読書倶楽部の文香先輩
くれは
先輩との読書体験
その
高校生活、放課後、ここは狭い部室、今は読書倶楽部の活動中。在籍者は俺と
焼き鳥という文字が目に入ってすぐ、肉の
本が好きな文系美少女の
その
今度は串を皿に戻す。そして香ばしいタレが絡んだモモ肉を口の中で転がしながら、白い指先で口の脇についたタレを拭って、舌を出してその指先を舐める。その舌の赤さ。
こくりと喉が動いたと思えば、目の前のお
俺は溜息をついて、
「また呑んでるんですか、未成年なのに」
「それが本の良いところでしょ」
「いやまあ、否定はしませんけど」
隣の椅子に座ると、俺の前にもお猪口が出てくる。
「わたしたちは本を読んでいるだけで、なんにも悪いことはしてない、でしょ。それとも、未成年はお酒が出てくるお話を読んではいけないってことにする? ナンセンスじゃない?」
「そのうち規制されるかもですね、冗談じゃなく」
「
俺は注がれたお猪口の中身をぐいっと煽った。くらりとするような
「あくまで個人の意見ですけど、ナンセンスだとは思います」
俺の言葉に、
「本を読んでいる間くらい自由で良いと思うんだよね。いろんな感情、考え方、本来なら体験し得ない出来事、自分のものではないそれを好きに感じ取って良いはず。わたしはただ、そうやって本を楽しんでいるだけ」
俺の前にも焼き鳥が置かれる。タレのモモ肉。先輩が持っているのと同じもの。先輩が食べる姿を思い出して、口中に
「先輩のこれは自由すぎると思いますけどね」
「
これが、読書倶楽部──つまり
「そうなると周りが見えなくて危ないし、結構疲れるし、一人だと戻ってくるのも大変で。それに、体験するにはしんどいこともあるからね、本って」
俺はなぜか、そんな
そして、こっちの方が重要なのだけれど、俺は先輩と一緒に体験できるだけじゃなくて、体験に溺れて戻れなくなった先輩を現実に連れ戻すことができる。
それが判明したとき、先輩はこう言ったのだ。
「じゃあ、あなたと一緒ならわたし、自由に本を楽しめるってことじゃない? 連れ戻してもらえるってことでしょ?」
それが読書倶楽部の始まりだった。
そして、口汚い先輩との読書体験はいつも、何かを食べるシーンがきっかけだった。
白いささみ。薄く切られたささみ肉と
梅の匂いに刺激されて、口の中がきゅうっと絞られたようになる。溢れた唾液を飲み込んで、梅肉と紫蘇に飾られた白い身を口に含む。梅肉の酸っぱさ、紫蘇の香り。淡白なささみが口の中で
「美味しい」
「これ、どんな話なんですか」
一口目を飲み込んで俺が聞くと、先輩はとろりと酔った目を俺に向けた。
「まだ戻らなくても大丈夫だよね? もう少し、こうしていたい」
俺は先輩から目を逸らして、二口目。梅肉の酸っぱさで少し落ち着きを取り戻す。
「もうじゅうぶん楽しんだでしょう」
「でも……美味しくて……もっと食べたい」
「それでヤバくなったことが何度もあるでしょう。どんな話なんですか?」
先輩は最後の一口を食べて、飲み込んで、日本酒をもう一口。それからようやく、俺の言葉に返事が返ってくる。
「まだ読み途中だからこの後どうなるかは知らないけど。あらすじによれば若い男が年上の女性に
「先輩はそれ、体験したいんですか?」
したくないという答えを期待していたけど、思いがけず先輩は悩む様子を見せた。
「なんかこう、そこまで激しく恋に溺れるとかって現実だと経験できなさそうだし、一度くらい体験してみたいなという好奇心もあるんだよね」
そう言う先輩の目はぼんやりと夢を見ているみたいにふわふわとしていて、どうやらかなり酔っ払っているらしいと気付く。この酔いの理由は酒じゃない、読書体験だ。読書体験に集中しすぎて、先輩は溺れ始めている。早く現実に連れ戻さないと。
慌てて先輩の腕を
「とにかく一回戻りましょう」
「
先輩がすがるように抱えるように俺の腕を掴む。先輩の体の柔らかさを感じてしまうのは、きっと俺も読書体験に引っ張られているせいだ。きっとこの本はこの後、そういうシーンに移るんじゃないかと思う。だから、頭に浮かぶ官能的なあれこれも、全部、本の描写のはずだ。
焼き鳥屋が焼き鳥屋の
焼き鳥の匂いも、酒精の匂いも、全部が掻き消えた。すぐ目の前に先輩の顔があって、慌てて身を引いてから、息を吐き出す。いつもの狭い部室だった。
「先輩、よだれ垂れてますよ」
俺の言葉に先輩は何度か瞬きをして、開いていた本を閉じて机の上に置いた。スカートのポケットから淡い水色のハンカチを出して上品な仕草で口元を押さえる。
ついさっきまでぼんやりとよだれを垂らしていたとは思えない美少女ぶりだった。
先輩はハンカチをしまってから、大きく息を吐き出した。
「ああ、美味しかった……」
吐息交じりに呟かれたその声にぞくりとしてしまったのは、きっと読書体験の酔いがまだ
「戻れて良かった」
俺の安堵の呟きは、
「
そのうっとりした表情に、俺は溜息をついた。
それは現実で体験したいことなのだ、というのはまだ言えないままだ。
読書倶楽部の文香先輩 くれは @kurehaa
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