ふたりのはじまり(三)
「これは……?」
若々しいクロドと美しい巻き髪の女が間隔をあけて、踊るふりをして向かい合っている絵だ。一見ふざけた絵面だが、互いに触れようとする手に熱を感じて、なぜか胸がしめつけられた。
裏返せば走り書きで、
──我が愛しのジュリアナ・スプリングフィールド
と書かれている。
「ジュリアナ……、スプリングフィールド……」
字の癖が宿泊名簿と重なり、ふたたび広げ直した。
「……ジュリアナが、勇者の末裔と婚約するらしい。やはり運命は、避けられないのだ。彼女が幸せになれるなら、かまわない。それでも、一度でも触れておけばよかったと悔いる俺は、やはり未練がましい男だ。おしぼりを渡すとき。靴を履かせるとき。部屋を出るとき、君の手をとることができたら」
クロドが貸し出したおとぎ話を思い出す。
勇者ユートに恋をして、闇に堕ちた秋の魔女は、触れるものすべてを枯れさせた。
クロドは言った。
前世は愛し合っていたが、互いに触れることができなかったと。
最後のページをめくる。
「……俺は、ジュリアナの言葉を信じる。来世はかならずノワ・クロドと結ばれるよう、願い叶えると、彼女は誓ったのだから」
ジュリアナは急に手の力を失い、宿泊名簿をラウンジの床へ落とした。束ねていた紐がほどけ、クロドの書きためた紙が派手に散らばる。ぐるぐると回る記憶に目眩を起こしながらも、とある一文に目が止まった。
──俺だけの、カナリア。
「────ぁ、あ」
瑠璃色の瞳が涙でにじむ。
ジュリアナは、あふれだす前世の記憶に、涙を流した。
思い出した。
あのお方は、私のことをカナリアと呼んだのだった。
実りの秋の魔女でありながら、枯らすことしかできなくなった前世──、人の寄りつかない欺瞞の森に逃げ隠れた私は、森のすべての生を奪い、褐色に染め、泣き叫んでいた。その涙が泉に流れると、水のなかの生き物が死に絶え、水を飲んだ動物や人をも殺した。
死界と化した森に足を踏み入れることができたのは、すべてを凍らせる冬の魔女ブランシェただひとり。
ブランシェは私を氷漬けにして担ぎ上げると、お前が探していた女だよと、あのお方の前へ差し出した。
あのお方──魔王様は、氷を溶かして私の手をとった。触れれば枯れる、その手を。
あどけない少年の笑みで。
──空から見えたんだ。鮮やかなカナリアが一羽、震えているのを。君だったのだね。
枯れ枝のようになった腕をそばにいた弟のバルドレンが慌てて治癒したのを、よく覚えている。
ふたりが惹かれ合うことは、必然のようだった。
でも私は、魔王様に愛を囁かれるたびに、絶望した。勇者と春の魔女のように、魔王様と肉体的に結ばれることはない。添い遂げられることができないとわかっていたから。私がその想いを告げると、魔王様は笑いとばした。
俺はジュリアナしか愛さない。触れることができなくとも心がつながっている限り、ふたりはひとつ。今世が難しいのなら、来世で添い遂げればいいじゃないかと。
私は誓った。
来世でかならず、魔王様と結ばれることを。
魔王様により近づけるよう、冥界とつながりの深い、闇の魔法使いの血胤に生まれ変わることを。
それでも魔王様は、私の実りの能力を取り戻せないか、ずっと探していた。
世界に四季を甦らせることを、諦めていなかった。
冥界神は首を横に振った。
花を枯らせる秋の魔女には永遠、実りは訪れない。
ただ四季が欲しくば然るべき人間へ、春の魔女の涙を授けよと命じた。
魔王様は、勇者を選んだ。
世界を壊した人間が、世界を再生すべきだと。
魔王様は、春の涙を取りにスプリングフィールドを訪れた。春の魔女はひとりで赤子を育てることに疲れ果てていた。
春の魔女は、赤子を育てることを条件に、春の涙を差し出した。
魔王様は、勇者へ春の魔女の涙を預けに、世界樹へ向かった。
四季が戻るのなら自分は冥界に戻り、二度と人間界へは影響を及ばさないと約束をして。
だが世界樹で待っていた勇者ユートは、魔王様の腕のなかに赤子をみつけると、心を狂わせた。
自分だけが正義だと信じ聖剣を振るう勇者は、強かった。
ブランシェはあっという間に手足を切られ、封印された。
魔王様はブランシェを助けようと剣をふるったが、魔王の死を恐れたバルドレンの転移魔法で逃げ馳せた。
ひとり残された私は、切り取られたブランシェの手の魔力で凍らされた。
勇者ユートは、私の名を呼んだ。
ジュリアナ、君のことを愛していたのに。と。
笑いながら、凍った私を枯葉のように砕いたのだった。
魔王様──クロドこそが、復讐に手を染めることはなかった。
私との誓いを護るため、破壊を拒んだ。
勇者のふりかざす正義すらも見届けたのだった。
「あーあ、こんなに散らかしちまって……」
名簿を読みこむジュリアナを静かに見守っていたクロドは、床に散らばった紙を恥ずかしそうにかきあつめた。
「クロド」
「ん?」
「わたくしの名を、呼んでくださる」
「んー、どうした? ミ、セ、ス・ジュリアナ」
戯けたように言う、その発音に胸が詰まる。
私は、勇者に踏みつけられたあのとき、来世は私の名前を、クロド以外に決して呼ばせたくないと、強く思った。
クロド以外、名前を呼べない呪いをかけたのは、私自身だったのだ。
「弟の末裔にまで呼ばせないなんて……、ほんと、わたし」
「バルドレンの? アドリアンのことか、まだ元婚約者のことが気になってんのかよ」
森でクレマンに諭されたアドリアンは今、クッションごとクレマンを引き取り、日夜ジュリアナを想いながらバルドレン王国の再建に勤しんでいる。
「……どうして、クロドは弟さんに、王国を築かせたのです?」
「そりゃあ、闇を司る魔法使いの血胤を護るためだろうがよ」
魔族である弟の血を交えることで、グレイ公爵家は未だ千年前の魔力を保ったままだ。
「お前のためだけじゃないぞ? 冥界神様の希望でもあったしな」
「この船もまた、イヌビス様の所有物なのですね」
「ああ。勇者に世界を託したはいいが、その末裔と魔女が絡むと、いつの世もよからぬことが起こっちまうからな。俺は元魔王として魔女を保護する責任を負っている」
「だから、悪役令嬢の御用邸」
「見張り番みたいなもんだよ。お前みたいに世界を枯れ果てさせるような魔女は、もう二度とごめんこうむる」
厳しいことを言いながらも、床へ微笑む。
ジュリアナは紙をひろうその手を取った。
「はっ!?」
「わた、し、……わたし、ね?」
最初からわからなかった。
バケーションハウスの支配人、クロドは口が悪く、粗暴な男。客の前で煙草なんてあり得ない。一度は世話になっても、二度目はない。受付へ歩を進めたりなどしない。
淑女として当然の反応をしたはず。
だが、私は前へ進んだ。
二度も、三度も。
クロドの口の悪さは、彼の地を見ているようで、嬉しかった。
眉間に寄せた皺に愛着がわいた。
煙草を吸うときにふせるまつ毛が綺麗だと思った。
密室でふたりきりになることに、ためらいがなかった。
食事以外なら、部屋で煙草を吸うことを許した。灰皿の吸い殻も片さなかった。その香りが、嫌じゃなかったから。愛おしく感じたから。
水の魔法使いのアイラに、必要以上に強くあたった。
クロドの手に触れたアイラに嫉妬したのだ。
クロドがディアナの手をとったときも、上書きするように自分もディアナへ手を重ねた。
何度も。何度も。
「わたしも……っ、クロド、あなたを愛しているの」
「あぃ!?」
「今気づいた。ほんとうは、ずっと前から──、……クロド?」
つかんだ指に力が入らない。うつむいたままのクロドの顔を覗きこむと、目をむいて気を失っていた。
「クロド!? どうして……っ、まさか、煙草の吸いすぎ?」
左手に煙草の箱が握られている。もしかしたらいつも吸っている煙草には、タールに魔法が込められているのかもしれない。ジュリアナはパッケージに書かれた効能欄を読んだ。
「鎮静効果。心拍数を下げる。平常心を保つ。……は?」
心臓病の薬だったようだ。
いや、そんなわけがない。心臓はよくなっても肺は悪くなる一方だろう。
そもそも元魔王が心臓病って。
ジュリアナは、念のため手首の脈をとった。
はやい。
効能が真実なら煙草を吸わせたほうがよさそうだ。
ジュリアナは煙草を一本、クロドの口にさすと、闇の炎を灯した。
「ううーん、うん!? まずっ、なんだこれ!?」
「闇の炎ではダメでしたか」
「ジュリアナ!? ……なっ、なに、触っ、やめろ!」
思いきり手をはらわれた。
「どうして!? クロドはわたくしに触れることを、千年待ち望んでいたのではないの!」
「だ、だから、心の準備がいるんだって!」
「では今すぐ準備をして。何秒? 何分待てばいいの」
「一年」
カチンときたジュリアナはクロドの頬に、音をたてて唇をつけた。
「……は?」
クロドは顔色を赤ワインのように赤黒くさせ、卒倒した。
ラウンジに流れるジャジーな音楽に、赤子の元気な泣き声が重なったのだった。
終わり
ヴィラン・バケーションハウス〜悪役令嬢御用邸〜 紫はなな @m_hanana
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