ふたりのはじまり(二)
「わたくしだって未来の出産のため、立ち合いたいのに!」
「それよか父親の具合はどうだ?」
煙草に火をつけながら尋ねる。
ディアナのお腹の子の父親は、ヘルトユート王国第三王子アスランだ。先日、ジュリアナの実家の城の建つ、欺瞞の泉に流れついた。
再生の泉から生まれた浄らかな水は、よくないものだけを欺瞞の泉へと流し落とす。
ちなみに第二王子ハーロルトはひと足先に二度目の来訪を果たし、ビアンカに会える日を正座で待っている。
「具合と言われましても、おふたりとも牢獄に押しこんだあとのことは、存じませんの」
「さあっ、て。アスラン王子には赤子をしっかり認知してもらって、きっちり搾取しなくては」
「あら、わたくしが直談判してよろしいの」
「お前がしなくて、誰がするんだよ。シリルか? あの強面じゃあ、ほんものの脅迫になっちまうだろうが」
「話すうちに打ち解けてしまったら?」
デニッシュを口に運びながら淡々と言う。
「ジュリアナと、王子が?」
「魔女と勇者は互いに惹かれ合う運命なのでしょう? クロドはそれでいいのかしら」
「そ、それは」
クロドは煙草を一本増やすために顎を下げた。
ジュリアナはその動作を肯定と認識した。
「はぁ──、これではっきりしましたわ。あの日クロドが妻となれと言ったのは、あの場だけの口実。やはりわたくしは、ただの従業員でしたのね」
「口実? そんなわけないだろう。ジュリアナは正真正銘、俺の、つ、妻だ」
「妻? おともだちの間違いではなくて」
「ぜったい、誰がなんと言おうと、ジュリアナは、俺の妻だ!」
子どものように駄々をこね、もう一本煙草を増やす。
従業員だと、あっさり認めると思っていたのだが。
いつも飄々としているクロドの態度の大きな変化に、ジュリアナは戸惑った。
「ではなぜ未だにわたくしの部屋がないのです。朝来て、夕方帰る。わたくしたちは立派な雇用関係ではないですか。それとも、通い妻だとでも仰るの」
「通い妻……!」
刺激の強い言葉に煙草がもう一本増える。
「いや、それに関してはすまない。俺の身が持たない」
「クロドの身が? わたくしが、宿泊客より足手まといだとでも」
事実、紅茶代は嵩んでいる。
「経費不足でしたら、どうぞこの指輪を売って」
「触れたら錆びる指輪を? 売れるか! 俺は元魔王だぞ、汚れた資産なら腐るほどある」
「だったら、どうして!」
カウンター越しに詰め寄られ、クロドは覚悟を決めた。思いきり煙を吸い上げ、三本の煙草を根本まで焼く。
「ジュリアナ」
「なあに、クロド」
「俺は、お前だけを愛し続けてきた。千年、ずっと」
「千年……?」
「ああ、そうだ。千年前、前世のお前は秋の魔女だった」
秋の魔女──。
おとぎ話しのなかで、勇者に選ばれず、勇者に殺された悲運の魔女だ。
「千年前、俺とお前は、愛し合っていたんだ」
「はぁ」
「だが枯渇の呪いのせいで、互いに触れることができなかった。来世はかならず添い遂げようと誓ったが、世界を枯れ果てさせたお前の魂は、世界の再生が終わるまで千年、転生が叶わなかった」
「それで? 千年待って、転生したのが、このわたくしだと」
真っ赤な顔をしてうなずかれても、ジュリアナにはなんの感情も生まれなかった。
だからなんだと言うのだ。
クロドは、ジュリアナ・グレイを通して秋の魔女を見ているだけ。
自分はただの、器だ。
こんなに虚しい話しがほかにあるだろうか。
「……まあ、一途な点だけは評価しますわ。いつかわたくしのことも、愛してくださいね」
「なにを言っている! 俺は、今のジュリアナも、まるごとぜんぶ愛しているんだ。いや、愛しすぎて困っているんだろう!? お前の部屋だってちゃんと準備していたさ、千年前からな! だがいざ会えば、同じ屋根の下に居るなんてとんでもない! なんでそんなに、完璧なまでに俺好みに生まれ変わったんだよ! 指の先まで美しいのに、心は御しやすい。可愛いくせに、性根が悪い!」
「最後、悪口では」
「おかげで同じ空気を吸うこともままならない! 同居はそうだな、二十年後。同衾は五十年後から頼もう」
「二十、五十年後……!?」
そのころにはジュリアナも立派な熟女である。えくぼとシワの区別がつかなくなった自身を想像して、ひどく焦燥とした。
「婚姻はおままごとではないのですよ? そんなことではグレイ公爵家の血胤が絶たれてしまいますわ」
「血胤、血胤て、そんな今どき古臭い」
「なんですって……!」
怒りで顔が熱くなるのを感じた。
ジュリアナは物心つく前から血胤を護るため、王室教育を受けてきた。血胤を貶すことは、今までの人生をすべて否定するような気さえする。
ジュリアナは、瑠璃色の瞳を闇に染めて言い放った。
「わたくしはその古臭い、血胤がすべて。我が家で王族を捕らえられたのは好都合でした。からだが新鮮なうちに、わたくし今から、王子たちを脅迫してどちらかと子づくりして参ります」
カウンターチェアを滑り下りると、朝食代にと銅貨をテーブルへ叩きつけ、扉へと向かった。
ドアノブに乗せた手の甲に、煙草の灰が落ちる。
「いやだ。行くな、ジュリアナ」
「引き止めるときでさえ、手に触れもしない。落ちてくるのは煙草の灰だけ。もううんざりです! ほかの悪役令嬢にはたやすく触れるくせに、どうして妻のわたくしにはひと触れもしないの!」
「そ、そんなことしたら、俺はどうなってしまうんだ!?」
「知らないわよ! 言い訳をしたいなら、まずその煙草をやめなさい!」
「……わかった」
煙草を胸ポケットへねじこむと、クロドは受付から分厚い宿泊名簿を一冊抜いて、遺書を差し出すように、ジュリアナへ手渡した。
「なあに、これ」
「お前の宿泊名簿だ」
「わたくしの……?」
ずしりとした重さは魔術書を彷彿とさせ、自然とペラペラとめくった。
「ジュリアナ・グレイ……、御しやすく、怒る元気あり」
はじめてハウスへ訪れた日の名簿だ。名前の下に、細かく書き綴られているのは宿泊理由ではない。
「ジュリアナがついに、無事にハウスへたどり着いた。ああ、ジュリアナ。枯渇の水を浴びせられたというのに、なんて愛らしいんだ。はやく癒してあげたいが、ミルクセーキ以外のものを飲ませては逆効果。激痛が走ってしまう。精製が終わるまで、なんとか話しを引きのばさなくては」
すぐに水を出さなかったのは、差別ではなく治療のためだったのか。納得して、ページをめくる。それから先は、ハートが立体化して飛んできそうな内容だった。
「……ジュリアナが、俺の選んだ靴を履いてくれた。生地からデザインまで決まるまで三百年!? 頑張って考えてよかった。 ……当て馬といえど、ジュリアナの初恋を奪ったアドリアンを俺は永遠に許さない。……ジュリアナに友達と呼べる女性ができた。楽しくお喋りをしている。信じられない。尊いから雇おう。……クッションを持ってきた? 厄介ごとを持ってきやがって。かわいいから許す。……ジュリアナが俺の料理を食べてくれた。五百年の修行の成果だ。……ついにジュリアナがハウスに泊まった。船のなかがジュリアナの残した痕跡だらけで発狂しそうだ。一時間でワンカートン吸ってしまった。肺が死ぬかもしれない」
そこまで読みあげると、ジュリアナは背表紙から激しく閉じた。
なんだろう、この居た堪れない気持ちは。
息子の日記を読んでしまったような罪悪感は。
いや、これはなにかの冗談か、クロドのいたずらだろう。
そう想到し、呆れ果てた溜め息を吐いた。
「ちょっと、わたくしを馬鹿にするのも──」
その拍子に、背表紙のカバーに挟まれていた一枚の古い絵が落ちた。
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