焼き鳥、一つ
御角
焼き鳥、一つ
ピポピポピポーン
深夜、重いドアを開けて一人の男が入店する。いつもこの時間に来る常連さんだ。
いつ見てもかっこいい。
きっかけは大したことじゃなかった。コンビニバイトを始めたばかりで、まだ右も左もわからないまま初めてワンオペを任され、早くも辞めたいと思っていた時、
「あれ、もしかして新人さん?」
と声をかけてくれた。
「は、はい! あ、お会計ですか?」
と慌てて品出しから戻ろうとすると彼は笑った。その笑顔もまた、素敵だった。
「いいよ、ゆっくりで。どうせ他に怒るような人も居ないんだし、ね?」
だから自由に、思うようにやればいいと、そう言われているような気がして、その他愛のない言葉に私は救われた。そんなつもりで言った訳じゃなくても、私のただの勘違いでも、その事実は変わらなかった。
それから彼が来るたびに、私の心はざわついた。いつの間にか夜勤が楽しみになっていた。彼は決まって、弁当とお茶、そしてカウンターの焼き鳥を一つ、買っていった。
「焼き鳥、一つ」
それが私と彼が交わす唯一の会話だった。ケースから一本取り出し、慎重に紙パックに収め、レジ袋に入れる。そのホカホカの温もりが彼にも伝わることを考えると、なんだか妙に心地が良かった。
今日も彼は、新発売の弁当と体に良さそうなお茶をレジに持ってきた。慣れた手つきでバーコードを素早く読み込む。
「あの」
来た。私はホットコーナーの方へ体を向ける。
「56番、下さい」
ピタッと、動きを止める。56番、タバコ……?え、焼き鳥じゃなくて?
予想外の事態に、回る思考が止められない。56番のタバコを必死に探すが、頭は疑問で一杯だった。
「今日は、頼まないんですね。焼き鳥」
しまった。考えるよりも先に口が動いていた。個人的なことに立ち入るべきではないと、ルーティンを崩すべきではないとわかっていたのに、
カツーン
沈黙の中に、セッターの軽い音だけが響き渡る。
「あ、も、申し訳……」
「出ていっちゃったんだ。彼女」
彼が重い口を開く。彼女……。その言葉が頭の中で
「焼き鳥見るとさ、思い出して、辛くなっちゃうから。久々に一人の時間楽しもうかなって、思って……」
彼は
きっと彼は、その彼女のことが大好きだったんだ。彼女のために禁煙するぐらい、毎晩焼き鳥を買ってあげるくらいに愛していたんだ。今までの私は、なんて独りよがりだったのだろう。そう思うと、気づかぬうちに私も泣いていた。
「え、なんで店員さんが泣いてるの……」
彼は目に涙を溜めながら、笑っていた。あの日、私が好きになったあの時と同じ、素敵な笑顔。
「ごめんなさい、変な質問して。辛いこと聞いて、本当に申し訳ありません」
「いいって別に、俺が勝手に話しただけだし」
益々気を使わせてしまったことに罪悪感が
「あの……こんなことを私が言ってもどうにもならないとは思うんですけど」
「何?」
「あなたは、悪くないと思います。私は何も、あなたのことも、彼女のことも知らないけれど、でも、焼き鳥分の温もりはきっと、彼女に届いていたと思います。だから……」
二人だけの空間に、束の間の静寂が訪れる。
「だから、ご自分を責めるのはやめてください。今はまだ無理だろうけど、きっと時間が、あなた自身を許してくれると思うから」
言葉が止まらない。お節介だと分かっていても、気持ちが止められない。
「また、焼き鳥が恋しくなったら、いつでも頼んでください。奢りますから」
彼は後ろを向いている。その表情はわからなかった。
店内の音楽に紛れて、微かな彼の嗚咽が、私の耳にだけ届いていた。
結局彼はタバコを買うのをやめた。落としたセブンスターを拾い棚に戻す。
「お会計は712円になります」
「1012円お預かりします」
「300円のお返しです」
そっと、手が触れる。その温かさは、いつもの焼き鳥の何倍も胸に沁みた。
「またのご来店、お待ちしております!」
これでもか、というくらいの深い会釈に彼は再度笑って、去り際に
「またね」
と手を振った。
ゆっくりと顔を上げる。また涙が、溢れてしまった。
焼き鳥、一つ 御角 @3kad0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます