銀色の雨が降ってきたら
辺理可付加
銀色の雨が降ってきたら
春風に棚引くカーテンの隙間で、朝の陽射しが
微かな音に合わせてゆっくり浮き沈みする胸のリズム。彼女が奏でる最後のラブソングだった。
「ねぇ」
「なんだい」
「私が生まれた西の果ての国ではね、銀色の雨が降るの」
「……そうだね」
それは、何度も聞いた話だ。東の国で僕と出会い、それからずっと東の国で僕と暮らした彼女がよく聞かせてくれた故郷の話。十年に一度だけ、それも彼女の故郷でしか降らない雨の話。
「ねぇ、銀色の雨が降ってきたら……」
彼女はそれっきりだった。彼女のラブソングもそれっきりだった。
これが一度目の別れだった。
僕は西の果ての国を目指すことにした。彼女がいないと、途端に自分の居場所が何処にも無いような、彼女がいないんじゃ何処にいても無意味なような気がしたから、いっそ旅に出ることにしたのだ。
それと、あの国は遠いから彼女は一度も帰ることは無かった。つまり僕は、彼女の生まれ育った場所に行ったことが無いわけで。
だから今更ながら、それを見ておこうと思ったのだ。
そして、彼女の途切れた言葉のその先。銀色の雨とやらを見てみれば、その端っこくらいは分かるかも知れないという淡い期待に乗せられたのだ。
「西の果ての国たぁ、また遠い所まで行くんだな。そりゃ徒歩だと着く前に白髪になっちまうぜ兄ちゃん」
僕は
その時に出会ったのが行商人のペドロ夫婦だ。動きと語りが面白く気の良い夫と何処ぞのお姫様のように上品な妻の若い夫婦。
「よう兄ちゃん、怪我でもしたか」
「あら、西の果ての国? あなた、私達が行く国の隣ではありませんか?」
「よし、決まりだな! 乗ってけや!」
ということで途中まで乗せてもらうことになったのだ。
二人は幌馬車で行商をしながら、ずっとずっと旅を続けているらしい。何処に落ち着くということも無く、家に帰ることも無く。
根無し草というものか。最近彼女をなくして帰る場所というのを見失った僕も似たようなものか。
「帰る場所が無い、というのは疲れないんですか?」
「んーー、俺もアレッタも、自分で元いた世界から飛び出したからな」
「そうだとしても」
「確かに、属する場所、足元が無いというのは居場所が無いようで苦しいかも知れません。しかし、何もそれを今いる場所にのみ求めなくともよいのです。帰る場所が無くとも、行きたい場所、辿り着く場所があればそこがあなたのいるべき場所なのでしょう。であれば、帰宅も旅も同じ道行き」
「さすが俺のアレッタだぜ」
夫は妻にキスをした。
ペドロ夫妻と別れてからは徒歩で西の果ての国へ向かった。
彼女の生まれた国が近い。故郷を去る彼女はどんな気持ちでこの道を行ったのだろう。そして今、僕がその道を遡っている。
そんなことを考えながら歩いた。
西の果ての国は陽気なところだった。祝日でもないのに通りは人で溢れ、屋台は賑わい、パフォーマーが
彼女との日々を思い出す。柔和でおっとりした人だったけど、君は根っこの所では陽気で活動的な魂を持っていたね。確かに君はこの国の人だったんだ。
僕はもう一度彼女と出会った気がした。
さて、僕がこの国に来た一番の目的だが、
「あぁ、銀色の雨ですか。直近が三年前ですかな」
「七年後……、ですか」
観光局のおじいさんは眼鏡をくいっと上げる。
十年に一度だもんな、そりゃそうそうタイミングが合うこともないだろうけど、七年かぁ。
どうやら僕は銀色の雨が降るまで七年間、この国で過ごして行かなければならないようだ。
このまま何も無いまま故郷に帰るともう立ち直れない気がするから、その線は無しだ。
僕は住まいと仕事を探すことになった。
取り敢えず行動する前に腹拵えをしよう。
すぐにアテが見つかるとも限らないので、お金に余裕を持たせる為に安い昼食で済ませることにする。
僕が見つけたのはあまり繁盛していない感じのパン屋だった。
「いらっしゃいませ!」
店内には元気な声を出す少女が一人、だけ。
生地を捏ねるのも焼くのも、サンドイッチを作るも並べるのも、会計をするのも彼女だけ。
そしてパンが恐ろしく安く、味はとんでもなく値段通りだった。あんまり喉に詰まるから僕は牛乳を買いにパン屋に戻った。
すると僕を見て少女は少し怯えた顔をする。
「く、クレームですか? やっぱり、美味しくないですよね……」
「いや、値段を考えれば文句言うようなものでもないですよ」
「そうなんです……。美味しくないから、これだけ安くしないと売れないんです……」
少女は俯いてしまった。牛乳の会計をしてほしい。苦しくなってきた。
聞けばこのパン屋は元々両親がやっていたのだが、父は暴走馬車に撥ねられて急死、母は体調を崩して寝たきりと、少女以外に店を守っていく人がいないのだという。
「お母さんのお薬代も稼がないとだし……」
それで見よう見まねでしかパン作りを知らない少女が奮闘しているのだと言う。
ようやく牛乳がレジを通った僕は一息ついた。
「その、治療費は足りてるの?」
少女はまた俯いてしまった。僕はなんとかしてあげたい気持ちになった。しかしパンをちまちま買っている程度でどうにかなるとも思えない。
「あのさ、モノは相談なんだけどさ」
「なんでしょう」
「その、お父さんの部屋って、空いてる?」
「はい。まだ片付いてもないですけど」
「僕は今日この国に来たところで、住む場所を探しているんだ。もし君が大丈夫なら、僕に下宿先を提供する代わりに家賃と治療費を回収する、っていうのはどうかな」
見ず知らずの男が少女にする話じゃなかったかな。今の僕は完全に『「お嬢ちゃん飴玉あげるからこっちおいで」おじさん』と同じ存在なのだが、彼女は
「お母さん説得してきます」
と住居なのだろう二階に上がっていった。僕がなりふり構っていられないように少女も選択の余地が無いのかも知れない。
ややあって少女は階段を降りてきた。そして
「よろしくお願いします」
僕と握手を交わした。
彼女は名をリータと言うそうだ。
それから僕は農家の手伝いをし、リータと支え、支えられしながらこの国で過ごした。僕のおかげというと口幅ったいが、薬代にも困らなくなったので彼女の母親も介抱に向かっている。
余裕が出てきたリータも俯くことは少なくなり、最近は趣味の油絵を再開するようになった。最近は僕をモデルに絵を描いており、じっと動かないことの大変さを教えてくれる。
最近はこの家族を守る為に日々を過ごしているような気がする。彼女の残した言葉の意味も分からない内にリータ達の為に働きリータ達の家に帰ってくると、なんだか彼女への思いでこの国に来た自分の意志が薄まっていくような……、
彼女と二度目の別れをしているような気がする……。新たな出会いとは以前への別れなのかも知れない。
僕はもうすっかりこの国の人間になった。リータもすっかり少女ではなくなった。彼女の母も病が癒え、今度は衰えというものを美しく受け入れている。
この国に来てよかったと思う。僕はきっとこの国で死んでいくだろう。そのいつかの時まで僕はこの国の陽気さの中で生きていく。
何年か前からこの国の土地に自分の畑を持った。そして今日は何度目かの、この国の大地に種を蒔く日。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
リータの美味しくなったサンドイッチを鞄に詰めて家を出た。
今日も春の陽射しが優しく眩しい。今年もいい作物が育つ予感をさせる。
と、空を見上げる僕の鼻先に、ポツリと滴が落ちてきた。
それは、晴れた空の中、柔らかい日差しを抱きしめてキラキラ光る、銀色の雨だった。
銀色の、雨。
『銀色の雨が降ってきたら……』
あぁ、そうだ、僕は、この日の為に……。
気が付けば雨で濡れる僕の頬に、違う温度の滴が伝っている。溢れて溢れて止まらない。
知らない内に七年経っていたんだな。僕は、君の言葉を追って、ここまでやってこれたんだね、そして遂に辿り着いたんだね。
春の陽射しのように微笑んだ彼女がそこにいて、使命を果たした僕を包み込む。
銀色の雨に打たれる僕がここにいて、全てが終わった後の涙を流している。
出会いと別れの抱擁。出会いと別れの涙。
僕は君と、三度目の出会いと別れを迎えた。
しかし雨は、止む前に僕を濡らさなくなった。
隣を見れば、リータが僕に傘を差しているから。
銀色の雨が降ってきたら 辺理可付加 @chitose1129
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