とある二人の物語 〜幾星霜〜

マクスウェルの仔猫

第1話 とある二人の物語 〜幾星霜〜

(お財布…保険証、お義父さんお義母さんに連絡、火は止めた、由晴よしはる、タクシー、電話…由晴、やだ、やだ、何で、何で!)


 病院から、夫の由晴が事故で運び込まれたという電話が入り、今日子は信じられないままに、部屋を飛び出す。


 そのまま、転がる様にマンションのエントランスから出ると、大通りでタクシーを探した。


 平日の夜という事もあり、"空車"の赤い光を放つタクシーをすぐに見つけた今日子は、立ち塞がる勢いで車道に出て、タクシーを急停車させる。


「お客さん、飛び出したら危ないですよ!どちらへ?」

「県南中央病院まで!急いで下さい!」

「県南中央病院ですね」


(大怪我とかじゃないよね、大丈夫だよね、急いで来てくださいって、変な意味じゃないよね?)


 信号に引っかかり、思った様に進んでいかないタクシーの中で、今日子は何度も同じ事を思い、繰り返す。


 前日の夜、由晴に対して今日子は愚痴を言った。

 結婚記念日当日に勤務先の学校で行う繁華街の見廻りで、帰りが遅くなると言う事に、だ。

 そしてそのモヤモヤを残したまま、今日子は由晴を送り出したのだ。


 今日子にとっては、何ともおかしな話だった。

 二人の記念日に、お互いの都合で取りやめになった事など何度もあった。


 今日子には、魔が差したとしか思えなかった。そして、自分に嫌気がさす。

 自分の言動という事には、何ら変わりがないのだ。


 そして、何故。

 その時に解決しようとせず、翌日ちゃんと謝ろう、などと思ってしまったのか。


 今日子は、二人の幸せが当たり前の様に、明日も来ると信じていた。そんな自分に、身体が震えた。




 ●




 かなめ由晴。

 加藤今日子。


 高校入学で同じクラスとなり、名前順で前後の席についた二人。趣味や話が合う事もあり、仲良くなるのにさほど時間はかからなかった。


 そして、堅物のように見えて、柔らかく優しく人を包みこむ人柄と笑顔が印象的な由晴を、今日子は好きになっていった。


 初デート、生憎の雨時々雪のXmas。二人は晴れて、恋人同士となった。

 告白は、今日子からだった。


 付き合い始めた二人は、今日子の願いにより暫くは交際を周りに内緒にしていた。それが、裏目に出た。



「由晴君、チョコレート、いっぱい貰ってる…」

 バレンタインの日、由晴は学校内外で、両手では持ちきれない程のチョコレートを貰っていた。今日子の顔色は浮かない。


「義理チョコに、そんな顔して心配しなくてもいいよ。もし万が一、本命チョコがあったとしても、僕にはこの一つだけが大切だから」


 由晴はそう言って、今日子のくれたチョコレート入りの紙袋を大事そうに持ち抱えた。

「うん…わかってるよ♪」

 

 それでも、今日子の浮かない顔は、数日続いた。


 もちろん、由晴の前では笑顔を見せるが、今さら「みんなに私達付き合ってるって言ってほしい」なんて口が裂けても言えない。


 由晴の言葉は信じることができても、自分より良い娘に由晴を奪われてしまうのでは無いか。そんな、漠然とした不安。


 そんな中、バレンタインの週の土曜日、由晴が「日曜は用事があるから」と夜まで会えない事をメールで伝えてきた。

 付き合ってから、二人は毎週日曜日は勉強にデートに、必ず由晴と過ごしてきた。

 今日子は結局その日、眠れなかった。


 そして、日曜日。


 今日子は、由晴から貰ったプレゼントや思い出の品が入った紙袋を大事そうに抱える。別れ話なら由晴に全部返そうかどうしようか決めかね、取りあえず持ってきていたのだ。


 進まない足取りの中、今日子は由晴の姿を見つける。


 ゆっくり近づいて、覚悟を決めて顔を上げた今日子の目に飛び込んできたのは…頬を真っ赤に腫らし、ハンカチと缶ジュースで冷やしている由晴の姿だった。


「由晴君、どうしたの?!」

 今日子は、自分が振られそうだ、という状況も忘れ、駆け寄り、由晴の服の袖を掴む。


「いやぁ、失敗した。事実は小説より奇なり、とは言い得て妙だね。考えが浅かったよ」


 由晴は、土曜日の夕方から日曜日にかけて、「チョコレートに手紙があり、そこに好意や交際の意思を記した女子全員」に、丁重な断りと、恋人が既にいる旨を伝えに行ったという。その数、総勢六人。


 必死の努力で何とか全員に納得してもらってから、今日子に連絡したそうだ。

 今日子は、開いた口がふさがらなかった。


「何でそんな事したの?!そんなに顔腫らしてまで、することじゃないでしょ!」


 そんな由晴は、困った顔をして今日子の顔をじっと見ていたが、

「嬉しいの!嬉しいけど…怪我なんて、わぷ」

 今日子を優しく抱きしめた。


 ついさっき迄、手のひらから零れ落ちるとばかり思っていた、由晴からの確かな愛情と温もり。今日子はもう何も言えず、声を上げて泣いた。

 そして、あの時由晴は、今日子が泣き止むまで頭をなで続けたのだった…。


 ●


「お客さん!つきましたよお客さん!」


 タクシー運転手の言葉に、今日子は我に返った。

 すぐに料金を支払い、今日子は救急外来の入口へと駆け込んだ。


 要由晴の妻だと受付に告げると、女性の警官が今日子に近づいてきた。

 由晴の事故の詳細と、身元確認を伝えられた今日子は、老人を助けて車に跳ねられた、という事故の場所を聞いて、戸惑う。


 その場所は、繁華街と言うより、大きな商業施設が連なるエリアだった。そこで見廻りをするなんて聞いていないし、普段から聞いたこともない。


 それを告げると、女性の警官は「それでは、こちらの品物に見覚えがありませんか」と、透明な袋に入った品物を見せられた。


 今日子の心臓が、大きく脈を打った。


 由晴が通勤用に使うカバン。可愛らしいリボンが切れ切れに着いている、銀の鎖が中から飛び出た包装紙。去年の結婚記念日に、二人で食べた洋菓子専門店の刻印の入った包み。全てが、ぐしゃぐしゃであった。

 まさか、仕事帰りにこれを…今日子は、ニコニコと笑う由晴が想像できてしまった。


「要由晴さんのご家族の方、いらっしゃいますか!!」

 言葉を失い、よろける今日子を支える女性警官が、病院スタッフへ代わりに答えた。

「こちらの方です!」

「今、要さんの意識が戻りました!早く、早く声を掛けてあげてください!」



 その場所には、血だらけの包帯が痛々しい由晴が横たわっていた。医師や看護師が忙しなく動き回っている。


「今日子…会えた、いやぁしっぱい…したな…」

 由晴は、ぎこちない動きで今日子に手を伸ばす。


「今日遅くなってごめ…、僕が、悪かっ…」

 由晴の手を握りしめ、今日子が叫ぶ。

「違うの!私が悪かったの…ごめんなさい、だから…!」

 死なないで、の言葉は掠れて消える。

「やっとあやまれた、よかった…」


「意識レベル、血圧、下がっていきます!奥さんも、もっと呼びかけてあげて!」

 病院の救急スタッフが、懸命に由晴に呼びかけ、治療をする。

「由晴、やだよこんなの…由晴!」

 今日子は、涙を流しながら、由晴の手を握りしめ、名前を呼び続けた。




 ●




「今日子?」


 呼びかけに、今日子は胸元のペンダントから視線を上げた。あの日の由晴からのプレゼントのペンダントは、補修を繰り返しながら、今も今日子の胸元に収まっている。


「ごめんなさい。今、あの日の事を思い出していたわ」

「ペンダントを見ていたのなら、僕が神様に呼ばれかけたあの事故の事かい?」

「そう、由晴さんが神様にお呼ばれされた、あの日の事よ」

「半世紀も前の事だと思うと、感慨深いね」

「あの時は本当にごめんなさい」

「なあに、神様が愛し合う僕らに僕らにいたずらをしただけの事さ」



 由晴は車にひかれたあの事故で、九死に一生を得た。


 そしてそれ以来、寄り添って生きていける幸せを大切に大切に思いながら、二人は過ごしてきた。


 だが、金婚式を祝った後、由晴の身体に異変が見つかった。末期癌であった。


 ホスピスのベッドで横たわる由晴は、余命一年と診断されてから更に一年、弁舌爽やかに今日子との会話を楽しむ毎日を過ごしていた。


 医師、スタッフを始め周りの人間達は奇跡が起こるのではないか、と由晴と今日子を日々元気づけてくれる。

 

「思いついた事を考察してたんだ、聞いてくれるかい?」

「ふふ、もちろんよ。要教授、本日の講義内容は?」

「永遠の愛について、さ」


 由晴と今日子は、戯れ混じりに幾度となく、向かい合って色々な話をしてきた。どんなに違った考えが相手から提示されても、一旦受け止めて、質問をしながら話題を広げていく。


 永遠の愛に関しても、二人の間では何度か話題に上ってきた。これに関しては、由晴と今日子の意見は一致している。


「永遠の愛は存在しないと言ったね。けれど、僕達が愛し合ったという事実は、この世界から消える事は決して無いと思わないかい?」

「ふむふむ」

「幾星霜の時が流れて、この世界で僕等が出逢い、愛し合った証が全て失われたとしても、ね」

「興味深いわ」


 由晴は、事実をより確固たる物にし、一日でも長く今日子の側にいたいが為に頑張っているのさ、と笑った。


「君はどう思…いけないね。今日は考察に力を入れすぎた…少しだけ…眠ると…」

 今日子の返事を待たずに、由晴の静かな寝息が聞こえ始める。


 今日子は、由晴の髪をそっと撫で続けた。そのまま、眠る由晴に語りかける。


「私も、永遠の愛はないと思うわ。でもね…引き寄せられるように同じ国、同じ街で出逢って、こんなにも愛し合った私達が、もう永遠に出逢えないなんて事があると思う?神様でさえ、別れさせる事に匙を投げたのよ?」


 由晴の寝息が、先程から聞こえていない。

 ただその顔にはいつしか、満足そうな笑みが浮かんでいた。今日子の言葉が届いたのかもしれなかった。少なくとも、今日子はそう思いたかった。


 由晴は、その人生も、この二年間も、頑張り過ぎと言えるくらいに全力だったのだ。もう、休ませてあげたかった。


 今日子は、そっと由晴と頬を合わせた。

 まだ、温かい。





 今度の初デートは、雪もいいけど満天の星空の下で告白したいな。

 もちろん、告白は私からだよ?

 待っててね。

 またね、由晴君。


 







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