88まで生きる約束

柴チョコ雅

第1話 88まで

 私の母は102歳で亡くなった。父は83歳。祖母は92歳。大酒飲みだった祖父を勘定から除けば、長生きの家系なのだと思う。


 孫が8月18日に生まれた時には88歳までは元気に生きられるっていう縁起担ぎだなんて言って「米ちゃん」ってあだ名をつけてからかったりした。それはまだ、長生きに希望があったから。

 

 78歳のこの冬に1番下の弟を69歳でその1ヵ月後に妹を73歳で相次いで癌で亡くした。


 私は姉だから、先に死ぬと思って生きて来たのに。癌を告知されたと聞かされても、お見舞いもままならず、スマホのメールを使いこなせない私は闘病中の会えない弟妹にひたすら手紙を書いた。それしか出来なかった。


 家付娘いえつきむすめの母が死ぬまで気にしていた実家は無人だ。農地解放で没落した家をどうにかするために関東で起業した婿であった父と家から離れる気のない母は何十年も別居婚をしていた。父は会社を手伝う息子(長男)家族と関東でくらしていたからだ。私と妹も田舎から出て嫁いだ。1番下の弟は大学進学で関東に出てそのままそちらに就職して家庭を築いた。会社を引退してから父と母は10年ほど一緒に暮らしていたが、仲の悪い夫婦だった。


 兄は父が引退した後の会社を切り盛りしていたから、父と母を私と妹弟で遠距離介護した。そして見送り、その後無人と化した家を維持し続けるのは大変であった。介護が終わったのに家の維持のため代わる代わる新幹線に乗って通った。母が自分の遺したお金を使い切るまで家を残すようにと言って死んでいったから妹弟と相談しながら頑張った。そのいわば戦友であった妹弟が先に死んでしまったのだ。


 そして兄が電話で、アルツハイマーの診断が下ったと言ってきた。


 本業が事務方だった弟は母が遺したお金を管理していたが、癌が告知された後「早く姉さんの名義にしろ」と言って通帳を送りつけてきた。しかし行動に移すより早くあっけなく弟が亡くなった。そしてお葬式の日、参列客の前で弟の嫁と子ども達に泥棒呼ばわりされ罵られ、連日の3人がかりの罵倒の電話に耐えきれず私はその通帳を明け渡した。


 妹は「姉さんの判断が1番正しい。姉さんの思うとおりにして。ごめんなさい。」そう言い残して死んでいった。


 実家どうしよう。


 来る日も来る日も泣いている。泣きながら、出す宛てもない手紙を弟妹に書いている。


 雪深い私の実家は古びて、無駄に広い畑付きの庭は維持が大変で名義も複雑に絡み合って売買が困難だった。何より死ぬまで

妹弟が売りたがらなかった。


 境界にある桜の木が病気にやられていてこのままでは隣家に迷惑をかけるから切らなくてはいけないと話し合ったのは昨秋のことだ。弟はもうかなり弱っていたのかもしれない。


「まだ大丈夫だ。今度咲くまでは切らないでやってくれ、あの出っぱった部分だけは俺が切るから」


と言って脚立を取り出し登って切ることも上手く出来ず、落ちてケガをした。血がなかなか止まらなかった。


 そんな事をつらつら思い出しながらまた泣いているとインターホンが鳴った。


「ばあば!」


 幼稚園の年長さんになった米ちゃんだった。近くに住む三女の真奈美が


「良太が学校で怪我しちゃって病院に連れて行くの。めぐみ(米ちゃんの本名)預かってて。」


せかせかと要件を言うと行ってしまった。


「ばあば!めぐはおやつもってます!」


 米ちゃんは斜めがけにした私が作ってあげたポシェットを持ち上げて見せてくれた。全く真奈美はこの老いぼれを相変わらず保育園がわりにしてる。と少しため息をこぼしながら、


「こっちで、ばあばに見せて。何持ってきたの?」


勝手知ってる我が家の洗面所で手を洗うとリビングに米ちゃんはトコトコと入っていった。


「ばあば、また泣きながらお手紙かいた」


リビングのテーブルを見て米ちゃんが言った。


「あらっ、なんで分かるの?」


「ママがね、ばあばは妹と弟が死んで、泣きながらお手紙書いてる困ったって言ってた。これ、誰に書いてるの?」


真奈美め。余計な事を子どもの前で。


「ばあばの妹と弟に書いてるの」


本当の事だ。すると、まつ毛ぱっちりの二重の目をクルクルさせて米ちゃんは、


「死んじゃったのに?どうやって出すの?」


と聞いてきた。


「ばあばも、もう歳だから、すぐに死ぬからその時渡すの。」


一緒に棺に入れて貰おうかしらと本気で考え出していると、


「ばあばは、あと10年生きるってこの間言ったよ。」


「えっ?」


「78さいのお誕生日に、米ちゃんがいるから88さいまでは生きるって。ま、私はめぐだけどね。」


 1月の私の誕生日の時はまだ、妹弟は生きていたから、そんな事言えてたのだ。今は寂しくてすぐにでも何もかも放棄して逝ってしまいたいぐらいだ。


「じいじどこ?」


旦那は今日は図書館に遊びに行ってるはずだ。


「じいじは図書館に行くって」


「じいじもだめねー。かなしむおくさんほっといて出かけるなんて」


米ちゃんのおませさんが炸裂し始めた。


 それからお菓子を食べてお絵描きをした。捻挫だった良太くんを連れ帰った真奈美に手を引かれて米ちゃんは、


「ばあば、私のおまじないの絵みてがんばるのよ。」


と言って帰って行った。


 テーブルにはカレンダーの裏面に家と桜と人が明るい色づかいでクレヨンで描いた絵が置いてあった。米ちゃんいわく、ばあばの生まれた家にいるばあばと妹と弟らしい。


「これで、ばあばさびしくないから」


米ちゃんはそう言ってた。そうだね、米ちゃんが困らないようにばあばは、あの家をなんとかするよ。それだけはするか。


 まだ時々泣きながら、妹弟に手紙を書いてしまうけど、旦那の助けを借りて、あの家を売るか貸すかできないか動くことにした。あと10年は生きなきゃいけないらしいからね、米ちゃん。







 

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