【 #KAC20225】88歳の狙撃兵

高宮零司

第1話 ハーキウの死神

「ロージナの兵士諸君、偉大なる祖国へ忠誠を捧げよ!」


そう言って演説中の将軍が手を振り上げた瞬間、踏み潰した柘榴のように将軍の頭が爆ぜた。


「狙撃されているぞ!」


急げダヴァイ急げダヴァイ。亀のように伏せろ!頭を上げるな!」


「撃て、あそこだ!」


 ウーラナ共和国人口第二位の都市、ハーキウ(ロージナ帝国後ではハーコフと呼ぶ)に突入する直前。


 士気を高揚させるべく演説を打とうとしたロージナ帝国の将軍は既に事切れていた。


「阿呆が、こんな場所で演説するなんて狙撃してくれと言わんばかりだ」


 ロージナ帝国兵の一人が、大地に伏せながらぼやいた。


「それぐらいにしておけ。督戦隊に後ろから撃たれるぞ」


 同郷の友人に警告され、その兵士は渋い顔をする。


「クソッタレ、あれが『ハーコフの死神』なのか」


 同僚の忠告を無視しつつ、その兵士は呪詛の声を上げ続けた。



「次は、カツラ・ケイシロウね。88歳だと?本気で義勇兵に志願する気かね、日本人」


 ウーラナ軍義勇兵募集事務所の若い青年は、怪訝そうな顔で提出された履歴書を眺める。


「若いの、ワシは40年ほど軍隊におった。そして、今も現役の猟師でもある。狙撃の腕は落ちてはおらん」


 老人の鋭い眼光に、若者は気圧される。

 正確な発音の英語はウーラナ人の青年にも聞き取りやすかった。


「孫娘の婿を戦場にやる訳にもいかんのでな、頼むよ」


「そう言われましてもね……さすがに年齢を考えると後方勤務になると思いますが」


「どんな場所だろうが、採用してくれれば文句は言わんよ」


「はあ、一応書類は上に上げておきます。採用になるかは断言できません。本当にいいんですね?貴方くらいの年の日本人が戦場へ行くなんて正気じゃない」


「構わんさ、婿殿を戦場にやるよりはマシだ」


「命中!また命中だ!じいさん、あんたイカれてるよ。標的まで2000メートルはあるんだぜ」


「相手が動かんからな。ヒグマに比べれば容易過ぎる」


 元自衛隊員にして最近までの職業は猟師、今はウーラナ共和国外国人義勇兵である桂敬史郎は事もなげにそう言った。


 北海道の山野で日々野生動物たちを相手にしている桂にとって、小さくはあるが動かない標的の狙撃は容易だった。


「それで、このままワシを後方に止めておくかね?それとも前線に置くかね?」


 義勇兵コーディネーターである青年は、悩ましいといった顔で思案する。


「確かにその腕は惜しい。だが、我が軍は正直苦戦している。下手をすれば激戦地の首都キーフかハーコフへ送られるぞ、いいのかじいさん」


「構わんさ、孫娘が生んだ曾孫もこの手で抱いた。思い残すこともさほどないからな」


そう言って凄みのある笑顔を浮かべる爺さんの顔を見ると、青年は何も言えず書類に桂の戦績をメモした。



「ぼやぼやするな。すぐに場所を移動するぞ」


 砲撃で穴だらけになった廃ビルの屋上から、ロージナ帝国軍の将軍の頭を吹き飛ばしたハーコフの死神―桂はスポットマンを務めるウーラナ人青年を叱咤する。


 彼が肩に担いでいるのは、どういう経緯か日本製の猟銃であるM1500だった。  ウーラナ警察経由で義勇兵部隊にも提供されているものだ。


 かつて猟銃として同社の「黄金熊」銃を使ったことのある桂が、狙撃用にと希望したのだ。


「分かってるよ、じいさん。しかし、すげーな爺さん。あそこまで3000メートルはあるんじゃないか?」


 ウーラナ人青年はカタコトの英語でまくしたてる。


「興奮するな、坊主。冷静に行動しろ。すぐにロージナのヘリが来る」


 そう言いながら走り出した桂に慌てて追いすがりながら、青年はすぐ文句を言う。


「アンドーリィだ、俺の名前。いい加減に覚えてくれ」


「アンドレ、さっさと走れ」


「フランス人かよ!アンドーリィだ!」


 大声で文句を言うアンドーリィ青年に桂は手に指をあてながら睨み付ける。


「死にたいのか。静かにしろ」


「分かったよ、じいさん。だが名前は覚えてくれ」


「分かった、アンドーリィ」


「言えるじゃねーか…まあいい」


 それから十数分徒歩で移動した彼らは、隠してあったトヨマル日本製ピック

アップトラックでハーコフ市街地中心部の陣地へと移動を開始した。


「なあ爺さん。何であんたはこんな地球の裏側で戦う?」


「孫娘の婿殿がウーラナ人でな。だが足に障害がある。それでいて祖国へ戻って戦うといって聞かない」


「だから爺さんが代わりに義勇兵へ?イカれてるぜ」


「ああ、そうかもな。40年軍隊にいたが、人を撃ったのはこの戦争が初めてだ」


「マジかよ、実戦は初めてなのか。日本は平和なんだな」


 そう言われて桂はあいまいな笑顔で答える。


「…だが、感謝する。あんたが来てくれて、このハーコフにも少しは希望が見えてきた」


そう言って握手を求める青年に、桂はかぶりを振る。


「俺の親父はシベリアに抑留されていてな。第二次世界大戦の後の話だ。結局、遺骨も帰ってこなかった。今のロージナ人は憎くはないが、ロージナという国には恨みがある。そして、婿殿の国の敵国でもある」


「だから殺せる、と?」


「そういうことだ。アンドーリィ。お前はこの戦争でずっとスポットマンをしていろ。手は俺が汚す」


「バカを言うな、爺さん。俺だって…」


「いいから任せておけ、坊主。そいつが老人の責務という奴なんだ」


 そう言って悲しそうな眼で笑う日本人のことを、アンドーリィ青年は複雑な顔で見つめた。


 今の俺には分からないことなのだろう。


 だが、いつかは気づくことができるような気がした。


「さあ行こう。まだまだ戦いは続く」


 陣地を警戒する友軍兵士に敬礼しつつ、桂はトラックのアクセルを踏んだ。

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