KAC20225 きみを祝う心はいつまでも

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

今日は家族の米寿のお祝い


「ねぇお父さん、ベージュってなあに?」


 愛娘のミナの問いに作業部屋で木工細工の出来具合を確認していた隆志は、くすりと笑みをこぼした。


「ベージュじゃなくて、米寿な、べ・い・じゅ」


「どうして八十八歳のお祝いを「べいじゅ」っていうの?」


 ミナが不思議そうに首をかしげる。六歳になったばかりのミナは好奇心旺盛だ。


「それは八十八を漢字で書くと……」


 作業机の上に漢字を書きかけ、途中でやめる。


 この国で生まれ育ったミナは漢字を知らない。


 ミナが生まれた時、妻の有沙ありさとも話し合ったが、おそらく一生使う機会のない日本語は教えなくてもいいだろうという結論に達したのだ。


 ミナがもっと大きくなって、両親のルーツを知りたいとなった時に教えればいいんじゃないかと、今のところはのんきに構えている。


「あら。ミナ、どこに行ったの? お料理を運ぶのを手伝ってくれる?」


 キッチンから有沙の声が聞こえてくる。


「はぁい!」


 ぱたぱたとキッチンへと駆けていく愛娘に続き、隆志も仕上げを確認した小さな木箱を草木染の布に包んで手に持ち、作業部屋を出る。


 キッチンと一続きになっている居間へ行くと、花が飾られた大きなテーブルの上には、有沙が朝から精を出して作ったごちそうがミナによってどんどん運ばれていた。


「俺も運ぶのを手伝うよ」


「そう? ありがとう。じゃあ、大きなお皿をお願い。ミナにはちょっと重いから。ミナは小皿を並べてくれる?」


 有沙の指示に従い、料理の皿を運んでいく。料理上手の有沙が腕によりをかけて作ってくれたおかげで、匂いをかいでいるだけで隆志の腹の虫が鳴りそうだ。


 料理を並べ終わり、テーブルのいつもの席に座ったミナが、きらきらした目で料理を見ながら口を開く。


「今日はすっごいごちそうだね! はやく食べたいなぁ~!」


「だめよ、ミナ。まだお祝いの主役が帰って来てないんだから」


「はぁい」


 いい子に返事をしながらも、椅子に座ると床まで届かないミナの足は、待ちきれないと言いたげにぱたぱたと揺れている。


「もうそろそろ帰ってくるんじゃないか?」


 告げたところで、隆志は玄関扉の向こうに、かすかな人の気配を感じる。


「あ、ほら。帰ってきたみたいだぞ」

「ほんとっ!?」


 ミナの声と同時に、扉が開く。


「おかえりなさいっ、エウリュレーナ!」


 ぴょんっと椅子から飛び降りたミナが、帰ってきた人物に駆け寄る。


「ただいま、ミナ。待たせちゃったかしら?」


 勢いよく抱きついたミナを余裕をもって抱きとめたのは――。


 まだうら若い、金髪の美しい女性だ。


「ううん! いまお料理を並べ終わったところ! あのねっ、すごいんだよっ! お母さんがすっごいいっぱいごちそうを作ってくれたの! ミナもちょっと手伝ったんだよ!」


「まあっ、ミナも? 嬉しいわ。有沙の料理は絶品だものね。それにミナまで手伝ってくれたなんて。どんなごちそうかしら? 楽しみだわ」


 エウリュレーナに頭を撫でてもらったミナが「えへへ~♪」と嬉しそうに顔をほころばせる。


「だって、エウリュレーナのべいじゅのお祝いだもんねっ!」


 るんるんと鼻歌まじりのミナに手を引かれてやってくるエウリュレーナは、とても八十八歳には見えない。


 ……当然だろう。エウリュレーナは長命なエルフなのだから。


 デートの最中に交通事故に遭い、女神から「魔王を倒してください」などという無茶振りをされて、半ば強制的に異世界転移した隆志と有沙が、この世界で最初に出会ったのがエウリュレーナだ。


 エウリュレーナは二人の面倒を見てくれ、右も左もわからぬこの世界について丁寧に教えてくれたばかりか、なんと、魔王を倒す旅にまで同行してくれた。


 遠距離から百発百中で敵を貫く神業のような弓の腕前には、隆志も有沙も、危ないところを何度も助けてもらった。


 魔王を倒し、パーティーが解散となった際には、女性同士ウマが合った有沙が、行く当てがないというエウリュレーナを誘い、隆志と有沙が結婚して新居を構えた今でも、一室をエウリュレーナに提供して一緒に住んでいる。


 もちろん生まれた時から一緒に暮らしているミナはエウリュレーナにとても懐いていて、まるで年の離れた姉妹のように慕っている。


 ……まだ十代にしか見えないエウリュレーナとは、見た目はともかく、実際は八十二歳も離れているのだが。


 ミナに手を引かれてテーブルへやってきたエウリュレーナが、料理を見て目を輝かせる。


「すごい! 今日はごちそうね!」


「デザートには、桃のケーキも用意しているのよ」


「わたし、お母さんの桃のケーキ、だぁいすき! あのねっ、桃の飾りつけはミナもお手伝いしたんだよ!」


 期待に満ちた目で見上げたミナに、エウリュレーナが、


「そうなの? それはますます楽しみだわ。ありがとう」

 と優しい手つきでミナの頭を撫でる。


「でも、すごいわね。いつもの誕生日以上のごちそうじゃない?」


 定位置であるミナと隣の椅子にエウリュレーナが座ると、ミナが我が事のように小さな胸を反らした。


「だって今日は、エウリュレーナのべいじゅの特別なお誕生日なんだもん!」


「べいじゅ? 確か、朝もそんなことを言ってたわね?」


 聞きなれない言葉に小首を傾げたエウリュレーナに、隆志が笑って説明する。


「あっちの世界じゃ、毎年の誕生日の祝い以外に、特定の年にさらに盛大に祝うんだよ。六十歳の還暦とか、八十歳の傘寿さんじゅとか……。傘寿の時はまだ魔王を倒す旅の途中でそれところじゃなかったからさ。まあ、エルフのエウリュレーナにとっちゃ、八十八歳なんて、まだまだ青年期なんだろうけど……」


 隆志は苦笑し、エウリュレーナに向き直る。


「でも、日頃の感謝の気持ちを伝えたいと思ってさ。俺達がこの世界でこうして幸せに暮らせているのは、エウリュレーナのおかげに他ならないんだから」


「そんなことないわよ」


 隆志の真摯しんしな声に、エウリュレーナがあわてたようにかぶりを振る


「お礼を言いたいのは、私のほうだもの。好奇心でエルフの里を飛び出して、ろくに人間と関わらずに一人きりで生きてきて……。そんな私が誰かと家族みたいに幸せに暮らせるなんて、十数年前は考えたこともなかったわ」


「家族みたいじゃなくて、エウリュレーナは家族の一員よ」


「そうだよ! エウリュレーナはわたしの自慢のお姉ちゃんだもん!」


 有沙の言葉に、ミナもこくこく大きく頷く。


「わたしが大きくなっても、ずっと一緒にいてほしいな。それで、べいじゅだけじゃなくて、えーと……。ねぇ、特別な誕生日って、他にどんなのがあるの?」


 ミナに問われ、隆志は記憶を掘り起こす。


「九十歳の卒寿そつじゅとか、九十九歳の白寿、百歳の百寿ももじゅとかかな……?」


 父親の言葉を聞いたミナが、


「他には?」

 と間髪入れずに問いかける。


「だってエウリュレーナは何百年も生きるエルフなんでしょ? 百じゃ全然足りないよ!」


「いや、そう言われてもなぁ……」


 ミナのもっともな言葉に隆志は困って苦笑する。


 人間なら、百歳まで生きられたら万々歳だが、確かにエルフは百寿では全然足りない。


「じゃあ、こうしたらどうかしら?」


 いいことを思いついたと言いたげに、ぱん、と両手を打ち合わせたのは有沙だ。


「百年の百寿ももじゅごとに、特製の桃のケーキでお祝いをするの!」


「わぁ、素敵!」

 弾んだ声を上げたミナが、


「それで、百寿までは何年?」


 と、きょとんと小首を傾げる。ミナはまだ簡単な計算を習い始めたばかりだ。


「初めての百寿は十二年後だな。ミナは十八歳になってるよ」


「十八歳……っ!」


 大人になった自分を想像しているのだろうか。ミナの目がきらきらと輝く。


 この様子では、その次の百寿では、隆志や有沙はもちろん、自分自身も生きていないことまだ理解していないのだろう。


 しんみりしそうになった気持ちを振り払うように、隆志はあえて明るい声を出して手の中の包みをエウリュレーナに差し出した。


「お誕生日おめでとう、エウリュレーナ。これは俺からのプレゼントだ」


 草木染めの布に包まれているのは、先ほど出来栄えを確かめていた、隆志が手ずから作った木製の小箱だ。


「エウリュレーナのリクエストで作ったが……。こんなのでよかったのか?」


 田舎に近い小さな町で暮らしているものの、隆志も有沙もエウリュレーナも、魔王を倒した褒賞として、かなりの金銭を持っている。


 だが、隆志にプレゼントの希望を聞かれたエウリュレーナがリクエストしたのは、木工細工が趣味の隆志が作る木箱だった。


「うん、これがいいの」


 包みをほどいたエウリュレーナが、木箱を見て目を細める。


「ずっと大切に使えば使うほど、味わいが出てくるもの。この木箱は私の宝箱にするの。大切な思い出をずっとしまっておけるように……」


 隆志と有沙が永遠にエウリュレーナと暮らしていけないのを知っているように、エウリュレーナもまた、心の内で覚悟を固めているのだろう。


 いや、のこされる身である分、隆志達よりきっとつらいはずだ。



 どうしようもない寿命の差を嘆くことなら、いくらでもできる。


 けれど、いつか色あせて想い出の彼方におぼろげになるとしても、一緒に過ごした幸せな記憶は心の底に積もり続けるだろうから。


「さあ、冷めないうちに食べましょう! でも、その前に」


 有沙の声に、隆志もミナも満面の笑みをエウリュレーナに向ける。


「「「お誕生日、おめでとう!」」」


「ありがとう。隆志、有沙、ミナ」


 エウリュレーナもまた、嬉しくてたまらないと言いたげに口元をほころばせる。


「いただきます」


 と、すっかりこの家に根付いた食前のあいさつをして、四人はフォークへ手を伸ばした。


                             おわり


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