別れ話のその後で

南雲 皋

放課後、旧校舎

 別れはいつだって突然で、だから心の準備ができるという点では、今の私は幸運であると言えるのかもしれなかった。


 普段は外なんて見ずに通り過ぎるだけの旧校舎三階の廊下。

 先生に頼まれて資料を取りにきた私は、本の山を抱えて歩いていた。

 昼でもどこか薄暗い雰囲気のある旧校舎に一人。

 平気だと思いつつも、遠くの方で聞こえた扉が開く音に驚いてバランスを崩した。


 何とか本を崩さずにいられたものの、窓ガラスに寄りかかってギリギリ立っているような体勢になった私の視線の先。

 校舎裏の並木道、もうとっくの昔に散ってしまった桜の木の下、一組の男女が抱き合い、口付けあっているのが目に飛び込んでくる。


 今ほど自分の視力の良さを呪ったことはない。

 その仲睦まじそうな男女の片割れは、自分の恋人であるはずの男だった。


「は?」


 思わず低い声が漏れる。

 受験を控え、勉強に集中したいからと連絡すらほとんど寄越さなかった本当の理由はこれだったのか。


 眩暈がする。

 去年の夏休み前、好きだと言ったのは彼の方だった。

 色んな場所に行った記憶、私の名前を呼ぶ声、幸せそうな笑顔、ぐるぐると思い出が駆け巡り、吐き気がした。


 不意に、両腕に掛かっていた重さが半減して、顔を上げる。

 そこには本を片手に抱えた同じクラスの大塚くんが立っていて、じっとこちらを見下ろしていた。

 鋭い切長の瞳が不機嫌そうに細められ、思わず身構えてしまう。


「お、おつか、くん?」

「重いだろうからお前も行けだと」

「ありがと……」


 すたすたと歩き出す後ろ姿を、慌てて追いかけた。

 足の長さが違いすぎて、早足で歩いても距離はまったく縮まらなかった。


「職員室で、いいんだよな」

「あ、うん!」


 旧校舎の入り口のガラス扉を開けた状態のまま待ってくれていた大塚くんが、そう尋ねた。

 校舎を出てからは横並びで歩けるようになっていて、大塚くんが歩くスピードを調節してくれているのだと理解し、申し訳なくなった。


「おー、ありがとなー、そこに置いといてくれ」

「いえ、失礼します」

「気を付けて帰れよー」


 職員室を出て、自分の教室に戻る。大塚くんももちろん、同じルートを辿るわけで。

 もう誰もいない教室に、二人。

 開けっぱなしになっていた窓を閉めていると、背後から声が投げかけられた。


宇佐美うさみ、目、いいんだな」

「え? なに、いきなり」

「切り捨てるなら、早い方がいいぞ」

「…………っ!」


 目がいいのは、そっちじゃないか。

 思わずそう口にしそうになる。いつから、どこから見られていたのか。

 というよりも、それ以前に。


「なんで、知ってるの……?」


 彼が、秘密にしたいと言ったのだ。

 だから誰にも言わなかった。それなのに、どうして。


「あっちは、お前ほど真面目じゃないってことだな」

「は、なしてた?」

「俺に聞こえてくるくらいには」


 あぁ、本当に、最低だ。

 今まで私は、彼の何を見て来たんだろう。


 閉めようとした窓をそのままに、壁にゆっくり寄りかかる。

 軽やかに吹き込む風は、私の気持ちを楽にしてはくれない。

 低めの位置で一つに結ばれた髪の毛が、風になびくこともない。


「なんか、ムカついてきた」


 言葉にすると、ますます気持ちが強まって。

 今までの楽しかった思い出の何もかもが、どんどん真っ黒に塗りつぶされていくような気がする。


「殴りたくなったら、使っていいぞ」

「何を?」

「俺を」

「…………ふはっ」


 表情を変えずにそんなことを言うものだから、耐えきれずに吹き出してしまった。

 いつも不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、女子も男子も寄せ付けないみたいなオーラを放っていたから、こんな会話ができるとは思いもしなかった。


「ありがと、別れ話の最中にもっとムカつくこと言われたら、お願いするかも」

「ああ」


 そう言って、大塚くんの唇が弧を描く。

 初めて見る表情に、どうして心臓がうるさく跳ねるのだろう。


 別れ話の最中も、罵倒されて一人で歩く帰り道も、彼の連絡先を消去したスマホを充電して寝転んだ自室のベッドでも、私が考えていたのは、大塚くんのことだった。

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