焼きストーリーは突然に【KAC20226・焼き鳥が登場する物語】

カイ.智水

焼きストーリーは突然に

 退社時間が近づいてきたとき、同僚が俺を焼き鳥屋へと誘った。

 しかし丁寧にそしてやんわりと断る。

 同僚と飲食するのはかまわないのだが、アルコールを飲む気がさらさらないからだ。

 それでも一緒に焼き鳥屋の前までついていくと後悔する。


 焼き鳥屋の前を通ると、濃厚なタレが炭火で焼かれた香りが漂ってくる。

 いかにも食欲をそそる匂いなのだが、私は今まで焼き鳥屋に入ったことがない。

 お酒もビールも飲めない男にとって、焼き鳥屋は縁遠い存在なのだ。

 だから食べたくなったら、スーパーの惣菜コーナーで仕入れてレンジでチンである。


 なぜ焼き鳥屋で食べないのか。


 「なぜ焼き鳥屋はビールくらいしか飲み物がないのだろうか」という根本的な問題に突き当たる。

 つまり焼き鳥屋に入ることは、暗黙的に「ビールを飲め」という店主のエゴに付き合わなければならないからだ。


 俺はアルコールを一滴も飲めない。

 日本酒はもちろんワインやシャンパンも例外できない。

 甘酒さえ酒粕から作るものは危険な代物だ。

 食事の旨味付けに入れられる酒も、風味づけのワインも、完全にアルコールが飛んでいないと激しい頭痛に苛まれる。

 であるからして、ビールもご多分に漏れず。


 だが焼き鳥屋といえば「ビール」が定番の飲み物とされている。

 焼き鳥だけでは利益が雀の涙なのは知っている。

 そしてビールは原価が安く、焼き鳥屋ではプレミアム価格で売られているから、いくらでも暴利を貪れるのだ。

 それを承知した客だけが、焼き鳥屋で串を食べる権利を有している。

 俺には焼き鳥屋で食べる権利がそもそもない。

 ビールが飲めない客は焼き鳥屋からしても迷惑でしかないからだ。


 ここまで書くと、もはや俺は焼き鳥屋を不倶戴天の敵と思っているようである。

 しかし、どうしても焼き鳥を食べたくなるときもある。

 いつものように仕事帰りにスーパーに寄って惣菜の焼き鳥がなかったときなど、恥も外聞もなく焼き鳥屋に入りそうになるくらいだ。


 焼き鳥を食べたいという誘惑と、アルコールは匂いだけでもだめな拒絶感。

 このふたつがせめぎ合う。

 そして、どんなに壮絶な争いであっても、最後には焼き鳥をあきらめるほうが勝ってしまう。


 こうして今日も、焼き鳥屋から足が遠ざかるのである。



 そんないつもの帰り道、偶然学生時代の友人とすれ違った。

 彼は俺のことを憶えていたらしく、親しげに近づいてきた。


「田中、久しぶりだな」


 厄介なことになった。


 そう思ったものの、保科とは学生時分なにかと語り合ってきた仲である。

 無下にするわけにもいかなかった。


「保科、元気でやっていたか? 今なにしているんだ?」

 そう言いながら足は徐々に焼き鳥屋から離れていく。


「いやあ、しがない企業の営業だよ。今日は直行直帰なんで、これから一杯引っかけようかと思って」

 嫌な予感がする……。

「なあ、積もる話もあることだし、ちょっとここに寄ってかないか?」


 案の定だ。


 なぜ社会人は、懐かし話をするときに焼き鳥屋を選ぶのだろうか。

 まるで昭和の発想ではないか。

 それくらいなら唐揚げ専門店でもよいような気もするのだが。

 まあどちらにせよ、アルコールを一滴も受け付けないことには変わりがない。


「いやあ、確かに話したいことはいろいろあるんだけど、俺まだ仕事中なんだよ」

「ってお前、駅に入ろうとしていたばかりじゃないか」

 抜け目がないな。こちらの行動をかなり前から窺っていたようだ。

「このご時世、リモートワークが残っているんだよ」

「うわ、お前最悪な会社に入ったな。退勤したら時間を束縛するなって話」

「うーん。そうなんだけど、いちおう中間管理職だからな。俺だけズルけるわけにもいかないんだ」


「お前、管理職なの? なに、班長とか係長とか?」

「課長だよ」

「すげえな、この歳でもう課長かよ」

 その声には軽い侮蔑も含まれているように感じられた。俺くらいの低能が課長なんて、どんな底辺の会社なんだよ。という意味合いだ。

「そうか。課長なら仕方ないか。で、お前行くんだよな、来月の同窓会」

「同窓会? そんなのあったっけ?」

 保科はあからさまに驚いた顔をしている。

「ちゃんと手紙が届いただろう。高校の同窓会の案内!」

「いや、まったく知らないな」

 あいにくとそんな手紙は届いていなかった。

「あれ、届いてない? おかしいなあ。俺のところには届いていたんだけど……」

 ひとつ思い当たる節があった。


「そうか、引っ越したからだ。会社に近いところへ住んでいたほうが楽だから。そのとき同窓会役員とやらに連絡をしていなかったよ」

「なるほど。そりゃお前の責任だわ。なら俺から出席の意向を伝えてもいいんだけど」

「まあ手紙が手元にあっても、どうせスケジュールが合わないだろうしな」

「出世するのも良し悪しってことか」

「ま、そんなところだな」

 俺は話を打ち切ろうと駅へと歩を進めようとした。

「お前、あとどのくらい時間ある?」

 左手のスマートウォッチを見る。それほどないな。あと一時間でリモートワークが開始される頃合いだ。

「それじゃあ、少しは余裕があるんだな。じゃあちょっと付き合え」

 と言うや、俺を連れて焼き鳥屋の暖簾をくぐった。

「大将、テイクアウトで十本、適当に見繕って包んでくれない?」

 はいよ、愛想よく答えた店主は、程よく焼き上がっていた串を十本プラスチックケースに入れてまとめる。

「これ勘定ね。ここ置いとくよ。じゃあまたよろしくね」

「はいよ。毎度ありがとうね」

 受け取った包みを俺に渡してきた。

「どうせ、お前のことだ。アルコールがダメだから焼き鳥なんて食べたことないだろ? たまには食べに入ったっていいんだぜ。ビールが飲めなくてもな」

 こいつはよく憶えているな。俺がアルコールを飲めないってこと。

「まあ学生時代にアルコールがダメなんてやつはお前くらいしかいなかったからな」

「立て替えた代金、いくらだ?」

「いいってことよ。その代わり来月の同窓会、首に縄をつけてでも連れて行くからな」

「だから仕事の都合がわからないと……」

「なに、同窓会役員の女どもから、お前を呼べないかって聞かれていたんでな」

「返事をしなかったは悪かったよ。引っ越しで住所も電話番号も変わったからな」

「たまには仕事を忘れて昔馴染みと楽しもうぜ。……ちょっと待ってろ」

 鞄を開いてあれこれ探っている。あいかわらず鞄の中身は雑然としている。昔から片付けの要領が悪い男だったからな。

「あ、あったあった。これ渡しておくよ」

「ああ、ってこれ、同窓会の案内状じゃないか。これがないとお前が入れないだろう?」

「いや、忘れてるかもしれないけど、俺も同窓会役員なんだわ」

 受け取った案内状の宛名を見ると、書かれていたのは俺の名前だ。


 つまり、保科は俺を探していたわけか。

 引っ越し先や仕事先など探し回っていたのかもしれないな。

 これは同窓会に出ないわけにはいかないか。

「わかった。この焼き鳥代として同窓会に出席してやるよ。ただ、あまり時間はとれないかもしれないがな」

「かまわんかまわん。どうせ開くなら開始時間くらい人数も多いほうが盛り上がるだろうし」

「それじゃあ、俺はここで失礼するよ。今度の電車に乗らないとリモートワークに間に合わないからな」

「了解。こっちもミッション・コンプリートだ。じゃあ来月楽しみにしてるよ」

「ああ。来月な」

 保科と別れて改札を通り抜けた。

 手には香ばしい焼き鳥の袋が握られている。

 次にヤツと会うときは、焼き鳥を倍返ししてやろうか、などと愉快な企みも覚えた。


 ん? たしか保科も酒が飲めなかったはずじゃあ。



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