飼育 ~エルフの村に転生した俺の88年~

λμ

昔話

 鬱蒼とした森の奥深く、見目麗しく、また不老と呼ぶにふさわしい優に千年を超えて生きる人々が暮らしている。

 彼らは、自らをエルフと呼んでいた。

 そんなのはフィクションの話?

 そう。

 俺も、ずっとそう思っていた。

 代わり映えのしない日々に飽き、好転しない未来に絶望し、マンションの屋上から近くの公園を目指して飛んだ、そのときまでは。

 

 これは昔話だ。


 人生を終えるはずが神に会い、エルフの村ちかくで拾われた、俺の。

 

 一生の話だ。



 俺は、何の力も持たずに乳飲み子として転生した。耄碌してきた今だからこそ思う。なぜあのとき、神に力を願わなかったのかと。

 疲れていたんだろう。

 死ぬと決めるくらいだから、相当に。

 意識を得たとき、周囲は地獄絵図だった。

 傍に横たわる男と女。目に鮮やかな赤い世界。鼻につく鉄錆の匂い。ヘソから伸びるグロテスクな紐に気づいた俺は、恐怖で泣き叫んだ。

 いわゆる、へその緒だ。

 

 俺は、森の中で盗賊に襲われた夫妻のもとに転生したのだ。


 髭面の、盗賊の男が、獣のような目で俺を見下ろし、何事か言った。

 耳馴染みのない言語だった。

 しかし、集まってきた男たちの、下卑た眼差しで理解した。

 指を立て、首を切る仕草で理解した。

 もう一人の男の、首を振り、空中でろくろを回すような、あるいは、擂り鉢で薬草を磨り潰すような仕草で、理解した。


 俺を薬の材料にするつもりだ。


 前の世界――つまり日本で暮らしていた子供の頃に、オカルト本で読んだことがあった。中世のヨーロッパでは、生まれたばかりの新生児は薬や生贄に使われていたというのだ。

 野蛮で不気味な話だが、盗賊たちは俺をそう見ていた。

 恐怖で泣いた。

 生まれ直してまたすぐに死ぬのか。

 そう思ったとき、盗賊の頭に矢が生えた。

 次から、次へ。

 やがて立つ者がいなくなると、森の奥から彼らが現れた。


 美しい。


 他の言葉はいらなかった。ゲームや、小説や、映画や、あらゆるフィクションのなかで、特に俺が生きていた頃は美しく描かれてきたエルフの実像は、想像を絶する美貌を有していた。


 エルフの一団の、リーダー格と思しき男は、俺を見るなり眉を歪めた。

 何を言っているのか分からなくても、態度で分かった。臭いだの、汚いだの、そういった感想だろう。集まってきた仲間のうちの、女が、苦笑していた。


 彼らもまた、俺を動物としか認識していなかったのだ。


 俺を囲んで話し合うあいだ、俺は神に祈り続けた。


 助けてくれ。どうか。助けて下さい。


 いいよ、と言ったかどうかは分からない。

 ただ俺の目の前で彼らは険しい口調で言い合い、やがて、女が俺の躰に布を巻き、持ち上げた。


 助かった。


 あの日ほど生に感謝した日はない。

 また同時に、あのとき死ねていたならと思う日もない。

 

 柔らかな布にくるまれて、人より僅かに低い体温に凍えながらも、落ち着きを取り戻してきた頃だ。

 頬に当たる、女の柔らかな乳房の感触に気づき、俺は手を伸ばした。

 余裕が出てきた証拠だ。

 もはや正確には思い出せないが、乳飲み子として転生したからには、多少のことは許されるだろうという打算もあったかもしれない。


 女は悲鳴をあげ、俺を放り捨てた。


 強かに躰を打ち付けられ、俺は泣いた。

 そして気づいた。


 エルフは、母乳で育てないのだ。


 もしや捨てていかれるのでは。恐怖で俺は泣き叫んだ。

 幸いにも女は改めて俺を拾い上げ、何事かを言った。

 その顔つきで、謝っているのではないと気づいた。躾けているのだ。触るなと。

 理解できたとしても、舌が上手く回らず、言葉は返せない。

 頷けばまた放り出されるかもしれない。

 俺はただただ、恐怖に耐えた。

 耐えているうちに疲労から寝入り、目を覚ましたとき、俺は揺り籠の中にいた。

 揺り籠が傾き、俺の目に飛び込んできたのは、十数の子供たちの視線だった。

 

 木々で作られた椅子と机。窓から木漏れ日の入る広い部屋。教室だ。ここはきっと学校だ。


 そう、俺は、情操教育の一環として、エルフの飼育動物として拾われたのだ。


 俺は恐怖で泣き叫んだ。

 

 理解してもらえるだろうか。

 いつか、この地に、日本語の分かる転生者が現れたとして、この恐怖を分かってもらえるだろうか。

 羨ましいと思うだろうか。

 さぞや幸せな人生だったろうと、そう思うだろうか。


 もし、俺がこうして書き残して置かなければ、そう思うかもしれない。

 俺の亡骸と住環境を見て、羨むものもあるかもしれない。

 だからこそ、俺はペンを取っている。


 ああ、こう書くと、また誤解されてしまうかもしれない。

 ペンと書いたがために、健康で文化的な生活だったと思われてしまう。

 正確に記そう。


 俺はエルフの目を盗み小枝を手おり、その先に絞った草露をつけ、古びた布に書き記している。


 彼らに与えられた、森の精の詰まった神秘的な飲料により、八十八年の長きにわたり生きながらえてきたが、この生涯に、君たちが求めているであろう幸福な生活など一瞬たりとも存在しなかった。


 想像してもらいたい。


 病に苦しむ俺を見て、可哀想と目を潤ませるエルフ達を。

 助けてあげようと口にしながら、どうしていいのか分からない子供たちを。

 それを見て、色々と学ぶところもあるだろうと頷く大人の姿を。


 覚えた言葉を返したことで、却って気味悪がられることを想像してほしい。

 エルフに比べて急激に育つがために、脅威とみなされる姿を想像してほしい。

 人を学ぶ道具として、あらゆる角度から観察されるのだ。

 

 ああ、草露が切れそうだ。

 絞りにいかなくては。

 八十八歳。

 老いさらばえて腕に力が入らない。目は遠く、頭に靄がかかったようだ。

 だが、ここまで生きながらえた今ならば、たとえこの文書が見つかったとしても飼育記録の一つとして、村に残してもらえるかもしれない。


 二十かそこらの頃のように、オークの群れが村を襲わなければいいのだが。


 今一度、俺は神に祈ろう。


 エルフどものためにではなく、俺のために。

 俺のあとに、この地に訪れるやもしれない転生者のために。


 神よ。

 どうか。

 どうか。


 この文書のうちの一片でもいいのです。



 どうか、日本語の通じる場所に届けて下さい。

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飼育 ~エルフの村に転生した俺の88年~ λμ @ramdomyu

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