Epilogue

Epilogue

 マーブル・ホーネットの事件から二週間が経過した。

 戦闘ヘリが空を飛び、暴動が誘発され、港湾地区では神代の怪物が一時的に受肉したというのに、街は直後から普段の活気を取り戻し、ヴァルプルギスの夜のイベントも例年と変わりなく行われた。

 行政やRCIが事後処理に尽力したというのもあるが、やはり、フロンティア合衆国――ひいてはこのロサンゼルスではこの程度の騒ぎ、日常茶飯事なのだ。

 だが、普段ならば一週間もすれば忘れるような事件の中で、依然として世間の耳目を集める事柄があった。

 その去就を見守るべく、連邦裁判所には、大勢の報道陣や野次馬が詰めかけている。

 彼らが注目しているのは、今現在法廷の被告人席に立っている少女、クローディア・メルヴィルだ。罪状は、神代の系譜の能力の暴走による、軽度の魔術災害の発生と、殺人未遂。

 普通なら、未成年であっても大人と同じ罪状に問われ、無期懲役は免れ得ないが、彼女の境遇や、そこに至るまでの過程から同情的な意見が殺到、何より被害者であるジェフリー・バックマンが法廷侮辱罪スレスレの減刑嘆願書を何通も提出していた。

 半面で、有色人種や亜人への人権意識が高まる中で、神代の系譜へのそれはまだまだ薄い。

 人々は、人権派も反神代の系譜主義者も、この裁判を固唾を飲んで見守っていた。

 やがて、裁判所の正面玄関が開かれ、裁判を傍聴していた報道陣がかけだしてくる。

 そこに続いて悠然と歩いてくるのは――

「どーもー! RCI社長、クリスチャン・ローゼンクロイツでーっす!」

「どーもー! RCI実働部部長兼取締役、カズィクル・ベイでーっす!」

 アホ面で元気に満面の笑みを浮かべたロサンゼルス一番の人格破綻者と、やけくそ気味にそれに乗っかる真祖であった。



「うわぁ・・・・・・」

 控え室にしつらえられたテレビを見ながらクローディアは思わず顔を引きつらせる。

 クリスが報道陣のマイクを奪って、カメラを掴みながら地元出身のラッパーのマスコミ批判が主題の曲を熱唱し始めたのだから、当然の反応だろう。ご丁寧に放送禁止用語は口パクだ。

 ちなみに、真面目にクローディアの処遇について話そうとしているカズィにはどこの会社もカメラを向けようとはしない

「覚悟してください。あのドブがこれから先、あなたの上司になるのです」

 ニコールは言いながら、クローディアに封筒を手渡す。

 テレビでは、歌う曲をマスコミ批判のパンクロックに切り替えたクリスがカズィの腕をギターに見立ててはしゃいでいた。今度は放送禁止用語をシャウトしたが、言い切らないうちに映像はスタジオに切り替わり、司会者が「いやあ、ローゼンクロイツ社長は相変わらずですねえ・・・・・・」と苦笑いをしていた。

 それに対し露骨に大きな舌打ちをするニコールに、クローディアは苦笑いを浮かべて封筒を受け取る。

「これが?」

「ええ、未成年魔術犯罪者保護養育制度に関する諸々の書類です。本社に着き次第、精読してサインをお願いします。ジェフリーさんは、禄に読まなかったようですが・・・・・・」

 クローディアに課せられた刑罰は、未成年魔術犯罪者保護養育制度に基づいて、RCIにて一八歳まで魔術の修行とホームスクーリングを受けるというものであった。

「眼鏡の調子は?」

「新しいのいい感じ。ありがとう」

 その言葉に、ニコールは一瞬目を見開き、そして――彼女にしては恐ろしいほど珍しく――優しく微笑んだ。

「そうですか。それはよかったです」

「どうしたのニコール。何かいいことあった?」

「いいえ。ですが、あなたの変化が喜ばしくて」

「なにそれ? 変なの」

「そのうちわかるようになりますよ。では、行きましょう」

 ニコールに伴われて、クローディアは部屋を出る。

「この後はどうしましょう? 本社に直行しますか? それとも――」

「ジェフは・・・・・・?」

 拘留期間中、事件についての取り調べや今後の対応についての話し合いはしてきたものの、モデルケースの少ない事件故に自分の関わらない事柄をあまり聞くことはなかった。

「命に別状はない、以上の話は知らないのでしたね?」

「うん・・・・・・」

 クローディアの表情が曇る。

「大丈夫ですよ。メドゥーサの魔力に犯された手足は、既に魔術毒の除去が終わっています。今日の午後には退院して、後はリハビリ次第ですが。まあ、体を動かすことについて、彼を心配する必要はないでしょう。ですが、本社に行く前に少し寄っていきますか?」

 その答えに、クローディアは安堵の溜息を漏らす。

「うん。ジェフには、一度会っておきたいの」

 命だけでなく、自分の意識でここに立っていられるのは、自分は自分として生きていていいと思えるのは、間違いなく彼のおかげなのだ。

 それに、なにより、伝えそびれたこともある。

「そうですか。では、お昼を食べて、それから病院に向かいましょう」

 やがて二人は裁判所の裏口にたどり着く。ニコールはドアノブに手をかけて言う。

「ではクローディアさん、ようこそRCIへ」

 ドアが開かれる。

 ロサンゼルスの強い陽光に一瞬目がくらむが、ゆっくりと目が慣れてくる。

 これからは、この陽光の中を生きて行く。皆が自分にしてくれたことに報いることができるのか、その日が来るのかわからない。それでも、そのときのために魔術を――メドゥーサを制御する術を学び、活かしていくことは、そう望むことは決して間違いではないはずだ。

 それを教えてくれた、その勇気をくれたジェフに、改めて感謝を覚える。

 病院に着いたら、どんな話をしようか。そんなことに胸を膨らませながら外に出る。

 雑踏もまばらな外の空気を胸いっぱいに吸い込んで、ふうっと吐き出す。そして、正面を見据えて口を開く。

「なんで、ここにいるの・・・・・・?」

 彼女の目の前、パーキングメーターに泊められたニコールの車の前には、電動車椅子に乗ったジェフと、苦い顔で目をそらすハンコックがいた。

「心配でさ、来ちゃった」

 クローディアのいろいろな思いをぶち壊したことなど露も知らないバカの満面の笑みに反比例して、その師匠の眉間のしわが深くなる。

「私も説明を聞きたいところですね。お二人とも、退院の予定は午後では?」

 ニコールが冷たい目でハンコックを睨めつける。

「俺もかよ! いや、俺は予定が早まったんだよ。検査も全部終えてちゃんと退院したんだ。手続きを終えたら――」

「ジェフリーさんを逃がしたと?」

「ちげぇよ! 家に帰ろうとしたらこいつが電動車椅子奪って脱走したって聞いて追いかけてきたんだよ!」

「あなたなら止められたでしょうに」

「いや、俺もリハビリ必要でさ・・・・・・。 今下手に魔術使ったら殺しかねねえし・・・・・・」

 二人の会話をどう解釈したのか、バカは元気いっぱいに言う。

「やってやりました!」

 ハンコックは魔術を使わずジェフの頭をひっぱたく。

「うるせえ! お前は病院をなんだと思ってやがる! 二回も脱走しやがって!」

 バカが「あいたぁ!」と叫ぶ様子に、クローディアは脱力する。ついで恨み言を口にする。

「その慎重さ、エリックと戦ったときに見せてほしかった・・・・・・」

「ぐほぉ! お、俺に言うなってんだよぅ・・・・・・」

 エリック戦での油断を、保護対象だったクローディアに突きつけられ、ハンコックは涙声で膝か崩れ落ちる。

「そもそもあなたも前科があるでしょうに・・・・・・。とはいえ、言いたいことはクローディアさんが言ってくれましたので、ジェフリーさん?」

「は、はい・・・・・・」

 ニコールの氷のような声に、ようやくバカは自分のやらかしを自覚する。

「とにかく、あなたはすぐに病院に戻るように」

「いや、もう大丈夫なんですよ? ぎこちないですけど、手足も動きますし・・・・・・」

 ギクシャクとしてはいるが、ジェフは魔術毒を受けた左腕と右足を動かして見せる。

「自分でちゃんと歩けない内は無事とは見なされません。はあ・・・・・・」

 バカの独自理論にあきれて溜息をついて、ニコールはクローディアを見やる。

「クローディアさん、初仕事です。このバカを病院に送ってください。私は、先に行って待っていますので」

「うん、わかった・・・・・・」

 ニコールの物言いに、ジェフは傷ついた様子で言う。

「えっ、ひどい」

「何もひどくありません。社長のように頭を吹き飛ばされないだけありがたく思ってください。――クローディアさん、スマホを」

 ニコールは現在地から病院までのルートを地図アプリに入力する。

「これで、大丈夫です。もしわかりにくければ、ジェフリーさんに聞いてください」

「うん。わかった」

 クローディアは頷いて、画面を見ながら歩き出した――しかし、ジェフがついてこない。振り返ると、電動車椅子のレバーを倒しながら、「あれ? あっれ~?」などと言っている。

「どうしたの?」

「バッテリー切れちゃった・・・・・・。ごめんクローディア、押して・・・・・・」

 あまりにもバカすぎるお願いに、色々ぶち壊しになったのを軽々通り越して、クローディアはこんなのに救われた自分がひどく情けなく思えてきた。



 ジェフの車椅子を押して、ロサンゼルスの街を歩く。

 人も亜人も、誰もが当たり前の日常を生きて笑って、泣いて、過ごしている。まだロバート以外にあったこともないけれど、おそらく、神代の系譜も。

 道中、クローディアはジェフに判決の内容を話した。今こうして町中を歩いているのだからわかりそうなものだが、ジェフは大げさに思うほど喜んでいた。そういうポーズを撮って見せたのか、それほど嬉しいのか、本当にわかっていなかったのか、彼の場合はわからない。

「でも、少し怖い・・・・・・」

 ぽつりと、クローディアは口にした。

「いつか、あの頃を思い出しそうで・・・・・・」

「それは、僕も一緒だよ」

 予想外の言葉だった。

「やっぱり、アルターエゴを制御できるようになったからって、僕が弟を傷つけた事実は消えない。家族に向き合うのは、やっぱり怖いよでも――」

 ジェフは振り返って、クローディアの目を見る。

「いつかは向き合うしかないんだ。それがいつ来ても言いように、やれることをやるしかないんだって、今回気付かされたよ」

 その言葉に、クローディアは頷く。

「うん」

「だからさ、一緒に頑張ろうよ、クローディア。お互い、やっかいな状況にいる者同士」

 勇気なら、既にもらった。それでも心細さは抜けない。それでも、ジェフは「一緒に」と言ってくれた。そんな言葉をかけられたのは初めてだった。

 そして、誰かがそばにいてくれると言う実感を得ること自体も。

「そうね」

「うん、そうだよ。」

「ねえ、ジェフ――」

 クローディアは彼にもらったものを再確認して、言えずじまいだった言葉を口にする。

「――ありがとう」

 彼女の顔には、おそらく人生で初めての笑みが浮かんでいた。


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Shamrock/Alter Ego 水無 睡蓮 @greylotus0374

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