エースたちへの期待

藤咲 沙久

果たして八木は男なのか女なのか


 緩急をつけて注がれたビールが美しく泡立っている。三対七のツートンカラーは店長こだわりの黄金比だ。仕事終わりの冷えた一杯。馴染みの席に陣取った営業部一行は、半個室のテーブル席で陽気にジョッキを打ち鳴らした。いい音だ。

「あっ、アンタまた! それ私が狙ってたのに!」

 皿と酔いがひと通り全員へ回った頃。テーブルの隅からあがった苦情に同僚の視線が集まる。それが瀬尾美香子せおみかこから藤嶺四郎ふじみねしろうへ言われたのだとわかれば、一瞬あとにはもう誰ひとり気にしていなかった。

 いつも通り、仲良しコンビがジャレあっている。ただそれだけのことだ。そんなことよりポテトが旨い。

「みんな残りの一個を食べないから頂いたまでじゃないか」

「私が箸伸ばしてたでしょ!」

「じゃあ今月は僕が勝った祝いということで」

「なんですって、じゃあ私が来月勝つ前祝いしなさいよっ」

 毎月必ずトップを争う二人は、揃って営業部のエースだ。今回は瀬尾が優位のまま逃げ切るかと思われたが、最後の最後に藤嶺が販売した大型機器が効いたようだった。長い間粘り続けた商談だと言うのだからタイミングがいい。

 瀬尾と藤嶺は同期でもある。同期で、同い年で、同郷で──他、色んな意味で同レベル。同性でこそないが、まあライバルになるのは仕方がないというものだ。

「いいかい瀬尾。僕はね、君と争うバランス関係がすごく燃えるんだよ。だから瀬尾が勝つのも嬉しいし、悔しい。そしてその時はちゃんと祝う。ゆえに事前には祝わない」

 話ながらも、ちゃっかり自分の分を小皿に確保して回る藤嶺は抜かりがない。気づいた瀬尾も慌てて箸を取った。そのうち、先ほど空いたスペースに追加の料理がやってきた。

「もしかして、時々唐突に押し付けられるお菓子の山は……」

「今気づいたのか? あんなに僕が祝福の意を示していたのに」

「わかるわけないわよ、口で言いなさい口で!」

「瀬尾。営業マンたるもの、人の心が読めなくては」

 刺激されるプライドのままに反論したい瀬尾であったが、藤嶺はひらりと躱すように手洗いへと立ってしまった。その背中の楽しそうなこと。今夜はどうもご機嫌のようだ。

「瀬尾さんたちは本当に仲良しだぁ」

 向かいの席から後輩が声を掛ける。後輩と言えど仕事を離れれば友人のような親しさで、なおかつ瀬尾・藤嶺コンビを密かに推す一人でもあった。

 いや、“密かに”と呼べるかどうかはご想像にお任せしよう。

「こういうこと聞くとセクハラって言われそうだけど、自分と瀬尾さんの仲だから聞いちゃう。ね、付き合ったりとかしないんです? お似合いだと思うんですけど」

 部長の方針もあり、この営業部は飲み会の悪しき風習など微塵も感じさせない気楽な部署だ。隅の席でこんな話をしていたって誰も気に留めない。各々が自由に飲み、好きなように話し込んでいる。

 それでも、瀬尾は念のためにチラリと周りを確認してから控えめに口を開いた。

八木やぎと私の仲だからお答えするわ。私たちは付き合わない方がいいのよ」

「えええ、なんでですか」

「アイツと数字競ってるのが一番楽しいの。ライバルとしてずっと意識しあっていたいのに、恋愛関係になったらそれが崩れちゃうかもしれないじゃない」

 この時八木は、一瞬ポカンとした。冷静になろうとしたのかタコワサをいくつか詰まんで、箸が滑ったのか皿の上に一つ落とした。残り少なかったビールを飲み干し、呼び止めた店員へおかわりをお願いし、なんなら隣に座る同期の分まで頼まれてもいないのに注文した。なお、同期のジョッキは半分埋まっている。

 そこから呼吸を整え、やや動悸が激しい胸を押さえながら八木が瀬尾に向き直った。瀬尾はと言うと、後輩が行った一連の挙動不審さを不思議そうに眺めていた。

「……瀬尾さん? つまり藤嶺さんのこと自体は好きだと? え、両片思いだろうと思ってたけど実は両思い? 公式が最大手なんです?」

「へ……? ち、違うわ! そういう意味じゃなくて!」

「どういう意味なんですかぁ!」

 嬉しい気持ちを隠しきれない八木の瞳が輝いた。わずかに頬を染めた瀬尾が慌てて両手を振ってみせる。無意味にブンブン振る。

「き、嫌いなわけじゃないわ。いい仕事するし尊敬だってしてるわ。でも好きになったら戦えないじゃない。私の楽しみがなくなっちゃうのは……嫌。それだけよ」

 追撃を覚悟していたが、変に間が空いた。不思議に思って俯きかけていた顔を上げてみると、八木は瀬尾の方を見ていなかった。

「……瀬尾さん、横で藤嶺さんが固まってます」

 八木の言葉に瀬尾も一瞬呼吸を止めた。少し前から戻っていたのだろう、座るためにイスを引こうと手を伸ばした姿勢のまま、瀬尾の視界がわずかに届かない場所に藤嶺は立っていた。

 ゆっくりと首を動かし、互いの目が合う。なぜか八木が息を飲んだ。

「……焼き鳥の話よ!」

「焼き鳥の話」

 反射的とも思える勢いで声を挙げた瀬尾に、藤嶺が機械のごとく反芻する。

「そう、そうなんだから! アンタが私の目の前からかっさらた店長特製つくね(タレ)……! 忘れたとは言わせないわ、私の楽しみを取るなんて!」

 あまりに、あまりにお粗末な誤魔化しだ。誤魔化せていない。そんなことは恐らく瀬尾もわかっているだろう。藤嶺がどう返すのかと八木にだけ緊張が走ったが、他のメンツはやはり意に介さず飲み続けている。呑気な部署だ。

 そしてついに藤嶺が唇を動かした。

「僕は、塩タンが好きだ」

「……それは焼き肉の話ね」

「焚火で焼くのが好きだ」

「焼き芋の話なのかしら」

「他に何を焼こうかな」

「焼かなくていいわよ」

「うん、まあ、何が言いたいかと言うと」

「何か言いたいことがあったのが意外よ」

 ようやく自分のイスに腰を降ろした藤嶺は、とんちんかんなことに八木を見つめながら言った。こちらを見るなと八木は思った。

「僕は今、少なからず、動揺しているらしい。なぜだ」

 言葉の通り、大変複雑な表情を浮かべる藤嶺。それは淡い恋の予感か、ライバル喪失の不安か、その両方か──はたまた、本当に理由がわからないのか。八木の読みでは最後のだろう。

 少なくとも、例え好かれても藤嶺が満更でもないのは営業部全員が知っている。訂正、当事者二人以外の全員だ。

「営業部のエースが揃いも揃って、まあ」

 自分の心は読めないようで。そんな言葉は運ばれてきたビールと一緒に後輩の喉へと流し込まれたが、アルコールにのぼせた二人は気づいていないようだった。やはり彼らは同レベルらしい。今後に期待と言ったところだろう。

 そんなことより、ポテトが旨い。

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エースたちへの期待 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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