霊薬~口にうまし足に臭し

石田宏暁

焼き鳥の出てくる物語

 ねぎま二本にレバー、つくねと鶏皮。結局これが一番美味しい。あたしはひとり公園のベンチに座り、缶ビールを飲んでいた。


 お酒はあまり好きじゃないけど、焼き鳥は子供の頃から好きだった。祐太と二人で駅向こうの屋台まで歩いて、一本八十円の焼き鳥を食べた。甘いタレの匂いが、大好きだった。


「焼き鳥の高級店に行くんじゃなかったの? 新しい彼氏さんと」


 暗がりから顔をだす祐太には、もう驚かなかった。いつのまにかベンチの隣に座って勝手に袋を広げている。


「行ったわよ。串に鶏肉が三つしか刺さってなくて、塩だけなの。信じられなかったわ。タレが美味しいのに」


「ああ、タレが美味いのに。まさか、そんな理由で別れたんじゃないよね?」


「食べ方かな。串から全部外してチマチマ食べるのって男らしくないわよね。あたしにも強要する感じだったのよ。まるで家庭であたしが旦那さまの為に盛り付けを綺麗にできるか品定めしてるみたいじゃないの。家で料理をしたり、古風で夫の面倒をしっかり見たりする女性か確かめてるのよ」


「串で家庭の何が分かるのかは、さておいて。君が短気だってことは知ってるけどさ、つまり彼の食べ方で別れたの?」


 幼馴染の彼は、缶ビールを飲みながら頬を赤らめていた。私の反省会に付き合わされるのは面倒だろうけど、この焼き鳥はときたま無性に食べたくなるから仕方ない。


「あんただって、前の彼女と半年も付き合ってなかったじゃない。あ、振られたんだっけ、怖じけづいて逃げたんだっけ? 玄関まで行ったくせに」


「僕の足がさ、そりゃもう臭くって。しかも靴下に穴があいてたんだ」


「ぷっ、アハハハハハ。それなら心配しなくていいじゃない、もう足がないんだから」


「……」


「ごめんなさい」


「僕は幽霊じゃない。まだ足はある、足はあるんだ」


 ねぎまを一本、手にとって食べた。甘いタレが口いっぱいに広がった。


「あたし、ここの焼き鳥がなけりゃ最悪の嫌な性格の女になっちゃう。イライラしてストレスが溜まるから」


「そんなはずないだろ」彼はにやけ顔で言った。これ以上最悪に成りようがないと思ってるのはバレバレだ。


「後から文句言わないで、彼氏にきちんとこういう店に行きたいっていえばいいじゃないか。串から直接食べたほうがいいよ、とかさ」


「それが問題なんだけど、本人の居ないところで陰口を叩くほうが好きなの」


「……本気?」彼は珍しく声を荒げた。


「君の人生」彼は両手を広げて続ける。「君はいったい何をしてるんだ。付き合っては別れ、酒を飲んでクダを巻くこと五年。まったく成長してない。子供のまんま、学生と一緒、いつになったら大人になるんだ。まわりの連中は結婚して、家庭を築いて幸せを掴んでる。最低だと思わないか?」


「あたしはとっくに自覚してる」


「はぁ、自覚がないのは僕のほうか?」


「そういう意味じゃなくて」


「もう買ってくんな!」


 彼の顔を見れなかった。つまりはもう来るなという意味だ。彼が全身麻痺の難病にかかって五年もたつ。その間、幽体離脱で姿をあらわすのは――あたしにだけ。


 そして何故か、あの屋台に引き継がれてきた秘伝のタレが関係している。この焼き鳥(タレ)がない限り、祐太は顔を見せない、ベッドに寝たきりだった。どんなに科学的に分析しようとしても全く理解不能だった。


「今すぐ」あたしは立ち上がった。「今すぐ、あんたに秘伝のタレを食べさせてあげる」


 それだけいうと、体が勝手に駆け出していた。ビニールに入った焼き鳥だけ持って、大学病院の駐車場から、非常階段へ。


「何を考えてるの」裕太は唖然としながらも、あたしに付いてきた。スーッと亡霊のように先にまわって言う。「夜勤も警備もいるんだから、入れないよ」


「頭も、性格も、みんな悪くてごめんなさいね。ずっとあんたを……死を見つめてきたけど、やっぱり好きになれないわ」


 昼の間、非常用のドアの鍵をあらかじめ開けておいた。ベッドの横には金属のスタンドから吊った壜にいちごシロップみたいな血が入っている。目の前に寝ているのは実態のある祐太だ。


「あなたは麻痺して何も感じないかもしれないけど、あたしは違う。休みなく痛みを感じてる。心の痛みよ、ほっとできることなんて一瞬だってないわ」


 逆さにした壜の口からチューブが伸び、彼の腕に刺さっていた。左側には塩水のチューブや酸素吸入機、心電図が置かれていた。


「まさか酸素吸入機を外して、僕に焼き鳥を食わせようなんて馬鹿な真似はしないよね?」


「……どうかしら」


 血圧やヘモグロビンが一定値より下がれば、どんな霊的な薬があろうが、人間は助からない。そんなことは分かっていた。


「やめるんだ!」


 シーツを引き剥がすと、祐太の真っ白な足が見えた。確かに足はあった。幽体離脱しているときは決して見えない、痩せ細った足が。


「!!」


 あたしは無意識に、祐太の足にタレを塗りたくってやった。ベトベトして気持ち悪かったが匂いは食欲をそそった。


「あ、あなた何をしてるの!?」


 夜間勤務の看護師は、あたしを羽交い締めにしていた。それでもあたしはタレを塗る作業をやめなかった。


「あなた、やめなさいっ。何のつもりなの、だれか、だれか来て!」


「離してっ!」


 食欲以外の良くない欲望も、あったかもしれない。とにかく、あたしは祐太に触れたかったのだから。


「…………」


「……」


 院内の匂いと焼き鳥のタレが混ざりあって不思議な匂いがしていた。


 それは生命の匂いだった。自力で命にしがみつこうとする人間の匂いだった。そしてついに祐太は起きて叫んだ。


「足が臭いよっ……勘弁してくれっ!」


「ばかっ、祐太のばかーっ」


 あたしは看護師の腕を振り払って祐太に抱きついた。何が起きたのか判らない看護師は慌てた様子で、内線用の受話器を取った。


「足が臭いくらい何よ」焼き鳥と甘いタレの匂いに、しょっぱい涙の味が混ざりあった。


「ぐすっ……靴下くらい、あたしが縫ってあげる。足が臭いくらい、ひっく……我慢してあげるんだからっ!」


「う、嘘だろ!?」受話器をもったまま、若い看護師がささやくのが聞こえた。


「眠り続けていた裕太さんが、いま起きて、叫んでるんです」



              END




 

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霊薬~口にうまし足に臭し 石田宏暁 @nashida

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