちが全員殺されたと聞きましたが、ほんとうですか」

「わしは見ていない。詳しくはわからぬが、おまえには関わりのないことだ。まさか湊へ行ったというのか。馬鹿者、これからしばらくは決して湊へ近寄ってはならぬ」

「どうしてですか」

「新政府軍がうろついているからだ。何かの間違いで厄介やっかい事に巻き込まれたら困る。とにかく、もう咸臨丸のことなど口にするな」


 総一朗は急に腹が立ち、父親にくってかかる。

「白旗を上げた咸臨丸に乗っていた脱走兵というのは父上と同じ、元は徳川の家来たちです。全員が殺されるほど悪い事をしたのでしょうか。新天地を求めて蝦夷地へ行こうとしただけではないですか」

「賊軍に加担する者は厳罰に処すと、新政府から言われている」

父親は苦々しい顔で言った。

そして夜明けまで父と子は、緑茶をすすりながら語り明かす。


「もう徳川の時代は終わったのだ。これから我々は新政府に従うしかない」

朝日が昇る頃に、子どもながら弁の立つ総一朗の勢いに押された父親が、疲れた様子で言った。




(三)


「勝てば官軍、負ければ賊軍」

ふん、大人なんて信じられない生き物だな。

どうして咸臨丸の脱走兵を助けなかったんだよ。

新政府は残酷だけど、助けようとしない藩も情けない。

大人は強いものにへつらって、手のひら返したように態度を変えるから嫌だ。


 咸臨丸事件から数日後に総一朗は、父のいいつけを破り清水湊へ向かった。

咸臨丸はまだ、その無残な姿をさらしていた。

それだけではない。

清水湊に鼻をつくような腐臭が漂っている。

咸臨丸事件で亡くなった兵たちの無数のしかばねが海に浮かんでいる。

新政府のとがめを恐れて、誰も屍をほうむろうとしない。


「おれの大好きな清水湊はどうなっちまうんだ。もうめちゃくちゃだ。三保の松原の天女も松の木も白波も、湊を見下ろす富士山も泣いているぞ」

総一朗は叫ばずにはいられなかった。


腐臭に耐えきれず鼻をつまみながら、咸臨丸を描き始める。

湊にはたくさんの屍が浮かんでいる。

いつものように丸い鷹の目で凝視することはない。

目を細めて描く。

海へ飛び込み逃げおおせたと信じているが、もしあの少年兵の屍が見えたらどうしようと思う。

それでも、清水湊と咸臨丸を描くことを止められない。

供養くようになると思っている。


 ふと気づくといきしまの着流し姿、細帯の腰に長どすを差した男たちが総一朗のそばにやって来て、湊を眺めていた。


「やれやれ、賊軍に加担する者は厳罰に処すって言われてもね、従うわけにはいきませんやね。我ら侠客きょうかくには官軍だとか賊軍だとか、そんなのはどうでもいいですからね」

「まったく、大政おおまさのあにきの言う通りですぜ。この清水湊を守らねば男がすたるってもんだ」

「ここは、いよいよ清水の次郎長一家の出番ですね」

「ああ、そうだな。大政の言う通りだ。まったく、酷いありさまじゃねえか。このままじゃ漁もままならん。漁民も困り果てている。浮かんだほとけさんたちのいたみが進んでいる。湊で悪いやまいが流行ったらとりかえしがつかねえ。明日の早朝に船を出して、仏さんたちを引き上げて、向島の砂浜に埋葬まいそうするぞ。大勢の人足にんそくと船を集めろ」

野太く低い声が響く。


「へい、親分承知しやした」

子分らしき二人の男が調子よく声を合わせて返事した。



 身を固くして総一朗は砂浜に座っている。

男たちの話が聞こえた。

膝の上の帳面の描きかけの清水湊の風景に目を落とす。

清水次郎長の名はもちろん知っている。

侠客といえば、賭博とばく喧嘩けんかひとごろし。

<やくざ者>とも言う。

生まれて初めて大侠客に出会ってしまった総一朗は、恐ろしくて身動きできない。

でも、次郎長親分は埋葬すると言っていた。

新政府を恐れないなんて、侠客ってすごいな。

この人たちは、情けない大人ではない。

偉い大人だ。


 

 帳面を懐に入れると勇気を振り絞り、総一朗は立ち上がる。

そして、斜め後ろにいた三人に向かって深く会釈えしゃくをした。


「あ、ありがとうございました」

緊張のあまり声が裏返る。


「おや、ありがとうだと。ははは、おもしろい子だ。やけに礼儀正しい坊ちゃんだな。袴に脇差の武士の子か。そういえば前にもここで見かけたことがある。いつも絵を描いている少年絵師だな。ところで、なぜ礼を言う」

「旧幕府軍の屍をほおむってくださると聞いて、安心いたしました」

「ああ、いいってことよ。おれたちは人として、あたりまえのことをするだけだ」

次郎長の子分の一人は背の高い優男だった。


ほとけさんに、官軍も賊軍もありゃしねえ」

清水の次郎長親分は、じろりと総一朗をにらんでそう言った。

その野太い声が、総一朗の体にじーんと響く。


「小僧、おまえも引き上げるの手伝え」

鋭い目つきの小柄な男が言った。


「え、あ、わかりました。お手伝いします」

「おい、小政、無理をいうな。まだ、声変わりもしねえ子どもを、いじめるんじゃねえ」

次郎長が子分をたしなめた。


「少年絵師、描いたもの見せてみろ」

顔を赤らめて、もじもじしている総一朗に次郎長は声をかけて、大きく無骨ぶこつな手を差し出しす。


「は、はい」

震えながら手習い帳面を差し出す。


「ほお、上手いもんだ。湊の風景が多いな。おい、おれの顔をちょっと描いてみろ」

「はい」


真っ黒に日焼けした長く平べったい顔の上部に、小さく鋭い二つの目らしき光が埋まっている。

口は大きく捻じれていて、鼻よりも額のほうが高く突き出ている。

石よりも頑丈そうな額と頭。

太い首と四角いあご

矢立から取り出した筆をさらさらと走らせる。


「はい、どうぞ」

総一朗はすぐに描き終えた。


「わはははははは、こりゃいい、よく似ている」

帳面を見て次郎長は上機嫌になった。


「どれどれ、親分、おれたちにも見せてくださいよ」

子分の大政、小政がのぞきこむ。


「いいんですかい。これは、ちょっと」

大政が首をかしげた。


「やい、小僧いいかげんにしろ。よく見ろ。親分はもっと男前だぞ」

小政に怒鳴りつけられて、総一朗は口をへの字に結び震える。


「おい、子どもをおどかすな。いいってことよ。特徴をよく掴んでやがる。名は何という」

「田原総一朗です」

耳まで赤くなる。


「総一朗、またおれの絵を描いてくれ。次は、ここにいる大政小政の絵も描け。上手く描けたら、清水の次郎長一家に見せに来い」


「持ってきたら子分にしてやるぞ。武士なんてつまらねえだろう。この世は侠客のおかげで上手く回っているんだからな。男は侠客に限るぜ」

小政がにやにや笑いながら言う。


「はい、描きます。持って行きます。子分にしてください。侠客になりたいです」

無邪気な甲高い声で返す。


「馬鹿、小政、おまえの子分になったら、すぐに指が失くなって、絵筆なんか持てない手になっちまうだろうが」

大政があきれ顔言う。


「上手く描けていたら、わしの養子にする。鷹のような不敵な目をしている。いい面構つらがまえだ。強い侠客になりそうだ」

次郎長は総一朗の肩をつかみ前髪を撫でながら、刺すような目で穴が開きそうなほど総一朗を見つめる。


「はあ、何を言い出すかと思えば、どういうわけだか、親分は武士の子が好きですからねえ。子どもをからかうのも、いいかげんにしてくださいよ。これから人足集めで忙しいっていうのに。さあ、もう行きましょう」

大政が溜息ためいきをついた。



 あの日から、総一朗は侠客になろうと密かに心に決めた。

三人の侠客の海風きって去っていく、頼もしい後ろ姿が目に焼き付いている。

清水の次郎長の広い背中と、いかつい顔が忘れられない。

とりあえず、清水次郎長一家の三人の絵を仕上げよう。


 手習い帳面は、いつしか人相の良くない侠客の絵ばかりとなり、総一朗の絵を見ることを楽しみにしていた友人や家族を驚かせた。   (了)














  




















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